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合羽橋「飯田屋」

久し振りに浅草六区のほど近くある「飯田屋」へ行った。
まづはどぜうの唐揚をアテに熱燗を2本。唐揚と一緒に供されるごぼうの素揚げが程よい塩加減で、ついつい酒の進むこと。
IIDA_DJKRAG

そして、1時間も経ったころに酒も肴もおわって、やっと鍋。ほねぬき鍋ですよ。
IIDA_DJNK

升いっぱいのネギを、肝心のどぜうさんが見えないほどにこれでもか!ってくらいうずたかく盛る。食べてる合間、合間に割下とネギをどんどん投下。仕出場近くの席だからというのもあったろうけど、升いっぱいのネギを全部使い切ったら、すぐに仲居さんが

ネギ、おかわり持ってきましょうか?

だってさ。もうあらかたどぜうさんも胃袋に収まったことだし、ネギばっかそんなにはいらんよ。
IIDA_DJNKNG

そういえば、「どぜう鍋」というと「まる」鍋が一般的なものだと思われがちだけど、「ほねぬき」鍋の方が本筋。あんな小さいどぜうをちゃんと下処理する手間こそが江戸前のものだそうだ。江戸明治の頃は、まる鍋なんかは職人衆でも食べなかったらしい。江戸っ子でまる鍋なんか食べてたら、笑われたそうだ。
それが今では、どぜう鍋というと、みんなこぞって「まる」鍋こそが江戸の粋みたいな風潮になっている。おもしろい変化現象だ。

ふと、どぜうと文学作品の関係で思い出したことがあるけど、ちょいとマジメくさった話になってしまうから、それは機会があった時にでも書いてみよう。
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曳舟「三祐酒場」

元祖焼酎ハイボール発祥の店とされる曳舟の「三祐酒場」。
「曳舟本店」は駅前開発のために強制立ち退きさせられる上、代替地もみつからなかったため、来る4月30日をもって89年の歴史をとじるそうだ。・・・スカイツリーのできたことが遠因なのかねぇ・・・

3you
三祐酒場。1924年創業、2013年4月30日休業。(←店内の貼り紙には「休業」となっいたけど。再開はしないらしい)
店内2階の壁際に、看板建築時代の同店を撮影した写真がひっそりと飾られていた。あれはあれでなかなかに趣のある感じがした。

3youhigh-ball
元祖焼酎ハイボール

雪駄ちゃらちゃら

この夏、単衣を誂えたのは、行きつけの呉服屋に

そろそろワンランク上のものをお召しになったほうが宜しいかと存じます

といわれ、その気になったせいだ。早い話が口車に乗ったわけである。
けど、勧めるだけあって、間違ったものは出さない。なんでもかんでも無責任に売りつけてしまへではない。ちゃんと客のことを考えており、似合う・似合わないをハッキリいってくれるから、こちらとしても安心して任せたわけだ。
さて、夕方4時に友人宅を出て、四万六千日に行く。
早速、丹後の木綿ちりめんで仕立てた紺細縞の夏物に白献上を締め、渋扇子を差し挟み、雪踏履きと決めて繰り出した。で、自分でいうのはうぬぼれもいいところだが、姿見で自分の姿を映すと見事に決まった感がある。

渋い・・・

けど、イイ感じなのだ。
たとえば昼下がりに雪駄をチャラチャラさせて歩いていると、板塀を廻らした二階屋から

そこを行くお兄ぃさん、ちょいとお待ちなさいよ
暑いから、ちょっと上がってお茶でも召し上がっていきなさいよ

と、行水を済ませて後れ毛をすっとなで上げている小股の切れ上がったイイ姐さんに呼び止められそうな感じ。というと

湯屋番だ

と笑われそうだが、見る人が見ればその良さをわかってもらえるだろう。
というのも、四万六千日のお参りを済ませ(126年分のご利益をいただき)、境内の端っこで渋扇子で涼をとりながら一服していると、まったく見知らぬ老人が僕の前で立ち止まり、しげしげと見て会釈をしてきた。それに僕が返すと、実にしみじみとした口調で

いい着物だなぁ。ああ、いい着物だ・・・もうすこし暗くなったころに歩いたら、もっといい・・・いいものを見させてもらった

と褒めてくれた。老人が去ると、その話を気持ち少し離れたところで他人の振りして立ち聞きしていた友人が、すぐに来て、

やっぱ見る人が見ると、わかるもんなんだねえ。すごい褒めてたじゃん。

と当の着ている僕よりも興奮気味に話す。
ここでうぬぼれたいのは、たとえイイ着物でも着る人がダサく、だらしなく着ていたら目立つわけもない。またそんな着方をしたら、折角の着物が泣くというものだ。余所の目に留まるということは、僕の着方が幾分サマになっていたからだろう・・・うぬぼれだよ、うぬぼれ。でもね、うぬぼれさせて。
   ・・・・・・・・・・・・・・・
まあ、僕の話はこのへんで終わりにして。余談を少し。
観音様参りの際に見た若い男性(チャラチャラした感じのね)の浴衣姿をみると、面白いやら唖然とするやら。流行りでも、季節柄でも何でもいいが、

浴衣を着よう

という姿勢は評価するんだけど、角帯を兵児帯のように蝶々結びもどきにしたり、貝の口の成り損ないにもならない鎖結び様の結び方で平然と歩いているのはどうだろうね。帯がゴワつくから、結びきれてなくてダラーっとしているは、個性云々じゃあなくて、

格好悪い

このひと言に尽きると思うんだが・・・当然、腰骨のところでキュッと締めてなどいないから、前は肌蹴放題。肌蹴ても自分で直せないから、余計にみっともない。
むしろ、(おそらく)観光サービスの一環で着付けしてもらった目の青い外国人さんのほうが貝の口になっているし着崩れてしていないんだから、若い男性の格好はお話にならない。
もちろん、こういう男性の場合、大体はマルイだのなんだので売っている吊るしの既製品で間に合わせているから、生地の柄も帯も全然面白くない。それでいて着方もなってない。なんなんだろうねえ。着崩れて胸なんか肌蹴てるのに、太ももも見えているのに気にしない感覚・・・こっちが老けたとかそういうレベルじゃなくて、単純に

ダサい
みっともない

と思うんだがなあ。やはり僕の感覚が古臭くなってしまったのか・・・それとも彼らの感覚が麻痺しているのか・・・わからないな。

決戦!! 酉の市・その一

多かれ少なかれ…いや、少なくてはいけない。大きく商売繁盛を願い、群集するお酉さま。東京の風物詩のひとつだ。今年は12日と24日の2回。11月に入ると沿線の駅に大判のポスターが貼られ、いやでも気分は高まっていく。
しかし、この気分の高まりは、お酉さまと縁深い

下町

を中心とした一部の人たちだけが共有しているようだ。だから、東京の風物詩というより、正しくは東京東部の風物詩といったほうがよいのかもしれない。
なにせ一の酉当日は、三多摩地区の某大学に教えに行く日で、丁度いい機会だからと去年買った熊手を担いで中央線を下っていったのだが、その際、電車の振動で熊手に飾られている大鈴が

カランカラン

と鳴ると、一瞬、周囲から注視される。しかし、また何事もなかったかのように澄ましている。
この澄まし具合は、三多摩地区にお酉さまの文化が浸透していないからだろう。それというのも三多摩地区の住人というのは、中央線沿線から、さらに都心に出て丸の内あたりの会社で働くサラリーマンの家庭が多い。会社から月々のお給料で生活しているサラリーマンにとって、会社が安泰であることは大事だが、だからといって商売繁盛の熊手を個々人が家に飾る必要がない。だから、そのサラリーマン家庭で育った子どもたちが知らなくても無理もない話だ。
また三多摩地区の住人の多くは、お酉さまという文化のない地方出身者が多い。これも三多摩地区に今イチお酉さま文化が根付かない要因だろう。
実際、大学で講義するにあたって、お酉さまを題材にしても反応が鈍い。現物の熊手をみせて、ようやく、しかし、なんとなく、

ああ、みたことある…

の程度だった。
おっとといけない、随分、堅っ苦しい話になってしまった。今年のお酉さまの話に戻そう。
大学を出るともう夕方のよい時分。入谷に着いた頃はすっかり夜の帳が下りていた。入谷駅からお酉さまに向かうその道筋に屋台が連なっている。よい匂いが鼻先をくすぐるが、ここは我慢と鷲神社に向かう。やがて人の波が

ピタリ

と止まった。普段だとここからが長い。しかし古熊手を担いだ僕はまづ納め所へ行く。古熊手を納める人たちは優先的?に長蛇の列からドロップアウトして構わないもんだから、並んでいる人たちを横目にみながらスタスタと進む。早い、早い。納め所は鷲神社入り口の真ん前だ。
古熊手を納めたらそこからスーッと人の波に割り込めばよい。実に楽チン。それにしても盛況だ。あのまま大人しく待っていたら、あとどれくらい時間がかかったことか。まあ、それはいいとして…

参道の両脇には大小様々な熊手が裸電球に照らされ、その下に売約済みのビラに色々と大書してある。そのひとつひとつを眺めては、

あれは歌舞伎役者のだれだれだ
あっちは芸能人のだれだれだ
あすこの会社は景気がいいねえ

だのの言葉が、押し合いへし合いしながら、あちらこちらから聞こえてくる。なかにはデジカメでそれらを撮っているひともいる。
そうこうしているうちに、拝殿前に来てお賽銭を投げ、祈願というよりも

こんばんわ

程度の挨拶をして、いよいよ熊手の大市に足を踏み入れた。

決戦!! 酉の市・その二

鷲神社の境内で熊手を商えるのは、

福神講

という講中に加盟している熊手商たちに限定されていて、大小99の店が出ている。が、これは本末関係になっていて、組織としては30軒強しかない。いいかえれば、境内で商っている熊手商は正規の店だといえる。
各家ともその家に伝わるスタイルの熊手を拵えており、ざっとみたところで、
●青物
●赤物
●宝船
●黒爪
●ざる
●扇
●枡
…といった系統がうかがえる。このうち、僕は黒爪とよばれるお福さんに注連縄をめぐらしただけの至ってシンプルな熊手を買っていた。黒爪を選んだのは、そのシンプルさこそ江戸から続く熊手の原形に近いと勝手に想像したからだ。しかし、世間的にはというか買い手からしてみれば、やはり

金銀財宝・松竹梅・鶴亀・恵比寿大黒・宝船・鯛・俵…

といったものが、

これでもかっ!!

と賑やかなもののほうが景気がよい感じがして人気だ。たしかに目出度い尽くしで見た目にも福を招きそうだ。

さて、ぐるぐると境内をみて歩く。至るところで景気のよい三本締めがおこなわれ、自然と気分が高鳴ってくる。そこで僕も某熊手商をおとなう。それというのもこの熊手商から葉書が来ていたからだ。しかし、僕も悪い癖というか悪戯心が湧いて出て、わざと葉書を隠した。
何気ない感じでその熊手商をおとない、立ち止まって何気なく熊手を眺めていると、自分のところの屋号を染め抜いた半纏を着た男が横に立つ。みた感じ五十代くらいかな…
熊手の値段については以前にも書いたことがあるが、値段はあってないようなものだ。だから、売り手と買い手とが交渉する。交渉するというより、買い手がどんどん値切るわけだ。このやりとりが面白いんだよ。
今回は、この交渉(バトル)をくだんの男とやることにした。

熊手商は「どうぞ、お探しのものあったらいってくださいよ」というから、前回に買ったものと全く同じサイズの黒爪を指して、

「これはいくらだい?

と聞けば、熊手商は

「これですか? この熊手でしたら2万でいいですよ

ときた。前回は1万5000円だった熊手がいきなし2万からのスタートだ。そこで僕も意地悪をして、

「おかしいなあ、前回来た時は1万5000円からだったけど…

というと、熊手商は慌てて

「え、前回もウチでお買い上げいただいたんですか? すると葉書は?

というから、

「あるよ。鞄の中に

と答えれば、

「これはお客さん、意地が悪い。まったくもう、いじめないでくださいよ。じゃあ、1万5000円でいいですよ

と一気に5000円の値引き。熊手の実値なんぞはこんなもんだ。随分とふっかけてきやがるわけだ。けど、そこで終わっちゃあいけない。前回は「1万5000円から」だったんだから、

「前回は1万5000円からだったんだよ

とさらに意地悪く聞くと

「わかりましたよ、1万3000円!
「もう一声!
「じゃあ、1万2000円!
「よし、買った!

前回は1万まで値切ったが、今回はこのあたりが限界だなと思い、1万2000円で手打ちとなった。それでも最初のふっかけからすれば、実に8000円の値引きだ。だが、ここで1万2000円じゃあ熊手商が気の毒というもの。ご祝儀として、1000円を上乗せした。正直言うと実はこの時、懐には3万近く入っていたんだけどね。まあ、ご祝儀はあくまで「気持ち」だからって言い訳しておこう。

手打ちした熊手に「壷天庵」と大書した大入札と稲穂をふさふさとつけてもらい、ご祝儀を乗せた1万3000円を払う。そして三本締めをしようとしたその時。背後から声がした。

●●さん、ここでなにしてるんですかぁ?

振り向くと、某所の仕事でお世話になっている事務方の女性がいた。思いも寄らぬ事態に僕もちょっと戸惑っていると彼女はそのまま視線を熊手にやって、

これ買ったんですかぁ?

という。これから三本締めだというところで思わぬ珍客。だが、さすがは駆け引きで慣れた熊手商だ。すかさず彼女も巻き込んで、

いいから、いいから、お姉さんも一緒に…それでは家内安全、商売益々繁盛をご祈願いたしましてお手を拝借! ヨォ~!!

彼女は訳もわからぬまま、けどその雰囲気の高まりを感じてか、楽しそうに三本締めに参加した。僕は熊手を担ぎ、突然参加でまったく事態を把握していない彼女を連れて店を後にした。
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↑お酉さまの景色と黒爪熊手

浅草酉の市・その一

毎度毎度で申し訳ないが、色々あって更新がなかなか思うようにはいかない。特にここ三週間は追い立てられるようにアレやコレややっていたんで、手が付けられなかった…と言い訳…もう聞き飽きたね…が、まあご容赦して貰おう。

11月といえば「酉の市」が東京の風物詩だ。今年は5日、17日、29日と三回あった。
その昔、昔々まだ東京が江戸だった頃の酉の市は、

正月がそろそろ来るぞ!!

と知らせる「祭」だった。宝井其角も

春を待つ事のはじめや酉の市

と一句詠んでいる。そんな春を告げる「酉の市」は矢張り千束の鷲神社がなんといっても一番賑やかだ。みんな福を掻き込めとばかりに押し寄せる。酉の市の目玉はいうまでもなく、

熊手

だ。福神講という講中に加盟している熊手商が境内に犇めき合って、色んなデザインの熊手を売っている。赤物・青物・みの・黒爪・檜扇・宝船…そのデザインを見て歩くのが楽しい。勿論、見ているばかりじゃあなくて、売り手と上手く駆け引きし乍ら買うのが面白いわけだ。
けど、先月のいつだったかの読売新聞に

熊手に値札

という実に野暮な記事があった。現代の人は値札が付いていないと怖くて買えないから、一万円以下のものに限って値札を付ける、ということが熊手商の間で持ち上がって、いざ値札を付けてみるとなかなか買い手に評判だということだ。この記事を読んで、

現代人はそこまで無粋になったしまったのか…

と感じたね。例えば

3000円

という値札が付いてる。お手頃価格なのはイメージしやすい。けど、3000円とはっきり値札が付いた熊手なんかは、その値札通り3000円分の福しか掻き込めなさそうに思ってしまう。もっと沢山の「福」が欲しいと思わないのかなあ。でも、そういうのが売れるというんだから、詰まらない世の中だねえ。
それと最近の熊手商も若い衆なんかは、マニュアルに頼り過ぎて融通が利かないから、それも困る。なんでもかんでも値段表通りみたいな感じで面白くない。矢張り、熊手は売り手と買い手が駆け引きしなきゃあ面白くない。

浅草酉の市・その二

売り手との駆け引きで思い出した話をひとつ。

ある年のこと。酉の市がどういうものかを知らない、酉の市初体験の某友人を連れて、市が人で溢れ返っている夜8時過ぎだか9時だかに行った。三ノ輪駅から鷲神社参道に向かう道は屋台が軒を連ね、よい匂いが鼻先を擽る。参道に近づくにつれ、人々の歩む速度が鈍くなってきてた。やがて、ピタリと停まる。凄い人だかりだ…人の波に押し潰され乍ら1時間も並んだろうか。漸く参拝も済ませ、社務所で「掻っ込め」を頒けて頂く。

さて、「掻っ込め」を頂くと、愈々境内に犇いている熊手の屋台をあっちこっちぐるぐる廻り乍ら眺めていた。眺めるだけでも1時間は悠にかかる。もう11時に近い。あと1時間で終わるというのに、相変わらず煌々と裸電球が軒下を照らし明るい。

色々と飾りつけた派手な熊手が沢山あるが、僕はシンプルなヤツが好きだ。で、ふと一軒の屋台で足を止める。その時、横にいた(どこかで一杯呑んでから駆けつけたような)仕事場の先輩後輩らしき2人組と若い衆の交渉が始まった。その直ぐ横で今度は僕のところにお婆ちゃんがやってきて、駆け引きが偶々始まった。某友人は酉の市初参加だから勝手がわからず、二組の交渉の間に挟まって、熊手商とのやりとりを傍観している。

先輩後輩らしき2人組相手に若い衆は黒爪と呼ばれる種類の熊手を大・小出して、一生懸命吹っかける。因みに熊手というのは基本的に値段はない。あくまで売り手側の言い値だ。僕は若い衆がその2人組に出していた黒爪の小さい方を指して、お婆ちゃんに、

アレ、いくら?

と聞くと、お婆ちゃんはスススーっと若い衆が2人組相手に交渉している間に入り、交渉中なはづの小さい方を持ってきて、

1万5000でいいよ

という。

もう少し、負からない?

と聞くと、

じゃあ、1万2000

そこで、

うーむ…よし!1万なら買うよ

と僕。するとお婆ちゃんは、あっさり

いいよ、1万で

するすると交渉成立だ。それを傍から見ていた某友人は、交渉を終えた僕に

今買った熊手、さっき隣の2人組には2万6000円で若い人が交渉していたよ
で、なかなか負けようとしてなかった
やっと負けて3000円だった
それもたった3000円負けるのに家族会議開いてるみたいに若い人たちが集まって相談してたよ

と耳元でヒソヒソいう。
黒爪熊手がおひとつ2万6000円。しかもマニュアル坊やの若い衆は負けて3000円。それも家族会議付き。それがだ。片や僕は1万5000円。さらに負けさせて1万円で熊手を手に入れてしまったわけだ。傍から見ていた友人は、ただただ唖然。
けど、負けさせるばかりじゃあ、売り手が可愛そうだ。だから、ちゃんとご祝儀で1000円乗せて(ホントは5000円乗っけてあげるべきなんだけどね…)意気揚々引き上げた。引き上げる時、ちらりと横を見たら先輩後輩らしき2人組はまだ若い衆と交渉していた。

若い衆よ、あまりマニュアル、マニュアルしない方がいいぜ。こういうのは縁起物だ。がめつく売ろう売ろうとしないで、もっと楽しまなくっちゃあいけないよ。お婆ちゃんをもっと見習いたまえ。

浅草「四万六千日」―付り、可愛くない金魚

仕事帰りに、そのまま浅草へ出て「四万六千日」に行く。
下町を中心に川東・川北一帯で長く暮らす者にとって、夏の風物詩といえば、なんといっても浅草寺の四万六千日だろう。この縁日を迎えると下町は愈々夏本番だ。
四万六千日とは、7月9日および10日の二日間に限り、浅草寺へ参詣すると四万六千日分お参りしたのと同じだけのご利益があるというもので、これを年単位に換算すれば、ざっと126年分のご利益が頒けて貰えるという計算になる。1度のお参りで126年分ものご利益をガッツリ頂こうっていうんだから、人間ていうのは今も昔も欲張りな生き物だね。
同日は、併せて境内に「ほおづき市」が立ち、所狭しと葦簀張りの店がそれぞれに威勢良く「ほおづき」を売り捌いている。このほうづき市の光景は江戸の頃も矢張り風物詩で『東都歳時記』を開いてみれば、

観音千日参今明日 世俗四万六千日ともいふ、この日詣づればこの日数に向ふといふ、
浅草寺 両日の間昼夜参詣の老若引もきらず、境内本堂の傍にて赤き蜀黍を商ふ、諸人求めて雷難除けの守とす、今日本堂にては修法なし、通夜の者多し、

とある。「両日の間昼夜参詣の老若引もきらず」とあるのは今も同じで、参道はこれから行く人と帰る人とで凄い人だかりだ。ただ文中の「赤き蜀黍」をそのまま読めば、当時の市に並んだのは「ほおづき」ではなく、「とうもろこし」だったのかも知れないなあ。
まづは霧雨の振るなか、観音様へ「こんばんわ」と挨拶程度にお参りをし、早速、脇の寺務所で御幣に見立てたような三角に折り畳んだ雷除守を頒けて貰う。これで色んなカミナリが落ちないことを願おう。
観音堂を後にして左面(二天門から浅草神社あたり)に市を為しているほおづきの店をブラブラと見て歩けば、ここかしこから威勢のよい声が掛る。裸電球の煌々と輝く下に並ぶほおづきの鉢。釣荵に江戸風鈴の乾いた音色。浴衣姿の女性。その賑やかでいて、どこか幻想的な風景を目の当たりにしていると、何故かワクワクして体が火照ったようになる。不思議と嬉しいのだ。肌でひしひしと「夏の到来を感じている」とでも表現したほうがよいかもしれない。
そんななか、ふと一軒の店に足を止める。別に理由などない。強いて挙げれば、軒端に役者の名前が白く染め抜かれた「招き」が目に入ったからだ。何気なくその招きに目をやれば、早速に売り手が傍に寄ってくる。

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浅草「リスボン」

府中の友人と午後から会う。汗ばむほどの好天のため、待ち合わせした上野の御山は凄い人出だ。当初は池之端の「蓮玉庵」で蕎麦を手繰ってから御山を横断して、谷中の「いせ辰」に行き、夏向きの風呂敷のひとつでも買ってから「芋甚」のアベックアイスで一服、夕闇の迫る頃に浅草へ出ようと考えていたのだが、あまりの人出に辟易してしまい、御山を突き抜けての谷中行きを諦め、地下鉄で直ちに浅草へ向かった。
しかし、浅草は浅草で矢張り凄い人出だ。二人とも昼飯がまだだったため、軽く食べてから行動しようということになり、

何を食べよか

と考えるが、汗ばむ陽気には矢張りさっぱりと「蕎麦」がよいだろうってことで、大川橋を渡って「やぶそば」に向かう。日差しは強いが川面を渡る風は実に爽やかだ。こういう風を薫風というのだろう。
休日ということもあって昼も大分過ぎたというに「やぶ」はなかなかに盛況だ。まづはビールを頼み、付出の蕎麦味噌で一杯やっていると、少しして胡麻汁蕎麦が来る。胡麻の汁の風味が堪らなくよい。これをさっと手繰り、合間にビールを呑む。休日だとはいえ昼下がりのビールはなんとも贅沢な気分にさせてくれる。こういう陽気な日中のビールは酔うのも早い。そして、その酔いが気持ちよいわけだ。
まあ、それはよいとして、府中の友人は小柄乍ら大食漢でまさに今し方、蕎麦を手繰ったばかりというのに店を出て、直ぐに

腹減った
何か食べたいよ

という。流石にこれには呆れるばかりで開いた口が塞がらないが、取り敢えず大川橋を渡り、浅草に戻ると門前の「亀十」に寄って名物の「どら焼き」を買う。今度は歩きながら食べる。亀十のどら焼きは相変わらず生地がフワフワと柔らかい。初めて食べた友人はエラく気に入ったらしい。

これならいくらでも食べれる

と亀十のどら焼きに大層ご満悦の様子だ。
浅草は新宿や渋谷と比べれば街の規模は断然小さいが、それでも手拭屋、扇屋、瀬戸物屋などあちらこちらを冷やかし半分でグルグルと見て廻れば、たっぷり2時間は掛る。
流石に僕も少しく歩き疲れ、小腹が減ってきた。友人に至ってはすっかり腹が減っているようだ。時計を見ると5時に近い。それならってことで、まづ「神谷バー」に向かうが1階2階とも大変な繁昌振りで、順番待ちしている合い間に外の店に行って食べられようほどだ。そこであっさりと神谷バーを辞めて、すしや通りからブロードウェイ商店街へ出る。

なにがブロードウェイなんだか

皆目見当がつかない。浅草六区のままでよいと思うのだが、こういう安っぽさが下町の魅力ともいえよう。
目指した先はそのブロードウェイ商店街を少しく進んだところにある洋食屋の「リスボン」だ。この店の直ぐ近くにはテレビ・雑誌でお定まりの超有名な「浅草の~」と冠する洋食屋〔Y〕があるため、ついつい見過ごされがちだが、この「リスボン」も歴とした老舗で浅草の繁華街にあって昭和7年から洋食屋を営んでいるという。
店内はいかにも下町の洋食屋そのものといった感じだ。適当な席に着けば、直ぐにオバちゃんが冷水を持って現れる。一見した感じは無愛想で取っ付き辛いが、下町で食べ物屋を営んでいるところのオバちゃんには往々にしてあることだ。しかし、無愛想でもちゃあんと客の様子を把握していて、例えば水がなくなろう頃には黙っていても新しい冷水を持って来てくれる。「そんなのはどこの店だってやってくれる。当たり前のことじゃあないか」と思うだろうが、注ぎ足しに来るのではない。新しいコップに冷水を並々と入れて持ってきてくれるのだ。無愛想な見た目とは裏腹に細やかな気配りだ。今、こういう何気ない気配りをしてくれるのは、あと新宿の「アルル」くらいしか知らない。
少しして料理が運ばれてくる。ここの料理はどれもよいが、特に「ポークソテー」が気に入っている。この店のそれは大振りに切ったやつをじっくりと丁寧に焼き色をつけ、そこへ肉汁と調味料とを合わせて作ったソースを掛けまわして供される。その熱々のところへたっぷりと溶き芥子を塗って頬張ると、もう堪えられない。自然にニッコリと笑みが浮かんでしまう。多分、これにビールなぞをやろうものなら最高の肴となるだろう。
すっかり平らげてよい心持ちで、

ごちそうさま

と帳場に声を掛けて支払いを済ませれば、相変わらずオバちゃんは無愛想だが、ひと言、

また、どぉぞ

と背中に声。僕も入口手前でもう一度、誰にいうともなく、

ごちそうさま

といって店を出た。
店に入った時は取っ付き辛いオバちゃん達と感じる人も、細やかな気配りとたっぷりとした料理を味わえば、きっと店を出る時にはあの無愛想なところにもどことなく下町のオバちゃんらしい温か味を感じられることだろう。

外は次第に夕闇が濃くなり、日中に増して爽やかに風が吹き抜けていた。
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↑浅草「リスボン」の外観
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↑リスボンの「ポークソテーとライス」 溶き芥子をたっぷり付けて食べると堪らなくよい

吾妻橋「やぶそば」

GW最終日は生憎の雨。しかし、清澄氏と兼ねてから約束していたため、昼少し過ぎに浅草で落ち合う。清澄氏とは早春の京都旅行以来だ。晴れていれば横浜か鎌倉を歩こうと思っていたが、この雨じゃあどう仕様もないってことで、大川下りに変更した。
雨の降っていようとも雷門は相変わらずの人。傘を差しつつあちらこちらでパチリと撮っている。しかし、好天のそれとはどこか雰囲気が違う。雨に濡れた雷門は日頃の喧騒さを洗い落として「ほっ」といるような、少し安らいだ感じがするといえば、少々気障かな。まあ、雨の日の雷門は好天のそれとは違って、またよいものだってことよ。
門前で清澄氏と落ち合えば、時間も時間だから軽く腹に入れたがよいってことになる。取り敢えず直ぐ近くの「神谷バー」を覗くが、二人して昼間っから電気ブランなんぞを引っ掛けてしまったら、雨を口実に勢いを削がれて大川下りを止め、そのまま、呑んだくれてしまいそうだということで、

あくまで軽く

ということになり、

それじゃあ、吾妻橋の「やぶ」にしよう

と足早に大川橋(吾妻橋)を渡る。橋の上から眺める雨の大川はなんとも寒々しい感じだ。
橋を渡り、アサヒビールタワーを左手に臨みつつそのまま少しく直進すれば浅草通りと合流する。その既のところに「やぶ」はある。間口が狭いため、話しながら歩こうものなら、それこそ「あ」っという間に通りすぎようほどだ。
浅草で蕎麦といえば、雷門の正面道を駒形堂に少しく向かうところにある並木町の「薮」がまづ浮かぶ。蕎麦やグルメ関係の書籍、東京のガイドブックなどでお馴染みの店だ。ここの汁は兎にも角にも辛い。日本一辛い汁だという人(や書籍)もあるくらいだ。そして、場所の良さと中休みがないという利便性から、余程に時間をずらしても、それなりの客の入りがある。
それほどに有名な並木町「薮」が近くにあるからというわけではないが、大川橋のそれはなかなかの穴場だ。ここへ初めて訪れたのは旧臘十四日のことで、この時も清澄氏が同道している。日付をちゃあんと覚えているのは、この日が赤穂四十七士が吉良屋敷に討ち入った日で、当日、二人とも討ち入り前の浪士にでもなった積もりで、手始めにここの蕎麦を手繰ってから、北風の吹くなか、本所松坂町の吉良屋敷まで歩いたのだ。端から見れば、

何をくだらないことをやっているんだか

と思うだろう。しかし、当人からすればこれはこれで結構楽しかったものだ。しかも、本所まで川沿いを行く間、北風を背に受けながら、ふと思い立てば三波春夫の「俵星玄蕃」にあるあの有名な1フレーズを口ずさんでいる。傍目に見なくても実に怪しい野郎だ。木戸があったら間違いなく通して貰えなかっただろう。自身番屋にしょっ引かれていたやもしれぬ。
相変わらず話が直ぐに脱線する。いけないことだ。話を戻そう。
さて、傘の雫を払って店内に入ると、雨のGWということもあってか空いていた。適当な席に着いて清澄氏に、

ビールでよい?

と聞けば珍しいことに今回はあまり乗り気ではない。勝手に思うに清澄氏は新橋辺りで連夜よい夢を見ているせいで、普段、肝臓に随分と負担を掛けさせているから、流石に連休くらいは少し休ませてやろうということか。今更、無駄なことをしているものだ。
まあ、仕方がないから小瓶でビールを頼み、喉を湿らせるほどにして、せいろうを頼む。
江戸蕎麦の汁といえば漆黒とでもいおうほどの真っ黒で、いかにもその味が辛いことを物語っている。ご多分に漏れず大川橋のやぶもそれで、蕎麦猪口の底に少し入っている程度だが、これに蕎麦を箸で二、三本摘み上げ、先端にごくちょいとつけて手繰るれば、汁が少なめの理由がよくわかる。先端にちょいとつける程度で丁度よいってわけよ。
品良く盛られた蕎麦に七味を軽く振って、これを真ん中からささっと手繰り、合間にビールを一口、二口呑む。そして、蕎麦湯で〆る。前日までの好天と打って変わって生憎の雨で、日中にも拘わらず肌寒い。なんとなく身体も冷えるているから、この蕎麦湯の温かさが実によい。汁に残しておいた薬味葱と白濁した蕎麦湯、それにほんの気持ち程度に七味をパラリと振り掛けて、ズズーっと啜ると身体が内側からじわりと温まるね。額にうっすらと汗をかいている。身体がちゃあんと温まっている証拠だ。
すっかり平らげて勘定を済ませ、店を出れば相変わらずシトシトと雨が振っている。そのなかへ、ハァっと息をひとつ吐く。少し白い。折角のGW最終日にこんな天気とは全く以てついてない、と思いながら清澄氏と大川橋の西詰にある桟橋へ向かって歩いていく。
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↑吾妻橋「やぶそば」の外観
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↑やぶそばの「せいろう」
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それでは「春夏冬、二升五合」をお願いまして、皆々様の御手を拝借。

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熊さん。今のお人で何人目だい?
著者寸描(プロフィル)

浮世名詮〔うきよのめうせん〕

Author:浮世名詮〔うきよのめうせん〕
東西東西~。
さて、これより語りまする者はその名を「名詮」と申しまする。

性格は可成ふざけて居りまして、朝イチから行動すればよいものを、昼も過ぎ、夕闇の濃くなる頃から東都のあちらこちらへ出没し、状況に応じて色々な人物を演じ分ける素ッ惚けた根無し草。

まあ、気楽に気楽にお付き合い下りまするよう、隅から隅まで、ズズいっとお頼み申し上げまする。

先づは

乍憚口上
乍憚口上」つづき
乍憚口上」むすび

を一読下さりまするようお願い申し上げまする。

千穐萬歳大入叶

熊八ブログをケータイしておくれっ
ちょいと、そこのお前さん。無視していくんじゃないよ。めうせんの「熊八ブログ」がケータイでも見ることが出来るっていうじゃあないか。おや、知らない?まあ、この人はなんて野暮なことをいいなさんのかねえ。
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「文は遣りたし、書く手は持たず」なんて謙遜、遠慮なぞは無用ってもんでございやす。へい。

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