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駒込「富士神社」大祭

普段ならば、休日は昼過ぎになって漸く起きるところだが、今回は午後から府中に住む友人と会う約束をしていたので、その前に二、三やっておきたいことがあって、自分のなかでは信じられないほど早起きする。しかし、前もって約束していた友人が二日酔いということで、ドタキャンということなり大幅に一日の予定が狂う。
まあ、それでも折角早起きしたのだからと、当初の予定通り朝から行動する。目指すは駒込だ。
毎年七月一日は霊峰・富士山が山開きの日で、この日を前後して各地の富士塚を祀っている神社では祭礼やら儀式がある。駒込の富士神社もそうだ。
駒込の富士神社は江戸の頃から「駒込富士」として庶民の尊崇が厚く、有名な名所だ。江戸という時代は今と違って誰でも気軽にひょいと富士登山できるわけじゃあないから、代替として人造の富士を各地に築き、そこに詣でることで富士山に登ったのと

同じご利益

を得ようとしたわけだ。
駒込の富士神社はJR駒込駅から六義園の前を通り過ぎ、さらに白山方面へ進んでいく途中を左手に一本入ったところにある。宵宮にあたる前日の万灯送りから始まり、本祭、宮入と都合三日に及ぶ祭礼だ。それほど広くない境内はすでに屋台が犇きあっていて、見ていて実に楽しいものだ。ヤキソバ、お好み焼き、たこ焼き、かき氷、ベビーカステラなどの屋台の合間に新興のケバブやらチキンステーキなどが並び、よい匂いを漂わせている参道を進むと富士塚の麓に着くわけだが、その間にちょいと気になった屋台があった。

亀の子釣り

の屋台だ。金魚すくいが変じてミドリガメの子をすくうから、亀の子すくいなんだろうが、今時、珍しい。

ほう。まだ亀の子すくいなんてえもんがあるんだな

と思うが、ふと見た屋台の兄ちゃんはあまり面白くなさそうだ。まあ、そりぁそうだろう。屋台といえば、矢張り花形は「ヤキソバ」や「お好み焼き」といった食べ物系だ。それに比べれば亀の子すくいなどは可成りマイナーな屋台で派手な見せ場がない。只管に客が来るのを待つしかないわけだが、当の亀さん達はそんな屋台の兄ちゃんの気分を他所に狭い水槽をあちらこちらへ気侭に泳いでいるのが印象的だね。
駒込の富士塚はその形状から、一説には古墳だともいわれているようだ。いわれてみればそんな気がしないでもない。周りの地形と比べれば明らかにこの塚だけがこんもりと土を盛ったような感じがするが、事の真相は定かでないし、そういう考古学的な話は専門家の人びとに任せて、素人は麓から塚の頂にある社殿へ向かって一直線に伸びている階段を上るだけだ。
「頂の~」というと大層な感じだが、精々15メートルあるかないかの塚上の社殿はそう古くはないコンクリ造りのもので、なんだか気落ちする実に安っぽい感じだが、信仰と社殿の安っぽさは関係ないから、これはこれでよいとしよう。
さて、富士講の講中でもなんでもない僕が休日の朝早くから態々駒込富士まで来たのは、実に単純な動機で、大祭の時に頒布される「麦わら蛇」と「麦らくがん」を頒けて貰うためだ。
「麦わら蛇」とは富士神社で山開きの時に限って頒布されるレアな縁起物のことで、小枝に麦わらで編んだ蛇が巻き付いている「疫病除け」「火除け」の御守だ。別名を「神竜」ともいうことからも「水廻り」に祀っておくとよいらしい。
「麦わら蛇」もそうだが、駒込富士といえば「麦らくがん」も外せないね。この落雁は富士山の形に抜かれたもので、講中の人の話によれば、

毎年、微妙に味や硬さを変えている

という。それというのも毎年買いに来る人びとの注文で、

去年は甘すぎただの
去年は硬かっただの

口喧しい意見がひとつにあって、それにその年その時の気候に合わせて柔軟に対応しているとのことだ。講中の話を聞きながら試食品をひとつ摘んで、口に入れると何とも懐かしい素朴な味がする。それを二袋ばかり買い求め、山を下りると境内は随分と賑わいを見せている。

折角だから、なにか食べよう

と思って境内をグルグルと歩いていて、ふと脳裏に、

あんず飴

が浮かんだ。それなら、よしと「あんず飴」の屋台を探す。しかし、いざ屋台を探して驚いたのはこれだけ沢山の屋台があるのに、あんず飴の屋台が一軒しかないということだ。あんず飴といえば屋台の定番と思っていただけに、ちょいとショックだ。時代は刻々と変わるものだと感じるね。それでも一軒あったわけだから、早速、あんず飴をひとつ買い求めると、屋台のオバちゃんが、

お兄さん、クジひとつ引いていきなよ

と屋台の左脇に置いてある手製のコリントを指す。コリントには「2」だの「3」だの「5」だのと書かれたポケットがある。そのポケットに入れば書かれた数字分のあんず飴を貰えるというわけだ。

ふーん

と別段、期待するでもなく、軽い気持ちでバーを、

よつぴいてひやうど

と放てば、打ち出されたビー玉がコロンコロン、カクンカクンと釘に当たっては右にチョロチョロ、左にチョロチョロと進み、なんと「2」と書かれたポケットに入ってしまった。

あら、お兄さんよかったねえ
2本当たりだよ
好きなの持っていっていいよ

と言われて、ちょいと小っ恥ずかしいやら嬉しいやら意外やら。取り敢えず、すももを2本頂いたが、境内を出て目の前の少しく落ち着ける場所に立って、ふと、

「すもも」が2本あってもねえ

と手に持った「すもも」の真っ赤で大きなふたつの実を見て少し後悔。

邪道だが、1本は「みかん」にすればよかった

と思いながらも、ままよと歯に絡みつく水飴と格闘して、すももを頬張った。酢漬けにしたすももの甘酸っぱさが口のなか一杯に拡がる。なんだか久し振りに童心に返った思いだ。
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↑駒込「富士神社」鳥居前
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↑富士塚の上から境内を見下ろす。所狭しと屋台が軒を連ねている。
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↑富士神社の「万灯籠」
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駒込「六義園」

JR駒込駅から本郷通りを白山のほうに向かうと、直ぐに「六義園」が見えてくる。
六義園は徳川綱吉の側用人柳沢吉保が手掛けた庭園だ。和名を「むくさのその」という。また「染井山荘」と呼ぶこともある。今あるそれは、吉保が手掛けた頃のと大して広さは変わらないというから当時の大名屋敷がいかに広いかがわかる。
六義園には「特別名勝」の肩書がある。城や寺のように「建物」の場合は国宝っていうのに、同じ定義上にあるのかどうかは知らないけど、「庭園」になると特別名勝と肩書が変わるのはちょっと不思議だが、まあ、よい。
庭園は回遊式に造られていて、随所に茶屋や四阿が設けられている。なかでも「つつじの茶屋」は、明治に建てられた時のままだっていうのだから驚きだ。
府中に住む友人と駒込駅で待ち合わせて、六義園に行くと丁度、ボランティアスタッフによる庭内ツアーがはじまるとこだ。それならってんで、ほかの来訪者の後ろに付いて歩く。
一人で何を気にするわけでもなく、ぶらぶらと庭内を歩いたり、ベンチで休んだりと思い思いに過ごすってえのもよいが、折角、ツアーに居合わせることが出来たんだから、こういうのを素直に利用するっていうのも手だ。所々で解説付きだから、

へえ。なるほどねえ

と思いながら見る景色はまた一味違う。それでいて、ふらっとツアーから離脱して、よいポイントを見つけては足を止めたり腰を下ろしたりして、庭内のそれを眺める。回遊式庭園はこういう自分の好きに時間を使えるところがよい。
今年は例年になく暖冬だが、ここに来て春が足踏みしている。つまり、寒いってわけよ。当然、名物の枝垂桜も咲いてない。それでも日向にいると日差しは結構暖かい。丁度、辛夷の花が満開で日向から巨木を眺めていると、澄んだ空に白い辛夷の花がフワフワって浮かんでるような感じがなんともよい。
その辛夷の巨木の近くに「心泉亭」という茶室が設けてあり、ここで一服いただける。心泉亭は庭を望むようにして開け放たれてあり、一服しながらの眺めは何とも格別だ。
一服いただくっていったって、こういう席での一服にお作法だのなんだのと鯱張る必要はない。まあ、作法を知っていて損はないだろうが、茶会に呼ばれたんじゃあないんだから、楽にしていればよい。
席に着いて庭を眺めているとおうすが茶菓子と一緒に運ばれてくる。
今回の茶菓子は「菜の花に舞う蝶」を象ったとかで、甘いなかにも春らしいさっぱりとした感じがしてよい。
ただ、前面が完全に開け放たれてるため、

寒い

いくら後ろでハロゲンヒーターがフル稼働していても、一台だけじゃあ、とてもじゃあないが吹き付けてくる風で、暖かさなんかは背中に微かに伝わってくるだけだ。流石にこれには閉口した。なんとかのやせ我慢じゃあないが、一服終わるまでは普通に振る舞っていたものの、内心、

こういう寒い日は雪見障子越しからの眺めでよい

と寒がりな僕はずっと思ってた。とうとう、堪えられなくなってハロゲンヒーターと睨めっこする。しかし、新緑が目に眩しい初夏の頃なら、ここで一服しながらの眺めは格別だろう。だから、

今度は新緑の頃にまた来ようじゃあねえか

と思った。
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↑駒込「六義園」正門
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↑六義園名物の枝垂桜だが咲いていなかった
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↑庭内の風景
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↑庭内「藤代峠」からの一望はなかなかだ
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↑茶室「心泉亭」でおうすを一服
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↑心泉亭からの庭内の眺め

初午詣で・中入り「名主の滝公園」

王子稲荷を後にすると、もう夕方だ。しかし、随分と日が延びたものでまだ明るいし、相変わらず露店は賑わっている。今年はいつになく暖冬でそれほど寒くない。折角、王子稲荷まで来たついでだからということで、今し方、来た道とは反対に進む。目指すは名主の滝だ。
名主の滝とは江戸は安政の頃、土地の名主畑野孫八が自邸に開いたのが明治に庭園として整備され、昭和に入ると精養軒が所有したらしい。この精養軒の時代には食堂やらプールなどの施設もあったというが、御多分に洩れず東京大空襲で焼け落ちた。その後、再び整備されて今は区営の公園だ。まあ、名主の滝の来歴はこの辺にしておこう。
回遊式の庭園内には女滝・独鈷の滝・湧玉の滝・男滝の4本が流れ落ちていて、特に男滝は江戸の昔と違って、人工の滝にはなっているが、なかなかに迫力がある。この庭内を好きな順路で、ブラブラと上ったり下りたりして滝を眺め、せぜらぎの傍らで黄昏ていると心地よい気分になってくる。
しかし、この庭園は王子稲荷のすぐ近くにあるというのに、あまり来る人もなく、のんびり過ごすには最適だ。王子という土地柄、ゴチャゴチャと住宅が犇めきあってるなかでここだけは、すべてがゆったりとした感じがする。初夏の頃であれば、先ずは上野「井泉」でカツサンドなどを調達してから、この庭内で適当なベンチを見つけて寝そべって読書などをし、小腹が減ったら、買ってきたカツサンドをパクッと頬張ろうものなら、きっと気分のよい午後が過ごせるだろう。
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↑名主の滝公園入口。王子稲荷のすぐ近く
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↑名主の滝のひとつ「女滝」
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↑同「独鈷の滝」
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↑同「男滝」。これはなかなか勇壮な滝だ。

しまった。「湧玉の滝」を撮り忘れた。まあ、これもご愛嬌というところで勘弁してもらおう。

初午詣で・その二「王子稲荷神社」

装束稲荷を後にして、駅のほうに向かうと「北とぴあ」という北区の施設がある。ここを右に折れるとJR線の高架下を潜れるようになっており、向こう側へ渡るとすぐに坂道になる。この坂道の入口を右に曲がれば「王子稲荷」へ行ける。折りしも初午祭礼ということもあって、道の両脇には露店がずらりと並んでいて、これから王子稲荷へ参詣する人と帰ってくる人とで道はごった返している。さらに露店からは追い討ちをかけるようによい匂いが立ち込めている。それだけで何とはなしに心が躍るのが不思議だ。
そういえば最近の露店は多種多様化が進んでいるよう思う。たこ焼き、お好み焼き、焼きそばといった露店の王道のものから、チキンステーキ、ケバブといった新種まで出てきた。その反面、なくなった露店もある。正しい名称は知らないが、僕が小さい頃に「繭玉ころがし」と呼んでいたものは最近、すっかりご無沙汰だ。繭玉ころがしとは、2、3段のレールが互い違いに斜めに組まれていて、錘の入った繭玉(念のために断わっておくが、本物の繭玉じゃあない。プラスチック製)を最上段から転がすとコロン、コロン、コロンと斜面を転がり落ちるといった、実に子供騙しといっちゃあ、子供騙しの玩具だ。これを露店のオヤジが小気味よい間隔で次から次へと転がしていくの見て、堪らなく欲しかった。尤も、今じゃあ高級玩具の仲間入りらしくて、いつだったかは定かじゃないが百貨店で、偶々幼児向け玩具売り場の前を通ったら、これがあった。しかも子供が口に咥えることを見越してか、造りの全てが木製で、繭玉は車に変わっていた。これを見た時、懐かしさを覚えたけど、露店の子供騙しが一躍高級玩具として立派な値札が付いていたのには閉口したね。
相変わらず脱線が多いなあ。話を戻そう。
よい匂いの立ち込める露店の誘惑を振り払いながら、人の波を掻き分け抜けると目指す王子稲荷の山門が左手に見える。そして、その奥には八棟造の社殿に向かって一直線に急勾配の石段が延びている。適当に参拝した後、社務所に行って王子稲荷の火伏凧を頒けて貰う。装束稲荷が着物のデザインだったのに対して、王子稲荷のそれは奴凧だ。これで両方揃った。今年の火伏せ対策は完璧だろう。しかも、今年の始めには芝愛宕さんの火伏札も頒けて貰っている。これで火の車の台所も鎮火してくれるだろう。頼むよ、お稲荷さん、愛宕さん。
今日は流石に無理だったが、王子稲荷の拝殿はお祓いの時や縁日などの混雑時を除けば誰でも上ることが出来るんだよ。この拝殿の天井が凄いんだ。格天井の一枚一枚に見事な彩色で鳳凰などが描かれている。なかでも龍の絵は谷文晁の作だ。これが誰でもロハで見ることができるっていうんだから驚きじゃあないか。
社務所を左から回り込むようにして奥に進むと、御石様がある。これは自分の願を一心に念じながら石を持ち上げて、その軽重で達成可能かを知るという予言石みたいなものだ。そこで早速、

僕は金持ちになれるのか

とお約束のことを念じながら持ち上げると、かなり重い。折角、火伏の縁起物を方々で買ったというのに、どうやら、まだ当分の間、僕は金とは縁がなさそうだ。ここまで来たついでにと御石様の手前にある階段を上り、さらに上に行くと狐穴がある。穴を覗くと、なかは缶が散乱している。犬じゃあるまいし、狐が缶を咥えてきて、穴に隠してるとは到底思えないから、どこぞの不心得者が捨てていったんだろう。全く仕方ねえな。それはそうと、

ここから狐が出入りしてるんだよ

と連れてきた学生にいうと、学生は「へえ」という感じで穴を覗いている。するとすぐ近くにいた四、五歳くらいの男の子が僕の話を聞いていたらしく、「えっ? ほんと?」という顔をして慌てて穴を覗き込み、また僕の顔を見る。学生がその男の子に、

狐がいるんだってよ

と嗾けると「え? え?」とまたも穴を覗きこむ。

ちゃんとお参りしとかないとね

僕と学生が手を合わせて拝んでいたら、訳もわからぬまま男の子も拝みだす。純心無垢というのは実によいものだね。いや、待てよ。もしかして、実はこの男の子の正体は王子の子狐か。ならば、牡丹餅を土産に持たしてあげなきゃならなかったかもしれないなあ。
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↑王子稲荷に向かう途中、初午祭礼での賑わい
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↑王子稲荷の山門
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↑王子稲荷の拝殿
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↑王子稲荷の脇参道にある狐像2体。銘文には「宝暦十ニ壬午年」とあった(気がする)。

初午詣で・その一「装束稲荷神社」

今年の高島暦を開いてみると、今日は、

干支「庚午(かのえうま)」
九星「四緑(しろく)」
六輝「大安」
十二直「さだん」
廿四宿「心(しん)」
旧暦12月18日

とある。「大安・さだん・心」とは取って付けたのかと思うくらい縁起がよい。そして、2月最初の午の日だから初午だ。
ここ最近、年中行事はできるだけ大切にしたいと考えるようになったが、別に信仰心が深いからじゃあない。季節の移ろいを感じるためでもない。ただ何となくだ。強いて挙げれば、現世利益を一つでも多く欲しいと思っているからだろう。人間、往生極楽を夢見るのもそれはそれで大変結構なことだけれど、矢張り浮世を存分に楽しむのも悪くないだろう。
初午はいうまでもなく稲荷信仰の行事だ。そして、東京にあって初午祭礼といえば王子稲荷神社だ。この時、王子稲荷では初午祭礼と併せて「凧市」が開かれている。
王子稲荷は関八州にある稲荷神社の総社で、正一位と最高位にある。さらに幕府によってその格式は京の伏見稲荷大社と同格と定められた由緒正しきお稲荷さんだ。勝手な想像だけれど、王子を伏見と同格扱いにしたのは多分、その昔、伏見と王子のどちらが格上で揉めたか、揉めそうだったから、幕府が「ハイ、ちょいとごめんなさいましよ」という感じで間に入って、その対立を沈静化か回避かをさせたんだと思うよ。断わっておくけど、あくまで勝手な想像だ。調べたわけじゃないから、耳半分というところで止めておくように。
さて、その王子稲荷はJR王子駅から一度線路の高架下を潜り、西側に出て台地の中腹あたりを地形に沿うように歩いて数分のところにあるわけだが、「それっ」と駅を下りて直行しちゃあいけない。まづはJR線を挟んでほぼ向かいくらいに位置している装束稲荷神社に参詣しなくちゃね。
装束稲荷というのは駅の東口側の商業区を少し赤羽方面に外れた一隅で静かに佇んでいる小さなお社だ。メインストリートはそれなりに大きなビルが屹立しているが、王子という一帯も裏道を一本入ると、川北地域らしいゴチャゴチャした街だ。その裏道を進むと祭囃子が聞こえ、左手に赤い幟が見えてくる。
ところで、なんで王子稲荷に直行せずに、わざわざ装束稲荷へ参詣したのかというと、江戸時代、王子一帯は飛鳥山を除けば(といっても飛鳥山とて将軍吉宗が桜を植えさせるまでは、ただの小高い丘山だったしね…)田畠しかない風光明媚というか閑散とした物侘しいところで、その田畠のなかに一本の榎が立っていた。この榎というのが、大晦日になると関八州のお稲荷さんの使いの狐が集まる場所で、ここでお狐さんが装束を正してから、王子稲荷に参詣した。だから、王子稲荷にとっても大切な場所なわけよ。しかし、王子稲荷に比べてかなり知名度は低いのが哀しい。尤も、肝心の榎の大木は明治中頃には枯れたらしい。しかし、話はそれだけじゃあ終わらなくて、役人どもが道路拡幅のために切り倒してしまったというんだから、人間の業の深さを感じるね。今の榎は何代目の子孫なのかはわからない。
その榎の脇のお社へ近所のお爺ちゃん、お婆ちゃんの後ろに並んでお参りする。若い人など殆どいやしない。精々いても子連れのお母さんだ。
ここのご利益はその名に「装束」と冠しているだけあって、お参りすれば、服には一生困らないという。
お参りを済ませ、脇から出ると地元町内会から甘酒が振る舞われた。ビルの裏手のため、日陰でちょっと寒かったからこういう振る舞いは有り難いね。甘酒で体を温めると、無理矢理取り付けたような社務所で火伏せの凧を頒けて貰う。この凧がなかなか洒落たデザインで、着物の形をしている。レア物を頂いた嬉しさから、思わずニヤリ。信心深くもないのに変わった御札を方々へ頒けて貰いに行ったりして、その度ごとにニヤつくのだから、相変わらず危ない野郎に見えただろう。
火伏せの凧を頂いて、少しすると祭囃子がまた鳴り、今度は獅子舞が始まった。

ほお、珍しい。どぉれ、ひとつ見て行こうか

と見物。正月の縁起物として百貨店でお気持ち程度でやるそれとは違い、地元町内会で保存している獅子舞なのか随分と獅子舞もオヤジも年季が入っている。オヤジが舞い始める前に、社務所の上に誂えた舞台の若い囃子方に向かって、

お前ら若いヤツらに教える意味で、俺がやってやるんだからしっかり見てろよ

とは、なかなかに威勢がいい。舞い始めると、まあ、それなりによい動きだ。祭囃子の音色も軽やかで思わず、見入ってしまった。

いいものを見たな

とちょっと嬉しくなる。
しかし、この獅子舞見物には後日譚があって、1時間後に某大学の学生を連れて、またこの装束稲荷に戻り、今度は地元町内会の人達が売っていた「たこ焼き」を長椅子として代用した会議用テーブルに腰掛けて、熱さにハフハフしながら一つ二つと食べていたら、稲荷社の前の瀬戸物屋からオバちゃんが出てきて、僕と連れの学生に温かいペットボトルの緑茶を振る舞ってくれた。そして、ひと言。

あなたたちの獅子舞よかったわよ。オバちゃん感激しちゃった。これからも頑張ってね。

完全に誰かと勘違いされている。第一、祭装束に身を包んでいないし、獅子舞を演じていたら、顔なんかわからないじゃあないか。しかし、まあ、そこはオバちゃんに話を合わせて、

ありがとうございます

と素直にお礼をいう。はっきりいって詐欺だろう。しかし、きっとこれは装束稲荷のご利益だと勝手に都合のよい解釈をしながらも、早々に装束稲荷を後にした。
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↑王子の装束稲荷神社。脇に神木の榎が植えてある。
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それでは「春夏冬、二升五合」をお願いまして、皆々様の御手を拝借。

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熊さん。今のお人で何人目だい?
著者寸描(プロフィル)

浮世名詮〔うきよのめうせん〕

Author:浮世名詮〔うきよのめうせん〕
東西東西~。
さて、これより語りまする者はその名を「名詮」と申しまする。

性格は可成ふざけて居りまして、朝イチから行動すればよいものを、昼も過ぎ、夕闇の濃くなる頃から東都のあちらこちらへ出没し、状況に応じて色々な人物を演じ分ける素ッ惚けた根無し草。

まあ、気楽に気楽にお付き合い下りまするよう、隅から隅まで、ズズいっとお頼み申し上げまする。

先づは

乍憚口上
乍憚口上」つづき
乍憚口上」むすび

を一読下さりまするようお願い申し上げまする。

千穐萬歳大入叶

熊八ブログをケータイしておくれっ
ちょいと、そこのお前さん。無視していくんじゃないよ。めうせんの「熊八ブログ」がケータイでも見ることが出来るっていうじゃあないか。おや、知らない?まあ、この人はなんて野暮なことをいいなさんのかねえ。
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