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新宿「永坂更科布屋太兵衛」出店

スカラ座を出て時計を見ると6時半少し前。いい時間だ。取り敢えず新宿駅方面に向かって歩くと街はリーマンでごった返してる。
久し振りなんで寄り道しようと、AVIREXに入ってパンツを物色するが、どうもイマイチ食指が動かないから何も買わずに出る。その後、紀伊国屋に寄り、雑誌を買う。

「東京大人のウォーカー[早春号]浅草・上野のうまい店30軒/食人探訪「銀座・新橋」/名城で桜」(角川クロスメディア,2007年3月号)

これは面白そうだ。
ちょっと寄ってただけのはづが、もう7時を15分も過ぎている。駅地下のルミネエストの一隅で、

さて、どうしよ、か。何を食べるかな

と考える。候補は三つ。新大久保の「近江屋」と三丁目の「味さんじょう」と高島屋のなかの「布屋太兵衛」だ。時間的に外の場所に移動する余裕はないから、この三店に絞るしかない。

布屋太兵衛はまだ行ったことなかったな

と決めて、再び地上に出ると高島屋に向かって歩く。この時間になると風も随分と冷たいから、自然と歩みも速くなる。
新宿高島屋の食堂街(レストランズパーク)に入っている「永坂更科布屋太兵衛」の本店は麻布十番に構えていて、ここは出店だ。麻布十番といえば布屋から大して離れてないところにある「更科堀井」も有名だ。というよりも「更科堀井」が本来の「布屋太兵衛(永坂更科)」で、たしか戦後の食糧難・経営難の時に自分達が生き抜くために、寛政期から続く登録商標を売ってしまったというわけだ。そういう意味では今ある「布屋太兵衛」は別系統の店だといってよい。
新宿の布屋はなかなか小洒落た落ち着いた作りで、大きな窓からは南口の夜景が眺められる。店全体でゆったりとした空間を演出しているが、妙に優しい感じの明るさが少し面白くない。テーブルの上に吊り下げられた淡い照明に夜景はカップルにはたしかにいいムードを演出しているが、一人でふらりと入ったら味気もあったもんじゃない。況してや窓側の席に案内されると、

なにも蕎麦屋でそんなにムードを作らないでもいいじゃあないか

変なところで臍を曲げてしまう。曲げながらビールを付出の枝豆でちびちびとやっていると名物の「御前そば」が運ばれてくる。更科特有の白い蕎麦がさらに白味がかっている。
堀井もそうだが、布屋の蕎麦は客の好みに応じようと最初から「から汁」と「あま汁」の両方のつゆが用意されている。これをそのまま、からくち、あまくちで蕎麦を手繰るもよし、二つを混ぜ合わせて程よい味のつゆを自分で作るもよし、といった具合だ。僕の場合はからくちで蕎麦を手繰り、あまくちで蕎麦湯を飲む。
真っ白の蕎麦にたっぷりと七味を振り、ちょこっとだけつゆをつけて素早くズズーッと手繰る。今は新蕎麦の季、堂々と?このズズズっと音を立てて、ひと噛みふた噛みで喉の奥に送るのが実に気持ちよい。合間合間のビールも程よく、キレイに蕎麦を平らげたら、残しておいた薬味の葱を落として熱い蕎麦湯を注ぐ。そして、ゆっくりと飲む。
折角の新蕎麦に薬味の葱は余計だ。葱の匂いが蕎麦の香りとぶつかってしまうから、どうしても葱が入れたければ、食べ終わった後に入れて、蕎麦湯で飲むのがよい。そうすれば蕎麦の邪魔にもならないし、葱の匂いと食感が楽しめる。
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↑新宿出店「布屋太兵衛」の外観
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↑布屋のビールと枝豆
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↑布屋の「御前そば」
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映画「犬神家の一族」

夕方、久し振りに新宿三丁目のレインボーヴィレッジのなかにあるスカラ座に映画を見に行く。先月(昨年末)から公開していた市川崑監督・石坂浩二主演「犬神家の一族」は1976年のリメイク版だが、正直言って前作を凌駕するものではなかった。
あまり前作贔屓にはなりたくないんだけど、どうしても同じ作品を同じ監督が作ったら、「あの時はどうだった」とか比較してしまう。
前作はテレビで過去に何度か見たけど、矢張り監督も周りもまだ若かったから全てがエネルギッシュだったように思うな。セットの作りなんかも全然、重厚感が違う。同じ金箔を押した襖でもね、前作はおどろおどろしさっていうか大屋敷の持つ重い雰囲気が出てたんだよ。
それにキャスティングも石坂は老け過ぎて論外。テレビでやってた古谷一行の金田一に雰囲気が随分近くて、原作からかけ離れた感じは否めないね。まあ、映画と原作は違うものとすっぱり切り捨てればいいのかもしれないけど、それでも、

年とったなあ
リメイクだからってなにも金田一まで石坂にすることもあるまいに

という感じだ。
松子にしてもそうだ。前作の高峰三枝子の方が、今回の富司純子の松子より数段にふてぶてしさがあって、それでいて矢張り子供を必死に守ろうとする母親の健気さが出ててよかった。今回の富司は子供を必死に守ろうとするところはよく表現できてたけれど、高峰がやったようなあの女の持つ独特のふてぶてしさが感じられなかったなあ。
エンディングも前作とまるっきり同じじゃあ芸がなくて詰まらないけど、それを別にしても金田一の飄々とした雰囲気がうまく醸し出されてなかったように思う。全体的に消化不良気味。

早稲田「亀鶴庵」

午後の早い時間から、用事で早稲田に行く。用事を一頻済ませたら、もう夕方だ。大寒を過ぎたとはいえ夕方になると寒い。早稲田の学生もぞろぞろと帰っていく。僕も一緒になって地下鉄の駅に向かって歩くが穴八幡宮の前に出ると、ふと、

久し振りに早稲田の古本屋街を覗いてみるか

と思い立って、坂を上る。早稲田の古本屋街は神田神保町の古本屋街ほどではないにしても、古本屋が密集している地域でそれなりに良質の本が揃う。近頃流行のマンガ本を専らとする大手チェーンもさすがにこの古本屋街のど真ん中にはない。もっとも地下鉄駅の近くには〔B〕っていう古本屋ができてるらしいが、まだ行ったことはない。まあ、行ったところで、それほど期待できそうなものもないだろう。
高田馬場に向かう道をのんびりと歩き、店頭のラック本を眺める。今日は本格的に本を探してるわけじゃないから、気楽に眺める。こういう専門書を扱う古本屋もたまにラックで面白い本を出してことがある。大体は全集の端本やら新書、ありきたりの文庫といったところだから、あまり期待はしない。この期待していないからこそ、見つけた時は即買だ。今回は某店のラックで古雑誌を2冊購入する。

「国文学―解釈と教材の研究/食の文学博物誌」29巻3号(1984年3月)
「同上/近松・語りの世界劇場」30巻2号(1985年2月)

また高田馬場駅まで進もうとして、直ぐ前で「亀鶴庵」の看板ランプが光ってるのが目に入る。寒くなってきたし、時間ももう6時に近いし、ちょっと軽く何か腹に入れておこうかと暖簾を潜る。
建物もさることながら、店内も昔ながらの町の蕎麦屋で、外には出前バイクもある。随分と前からここにあることは知っていたが、早稲田に来る時は大概、この店が中休みの時間帯ってやつで、夕方ともなれば早々に地下鉄の早稲田駅から乗ってしまうことが多いから、なかなか縁がなかった。
寒いから、まづは温まろうと酒を燗にしてもらう。入れ込みの座敷に置いてあるテレビで流れているニュースを見ながら、熱い燗酒をグイッと一杯飲み干すと、喉から食道にかけて熱さが拡がってくる。ふぅと一息ついて、もう一杯。ここで一服して、店のオバちゃんに「ねぎせいろ」を頼む。
少しして出てきた「ねぎせいろ」はつゆから湯気が立ち込めて、いい匂いがする。早速、蕎麦に七味を振り掛けて熱々のつゆに浸すようにつけて啜る。つゆのなかには葱と刻んだゲソ天が入っている。濃いめのつゆがゲソ天の衣に染みていて、これを蕎麦と一緒に啜るともう堪らない。熱燗がさらに旨さを助長する。ねぎせいろといえば上野の駅前にある「翁庵」もよいが、この亀鶴庵のそれもよい。あっという間に平らげて、蕎麦湯でつゆを飲み干し、合間に酒を流し込む。自分では、

ほんのりと赤い顔になったかもな
まあ、いいや。赤い顔してて恥ずかしい時間でもあるまいし

と思いながら、つゆを最後まで飲み、さらには蕎麦湯で碗を洗うようにして飲み干すと、もう6時を30分も過ぎている。「ごちそうさま」って声を掛けて外に出ると、日もとっぷり暮れていた。高田馬場まで歩くのは止めにして、今来た道を早稲田駅のほうに引き返す。
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↑早稲田「亀鶴庵」の外観
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↑亀鶴庵の付出で熱燗をまづ一杯
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↑亀鶴庵の「ねぎせいろ」

梅島「泰山」2

4日間連続して一日あたりの睡眠時間が3時間以下だと流石に仕事に身が入らなくなってくる。行き帰りの電車で只管に寝て、少しでも睡眠時間を増やすしかない。こういう時、片道1時間半(うち、1時間乗車)の通勤時間は助かる。しかも行きは下りで帰りは上りっていうのは車内がガラガラで静かだ。ぐっすりと眠れる。まあ、たまに運悪く元気なオバちゃん達が乗ってきて、隣でデカい声でペチャクチャやられると、折角、静かで快適な車内だったのに、オバちゃん達の声が耳に入り、寝たくても寝られなくて閉口するが。
今日は行きも帰りもしっかりと車内で爆睡できた。帰りの電車では乗換駅の一駅手前で目が覚めたから、

さて、今夜は何を食べよ、か

と考える。すぐには浮かばない。こういう時は決まって途中下車する。ダラダラと「あーでもない、こーでもない」と考え抜いてるうちに、いつの間にか最寄り駅に着いてしまうからだ。そして、そういった考えがまとまらない面倒臭い時の途中下車は大抵、梅島駅だ。ここには「梅華」と「泰山」があるからだ。駅に下り立つと、もう腹は決まってる。

今日は「泰山」にしよ

駅前の旧日光街道を右に直進する。途中に漫画本を主体に古本を手掛けている大手メーカー〔B〕があり、その前を通り過ぎようとして、

そういえば寝しなに読む本がなくなったなあ

と思い出し、泰山に行く前に寄る。105円均一棚の文庫本を物色して面白そうな本を取り敢えず3冊ばかり買う。

種村季弘著『江戸東京《奇想》徘徊記』(朝日文庫,2006年7月)
『昭和天皇独白録』(文春文庫,1995年7月)
全国歴史散歩シリーズ30『和歌山県の歴史散歩』(山川出版社,1978年7月)

漫画本を主体にした大手古本メーカーは、文庫本の価値を軽視してるから、良くも悪くもこういう掘り出し物が出てくる。もっとも、その反面、売れている漫画以外の価値しかわからないから、べらぼうな値段を付けてて驚かされることもある。この前も、ここの〔B〕ではないが、別の店舗で池波正太郎の絶版でもない定価400円程度の文庫本に「300円」という値札が付いてるのは唖然とした。まあ、それはいい。話を戻そう。

「泰山」に入ると、夜飯の丁度よい時間にもかかわらず、珍しく空いている。駅を下りてから、今日はご飯ものにしよと決めてたんで、カウンター席に座ると「カニ炒飯(蟹粉炒飯)」と「水餃子」を頼む。できるのを待っている間に一服しながら、今し方買ってきた文庫を適当に取り出すと『昭和天皇独白録』だった。パラパラとページを捲ってるとカニ炒飯と水餃子が運ばれてくる。
泰山はご飯ものがいづれもよい。恐らくこの店オリジナルの調味油が僕の好みに合うからなんだろう。程よい濃さに味付けされたカニ炒飯の小山を手前から少しずつ崩しながら食べる。また、この店は熱々の水餃子もよい。塩味の効いたスープのなかに浮かぶ餃子と野菜の上へ多めにラー油を掛け回し、ガブっと食べる。熱さに口からホ、ホ、ホと白い湯気を吐き出しながら、少しずつ飲み込むようにして食べるのがよいのだ。炒飯と水餃子を交互にすっかり平らげて、一服すると「満足、満足」って感じでよい心持ちだ。「ごちそうさま」と支払いを済ませて外に出た。息を吐けば白く出るが、思ったほどに寒いとは感じない。「今日は昨日よりは幾分暖かいようだ」と来た道を梅島駅へ戻る。
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↑泰山の「カニ炒飯(蟹粉炒飯)」と「水餃子」

梅島「梅華」

今日は國學院大學博士課程の院生が仕事の手伝いに来る。土産ってことで図録を貰う。

「國學院大學所蔵の牛玉宝印」(國學院大學神道資料館,2004年3月)

図録の説明はわかりにくいとこもあるが、オールカラーっていうとこはよかった。これで牛玉宝印について益々興味が出てきた。
仕事を終え、駅で國學院の院生と別れると車中では爆睡。ここのところ色々あって睡眠時間が以前に増して少ないのだ。これも10年来の夜型生活がいけないことくらい頭ではわかってるんだが、体がいうことを聞かない。改善しないととは思うんだが、あくまで思うだけだ。
深い眠りから目が覚めてもまだ乗換駅じゃあない。こういう時は通勤時間が長いっていうのは助かる。しかも帰りは上り線の上、ダイヤ改変されてからは始発になったんで、間違いなく座れるっていうのもよい。
目が覚めると考えることは、

今晩の飯は何にしよ

ということだ。腹の空き具合からすればガッツリ行けそうな気もするが、最近の僕は一時期に比べて随分と食べる量が減った。そのため、行く店も随分と限られる。テレビの特集とかでやってるような「特盛り」とかは見てるだけで、胃がおかしくなりそうだ。よくもあんなに食べられるもんだと感心する。まあ、その分、呑む回数が増えてしまって、困ってるっていっちゃあ困ってるんだが。

今日は取り敢えず「梅島」で下りよう

と決める。梅島駅を下り、目の前の旧日光街道を右に進もうとして足が止まった。下りた時から決めていた「泰山」の看板が遠目に見て暗い。

もしかして、今日は定休日だったか

徒労に終わりたくないんで、直ぐ様、変更して駅の目の前にある「梅華」に入る。駅の改札からなら、斜め右に見て30歩と歩かないだろう。それくらい梅島駅の目の前にある。
「梅華」は高校時代、土曜日に授業が終わるとよく行った店だ。大学に入るとすっかりご無沙汰してしまい、それからは随分と行く機会がなかったんだが、ここ数年になって、また通うようになった。昔と全く変らない。変ったのは店主が若くなったことくらいだろう。確か高校の時分に通ってた時は爺さんがやってと思うんだが、それも今じゃ朧気な記憶だ。
この店はなんといっても「ヤキソバ」がよい。腰のある麺がソースと実によく絡んでいる。家庭で作ろうと思っても、矢張りあの味は出せない。そこは街の中華料理屋といえどプロだからだろう。勿論、ヤキソバばかりではない。この店の料理はいづれもたっぷりとしている。ラーメンにしても運んでる間に汁が零れるんじゃあないかと思うくらい、目一杯入ってる。今日は外が寒いこともあって、体が温まるものを食べようとヤキソバを止めにして「味噌ラーメン」にしたが、これとて、もやしが堆く盛ってあり食べ応えある。
しかし、まあ、店の片隅で、味噌ラーメンにラー油をかけ回し、胡椒をたっぷり振ってハフハフ、ズズズーッと食べながら、貰った牛玉宝印の図録のページを捲ってるなんぞは「行儀が悪い」って怒られそうだが、こういう癖っていうのはなかなか治らない。
すっかり食べたが汁は流石に飲み干せず、半分ほど残す。
支払いを済ませて店を出ると目の前は駅。身体も温まり、いい心持ちになって寒空の下を少し歩くのもよいが、寒さに体を屈めることなく駅に着くっていうのもよい。
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↑梅島「梅華」の外観
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↑たっぷりとした梅華の「味噌らーめん」

シウマイあれこれ

ちょっと用事で横浜方面に行く。横浜駅といえば、やはり駅前南口にズデンと聳えている「崎陽軒」本店であり、昔ながらのシウマイだろう。昼時には関東圏(それ以外の地域は知らない)はCMも流れているそうだ。
横浜駅東口のポルタは東口地下を放射線状に広がり、そごうやマルイと繋がっている。そのうちの一路は崎陽軒の地下とも繋がっていて地下街に直営の軽食処がある。いつもは地上階の本店で「シウマイ」を買うんだけど、今回は横浜の友人と待ち合わせていて、時間的に地上まで出ていく余裕がなかったから、地階の軽食処でシウマイを一折買った。これを明日の朝、温かいご飯で頂くつもりだ。
崎陽軒の「シウマイ」を話題に出したんで、今回は横浜の「シウマイ」の話で脱線していこう。
横浜に行く時は土産ってことで、崎陽軒に限らず、よく「シウマイ」を買う。手軽でいて旨く、ご飯やビールと非常に相性がよいからだ。近所のスーパーで売ってるシウマイと比べるのは申し訳ないが、シウマイを売り物にしている店は矢張り全然違う。最大の違いは小ぶりなものでも具がギュッと詰まっていることだ。だから当然、歯応えがあり、口のなか一杯に旨味が拡がる。
例えば、中華街のなかに「清風楼」という小体な店がある。この店はたしか戦後の昭和25年頃の開業で、家族ぐるみで手を広げずに地道な営業で今日に至ったというような店だ。シウマイもその雰囲気を伝えていて、いかにも手作りといった感じだ。一つ一つの形こそ歪だが、具は溢れんばかりに入っていて、箸で一つ摘み上げるとその重量感を主張している。それにこの店は中休みの時間もシウマイの販売だけはしてくれるとこがよい。いつだったか行った時は、丁度、中休みの時間帯だったが、従業員は休むことなくシウマイを買いに来る客を次から次へと捌いていた。僕としては、こういう店のほうが利用しやすい。
もう一店は「博雅亭」だ。この店の創業は古く、たしか明治初年頃だったように思う。今は伊勢佐木長者町の店舗はたたみ、同じ伊勢佐木長者町の松坂屋と上大岡の京急百貨店でシウマイのみ販売している。博雅のシウマイは僕が語るまでもなく、既に有名な店だが、その名に奢ってないように思う。割合に大振りなシウマイは温かいご飯で三つも食べれば、僕などは十分満足だ。温めたシウマイをシンプルに溶き芥子をたっぷりつけ、ビールの肴としてガブリッとやるのもよいが、包丁を入れて半分にし、茶漬碗のような深めの碗に半分程ご飯を入れ、揉み海苔を撒く。そして、その上に半分にしたシウマイを五つ、六つ並べて醤油をかけ回し、さらに七味を適量振り掛けた「シウマイ丼」にするのが気に入った食べ方だ。
もっとも、この「シウマイ丼」は元があって、某店でサイドメニューとして出しているものだ。某店の丼はもうひと手間加えてあって、揉み海苔と一緒に大和芋のごく薄くスライスしたものが何片かと白髪葱が入っている。大和芋と葱の組み合わせが意外とシウマイに合う。特に大和芋のサクサクとしてて甘みのある食感がよい。これを食べた時に「うん、イケるな」って思って、作り方を真似したまでのこと。けど、シウマイを買った日に運良く大和芋と葱があれば、某店と全く同じ作り方をするが、余程に大和芋が好きで年柄年中食してるなら兎も角も、普通の家で大和芋を常備してるってことはそんなにないだろう。まあ、それならできる範囲で手を変えてってことで、大和芋と葱は省いて、替わりに醤油と七味で味付けしたらどうだって感じで試しに加えたわけよ。
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↑崎陽軒の定番商品。「特製」もよい。
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↑中華街「清風楼」の外観
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↑清風楼のシウマイ。
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↑博雅亭のシウマイ。

梅島「泰山」

梅島というところは旧日光街道を中心にして南北へ伸びた地域で、非常に雑多な町だ。昔ながらのゴチャゴチャした感じが残ってて、悪く言えば川北・川東らしい泥臭い町だ。とてもじゃないが洗練された雰囲気なんかはありやしない。駅前からすでに狭小住宅が軒を連ねてて再開発のメスなどは入る隙がない。そのため、昔ながらの店が今なお健在で、仕事帰りにはよく立ち寄って酒飯することが多い。
今日もそれで、帰りがけに本屋へ寄ると、

「東京人―特集・たてもの保存再生物語part2」(都市出版,2007年2月号)

が面白そうなんで買い、どこか適当な場所で飯でも食べながら読もうと、梅島で途中下車した。駅の改札を出ると目の前に旧道が左右に走っている。これを右に曲がって進む。こういう駅は駅前がロータリ化してないため、それほど広範な地域発展はしない。少し歩くと随分薄暗くなる。その薄暗くなるあたりにポツンとあるのが中華料理屋の「泰山」だ。
「泰山は」間口が広く奥行きがないといった、いかにも土地の狭いところに見られる店で、申し訳程度に用意されたテーブル席が一つとあとは間口にあわせて、これまた長いカウンタばかりの店だ。
余談だが、あとでこの間口が広くて奥行きがない建物の構造を某大学で建築を学んでいる学生に「うなぎの寝床」に対してなんというのかと聞いたら、

「90度回転して見て…「うなぎの寝床」かな?なんとなくだけど」

っていう楽しい回答が返ってきた。
この店ははっきりいって、当世流行のWスープだの、背脂なんちゃらだの、ナントカ系のオリジナルラーメンを売り物にしてる店ではなく、街中のごくごく普通の中華料理屋に過ぎない。店内は経年の油汚れで拭いても埒があかないくらいだが、それでも手の届く範囲で拭き清めているようにも思える。
「泰山」はなんといっても餡かけ系がよい。特に僕が気に入っているのは「天津丼」と「五目ヤキソバ」(什錦炒麺)で、今日は「五目ヤキソバ」にした。濃いめのダシが効いた具沢山でとろりとした餡が少し焦げ目の付けた麺によく絡み、食欲がそそられる。これにラー油を掛け回し、麺を熱々の餡に絡まして食べる。さらにビールをあわせるともう堪えられない。酒を飲みながらの食事だから分量も丁度よい。
ひょいと平らげ、食後の一服のお供に残しておいた一杯分のビールをコップに注ぎ、ふと左のほうに目をやると、土地柄から男性客ばかりと思いきやカウンタで若い二人組の女性客がビールを注ぎ、炒め物やらラーメンなどをほかの男性客に混じって食べている。こういう風景は気取りのない川北・川東一帯ならでは風景にも思える。
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↑梅島「泰山」の外観
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↑泰山の「五目ヤキソバ(什錦炒麺)」と「水餃子」

愛宕様へは月まゐり

世の人様は本日から仕事始めらしいが僕は明日から。一日多い休みを利用して、今日も東都をぶらりと歩いてみようと珍しく午前中に起きる。朝風呂しながら、ぼんやり何処へ行こうかって考える…色々浮かぶなかで、

「拝島(大師)か愛宕さんだな」

と二つまで絞れた。ここまで範囲が絞れればもう問題はない。身支度を整えて出発。しかし不思議だ。午前中(といっても10時を廻っていたが…)に起きてるのに家を出たのは午後1時。二時間も何をやってたか記憶にないが、まあ、諸々の用事を片付けてたということにしておこう。
この時間だともはや頭のなかから「拝島」は消えて、

「愛宕さんだな」

と行き先が決まる。今度は昼飯を何にするかだ。時計を見ると午後1時もとうに30分を廻っているという微妙な状態のため、軽いものでよい。そうなるとやはり蕎麦屋に行き着く。

「蕎麦屋に行くとしたら、久保町の「砂場」か新橋の「能登治」だ。あとは時間との勝負だ」

こうなれば兎に角移動するしかない。神谷町までは地下鉄一本のため、乗ればただ揺られ揺られてするだけで着くが、時間は午後2時を気持ち何分か廻っている。イチバチ賭けて久保町を目指して行くが見事に撃沈。暖簾は掛っているもののやってる気配がない。どうやら久保町砂場(巴町砂場)は「中休み」に入ったようだ。仕方ないと諦め、愛宕トンネルを潜り、愛宕神社正面に廻る。目の前に85段の古びた石段がデンと聳える愛宕山の山頂目指して真っ直ぐ伸びている。これが有名な「出世の石段」だ。この階段を「1、2、3、4、5、6…」と数えながら上ると途中で息切れが始まる。普段から歩いているがこの階段はやはりキツイ。しかし、ここで立ち止まっちゃったら、出世はないなってことでひたすらに「…82、83、84、85」と上り切る。

「よし!これで出世だ」

我ながら時々「単純だなあ」と思うが、まあ、ハーハーと息を切らしながらも一度で上り切れたんだからよしとしよう。
愛宕神社は「出世の石段」を見てもわかるように、開運の神様として近くの企業の尊崇を集めているようで、会社ぐるみ、部署ぐるみの参詣が目立つが、芝居、落語、講談、はたまた江戸時代について少しでも齧っている諸氏には「火伏せ」の神さまというイメージもついてこよう。
参詣を済ませ、社務所に向かうと破魔矢や御守を買っている人達に混じって僕も「火伏せ」の御札を頒けて貰う。
これで今年の僕の台所も少しは鎮火してくれることを願う。なにせ川柳に、

色男金と力はなかりけり

よい男貧乏神の氏子なり

と詠まれているように「色男」は金がないのだ。言い換えれば年柄年中、金欠の僕は「色男」なのだとも言える。しかし、今年は「火伏せ」の御札を頂いたんだから、少しは「金」にご縁があることだろう。ただ、ご利益があると今度は僕が「色男」の座から転落すると言うことになる。

「金」を取るべきか「よい男」をとるべきか。それが問題だ。

ハムレット張りの苦悩だ。
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↑芝愛宕神社の「出世の石段」。結構馬鹿にできない辛い85段
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↑芝愛宕神社本殿を将軍梅と一緒に

新橋「能登治」

愛宕さんへの参詣も無事終えて時計を見ると既に3時。流石に腹も空いてきた。久保町の「砂場」は夕方まで休みに入ってるため、ここは中休みのない新橋「能登治」だと決める。愛宕から「能登治」に行く途中に忠臣蔵で有名な浅野内匠頭切腹の地の石碑がある。この石碑の不思議なのは、なぜか車道に向けて碑と説明板が建ててあることだ。車に乗ってたら一瞬で通過。誰が車のなかから見るんだろか。
そんな疑問も空腹がさっさと消し飛ばしてくれて、足は「能登治」に向かう。
「能登治」は新橋の繁華街から気持ち少し離れたとこにある。江戸の頃は赤坂にあったようで、当時は「能登屋」と名乗っていたという。明治になると赤坂から新橋に移り、その際に元号から「治」の一字を頂いて「能登治」としたらしい。間口が狭いため、注意して歩かないと通り過ぎてしまう。
時間が時間のため、暖簾を潜ると客は三組程度しかいない。しかし、ゆったり過ごすにはそれくらいのほうがよい。席に着いてゆっくり品書きを見る。店側も別段急かそうとはしない。仕事で新橋にいるわけじゃないから、新年早々に昼酒としてビールを頼む。寒い空の下にいたため、蕎麦はやはり身体が温まる「かけ」系がよいな、ということで蕎麦は「月見」。店員が奥に注文を回す時、「十五夜」って言う掛け声は洒落ている。「年柄年中、十五夜じゃ風趣に欠ける」などと野暮なことはいっちゃあいけない。素直に「ここの蕎麦屋はなかなか洒落てやがる」って思いながら、ほくそえめばよいのだ。
七味を振り掛け、黄身を箸でつぶさないようにして、ハフハフしながら蕎麦を啜る。すっかり冷えてた身体が内側から少しずつ温まってくる。三つ葉の香りもよい。黄身以外をすっかり平らげると、箸で残った黄身をそーっと割り崩し、つゆとよく混ぜればこれで「肴」が一品できた。江戸前のつゆも黄身が混ざるとなんともいえない円やかな味になる。これでビールを呑むと実に満ち足りた気分になる。況してや昼下がりのビールだ。寒空の下のリーマンには「悪いね」って思いながらも月見で呑むビールに気分が満ち足らないわけがない。
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↑新橋「能登治」の外観
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↑「能登治」には僕のお気に入りの「赤星」が置いてある
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↑能登治の「月見そば」

十二社の森

能登治でゆったりと午後のひと時を過ごし、ちょいといい気持ちで外に出る。

「さて、久し振りに映画でも見るかな」

と思い、早速地下鉄で新宿に移動する。しかし、能登治でのんびりし過ぎたためか仲間由紀恵主演「大奥」と石坂浩二主演「犬神家の一族」のいづれも新宿三丁目に着いた時分には上演が始まってしまい断念する。それならコマ劇のほうも行ってみようか、という気はない。上映は大体似たり寄ったりの時間だからだ。

「こうなったら十二社でもお参りしてこよう」

十二社は新宿西口の都庁裏にある中央公園の一隅に鎮座している熊野神社のことだ。正確には十二社の森が中央公園になったといったほうがよいだろう。江戸の頃は日帰り行楽地の一つだったらしいが、当然そんな面影など高層ビルの森に囲まれた現在にあろうはづがない。それでも冬の夕闇が濃くなる頃に行き、都庁の裏にも拘わらず鬱蒼と茂った森に佇んでいる熊野神社の姿を見ると一瞬、

ここが都庁の真裏だとはねえ…

くらいには思えるかもしれない。
参拝を済ませてから社務所に寄る。都内でもこれくらい大きな熊野神社となれば、ひょっとして「牛玉宝印」の御札があるかも知れない。そう思って聞くと見事に撃沈した。東京でもいくつかの神社は「牛玉宝印」の札を頒けてくれるらしのだが、いまだに何所だかわからない。
そして、今日は久保町砂場、映画、牛玉宝印と撃沈することが多い。
ちょっと「牛玉宝印」について脱線しておこうか。
この「牛玉宝印」札は神棚に祀るような定番の短冊形のものではなく、半紙の半切くらいある紙に独特の字体(カラス文字と呼ぶこともあるらしい)で書かれたものだ。色々な系統のものがあるが、やはり熊野本宮のものが第一だ。ちなみに僕は相州大山の大山寺版宝印(大山寺では「カラス札」と呼んでいる)は持っている。
この札は裏面に武将が起請文を書くことで知られているが、僕などには武将の起請文より、遊女の起請文ってほうのイメージが強い。好きな男と逢瀬の約束手形として遊女が差し出す起請文。こんなものを頂けるのは男冥利に尽きるってものだ。なにせ書けば熊野の使いである烏が三羽死ぬわけだ。熊野の霊獣を殺してまで「ぬしさんのために」と誓われて嬉しくない人はそうはいまい。しかし、

傾城の恋はまことの恋ならで金持つて来いがホンのこいなり

という核心をついたような狂歌があったはづ。それとも落語の枕だったかな? この狂歌だったか枕だったかを同じ園内の「白糸の滝」前にあるベンチで都庁を見上げながら一服してて「なんだっけなあ、こんな感じだったかなあ」程度で思い出し、手帳にメモってしまった。あくまでメモだから正確なやつはわからないけど、家のどこかにある本を開けば出てくるよ。たぶん。わざわざ調べる気はないけど。
まあ、正しい台詞がわかろうとも、貧乏神の氏子である僕には遊女の願いを叶えてやるなどは到底無理な相談だ。遊女とよい男は所詮相容れぬ存在なのかもしれない。
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↑新宿中央公園の白糸の滝前から眺めた都庁

足利の厄除大師・その二「薬師寺」

竜泉寺の開帳を拝して本堂を出る。時計を見ると3時近い。もう一ヶ所詣でたい寺が隣の富田駅にある。普段ならば一駅くらいは訳もなく歩くところだが、こうした地方の寺の場合、正月でも閉扉が早いことがあり、清澄氏と相談し、今回は時間的に余裕がないということで電車を使うことにした。これが正解だった。乗ってから、とてもひょいと歩ける距離じゃないことがわかる。都会育ちの無知とはこういう時、恐ろしいものだ。ここは都区内じゃないのだ。
JR両毛線についても、これまた都会育ちの無知からカルチャーショックを受けた。単線なのはまだいいとして、ドアが片方手動開閉式っていうのは初めてだ。大学時代、群馬に住む同期の友人宅へ遊びに行く時に乗ったJR高崎線は車両に由ってボタン開閉式だ。この時も「自分で開ける」というカルチャーショックを受けたが、今回の両毛線はその上を行く。まさか開閉されるのは半分で、もう片方は「手動開閉でどうぞ」とはそれこそ予想外。自分の無知振りを知ると同時に自分で開けるという体験に胸がワクワクした。こういう経験ができるのが地方を歩く醍醐味と言える。
富田駅自体は作りこそ普通だが、その雰囲気は足利駅と違い、実に物侘しいの言葉に尽きる。駅から寺まで歩いて行く道程も同様だ。かなり閑散としている。

こんなとこに目指す寺が本当にあるのか

と少々心細くなる。
目当ての寺は「寺岡山施薬院薬師寺」(通称「寺岡元三大師」)という。旗川という小さな川沿いにそれはあるのだが、清澄氏と行くと何でも適当に都合のいい話を作ってしまう。この旗川もそうで、

「きっと源氏だか平氏だか知らないけど、この川端に幟を立てたから旗川っていうんだよ」
といえば、清澄氏も
「そんなとこだろね」
と納得する。なんの根拠もない話を作り、聞き手は納得する。実に適当な二人だ。

尤も後でこの作り話がまさか的を射ていようとは、この時は思いも拠らなかったが。
薬師寺は竜泉寺に比べれば、周りは畑だかがデンと広がり、そのさらに奥まった丘のようなところの麓にひっそりと鎮座しているのだが、地元の人達の尊崇をかなり集めていると見え、参拝者は多い。
この寺も竜泉寺同様に元三大師を祀った寺だ。寺伝では聖徳太子の建立となっているが、そこへ元三大師を合祀したのは大分遅く、江戸時代も半ば入ってからという。本堂の前で「コンニチハ」程度に手を合わせ、早速、角大師札を頒けて貰おうと授所に向かう。驚いたのは、なんとこの寺じゃ角大師、豆大師の両札ばかりでなく、降魔大師札も頒けて貰えるじゃないか。これはかなり貴重だ。降魔大師札を頒けて貰えるって寺はなかなかない。というか知らない。即座に頒けて貰う。
降魔大師札を貰い、その場で袋から出して思わずニヤリ。端から見れば、

なんだアイツ、御札眺めてニヤついてやがる。危ねえ野郎だ。

と写ったかも知れない。御札見てニヤつくなんて野郎はそうはいなからね。それでも本人にとっちゃあ、矢張り嬉しいわけよ。御札を仕舞うと境内をぐるりと見て廻る。こんな物侘しいとこでも露店がそれなりに出ている。そのなかに混じって、山門脇に「大師茶屋」という店が開いている。茶屋なんて小洒落た名前は付いてるが掘っ立て小屋っていうかプレハブで、檀家だか地元の人だかが営んでる感じだ。ふと目をやると、

いもフライ

と書かれた縦長の紙が貼ってあり、オヤジが一生懸命になって揚げている。
いもフライは隣の佐野市の名物で、蒸かしたジャガイモをぶつ切りにし、串揚げにしたものだが、なんてことはない、串揚げにしないで蒸かしたジャガイモを擂り潰して揚げればコロッケだ。これにソースをかけ回して頬張るわけで、佐野市内にはかなりの数の店が点在している。その佐野名物がなんで足利市にあるんだ、と一瞬、野暮なことを思ったが、もう夕方で寒いし、さっき「志゛まん焼」を食べたけど、また小腹が減ってきたからってことで買う。ついでに甘酒も買い、茶屋脇に急拵えで設置されていた長椅子に腰掛けると清澄氏と一本ずつ頬張る。旨い。意外や意外、このホクホク感がなんとも堪えられない。これなら寒空の下でも缶ビールのほうが、いもフライにはよかったかもしれない。ハフハフと熱さに白い息を吐きながら、あっという間に平らげ、温かい甘酒で寒風に冷えた身体を内側から温めつつ一服。清澄氏と「折角だから、あと一本」ってことで二本包んで貰って寺岡山を後にした。
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↑JR両毛線「足利駅」。隣駅まで長いこと長いこと。
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↑JR両毛線「富田駅」
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↑足利薬師寺山門。「寺岡山」の扁額が掛けてある。
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↑足利薬師寺の本堂。

足利の厄除大師・その一「竜泉寺」

足利の古刹といえば、まづ「鑁阿寺」が挙げられるだろう。
名前以外の詳しいことはわからないので、観光センターから貰ってきたパンフを見ると、元々は足利義兼の持仏堂だったものが後に足利氏一門の氏寺となったらしい。当然、参詣者も多く、中央通りから鑁阿寺に向かって行く人々の様子が窺えた。
しかし、今回の目的地は鑁阿寺ではないため、あっさりと通過。中央通りをさらに東進する。足利市のメインストリートといえども街の外れまで行くと商店も疎らになって、より一層物侘しさが増してくる。
商業地域から住宅地域に入る境目あたりに「福聚山竜泉寺」(通称「助戸元三大師」)がある。寺伝によれば、元久二年開創だそうで足利氏の帰依も厚かったという。そんなことよりも驚いたのは行った時、丁度境内の一隅でブラスバンドが演奏していたってことよ。寺院でブラバン? わけがわからない。さらには地元の高校生だかなんだかが、ブラバンが奏でる青森ねぶたの拍子に合わせて「らっせーらー」と中途半端に跳ね人もどきに踊っている。「よさこい」も混じっていたかもしれない。余計に意味がわからなくなる。勿論、ブラバンや跳ね人を取り囲むように地元と思われる人々が集まっているわけだが、寺となにか関わりがあるんだろうか。全く趣旨がわからない。
境内でブラバンに跳ね人もどき。そんな不思議な光景を目の当たりにした寺が、まさか今年の初詣になろうとは流石の僕も予想だにしてないわけよ。じゃあ、なんで鑁阿寺をやり過ごしてわざわざこの寺に行きかったのかっていえば「角大師」の御札(竜泉寺では「門札」と呼ぶ)を頒けて貰うため。
「角大師」というのは天台宗18代座主の慈恵が化身した姿からきた名前で、ほかにも慈恵には「元三大師」という名前もある。これは正月三日に入寂したからだ。慈恵にはまだまだ別名があって「豆大師」「降魔大師」などもそうだ。
この慈恵の姿を象った角大師札をはじめ豆大師札、降魔大師札はいづれも一般に「御姿(もしくは御影)」と呼ばれる御札の系統なのだろうが、そののデザインはちょっと変わっている。「御札」という信仰心の篤い人にとっては、それはそれは有り難いものを取り上げて「ユーモラス」って表現もなんなんだが、兎に角、ちょっと見には「何コレ?」って感じ。それでいて、よくよく眺めているとその形容にいつしか愛着が沸いてくるような御札なのだ。そういう意味では矢張り御札って「有り難い」ものなんだろう。きっと愛着が沸いているから、僕も折を見ては関東各地に点在している元三大師堂を詣でて、「角大師」を頒けて貰っているんだと思う。
本堂の脇に構えてるなにかの「堂」前で角大師の御札も貰ってから、本堂に廻ると地元民がぞろぞろと堂内に入ってくんで、僕も清澄氏も何食わぬ顔して地元民に混じって本堂に入る。丁度開帳していて本尊を拝すことができた。こういう体験ってものは地方のあまり混まない一寺だからこそできるわけで、とてもじゃないが浅草寺やら新勝寺のような各地から大勢が押し寄せるような寺じゃ無理な話というものだ。
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↑足利竜泉寺山門。「福聚山」の扁額が掛けてある。
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↑竜泉寺のなにかの堂。感じからいえば元三大師堂なのかも。

ぶらりと野州へ

元日はのんびりと家で過ごし、二日も昼頃から薄曇りのなか、初詣に大学時代の友人〔清澄と号す〕を連れ出す。東武伊勢崎線北千住駅で落ち合い、特急「りょうもう」で一路北上。目指すは野州足利だ。
プラットホームに下り立ち、眼前に山々が連なるところを見ると、東都育ちの僕には不思議とワクワクするものだ。眼前に山などという風景は奥多摩に住む者ならば兎も角、いわゆる川東・川北一帯に住む者にとっては珍しいことこの上ない。僕の生活のなかで山を目にする機会といったら、冬の空気の澄んだ晴れた朝に秩父山地や富士山を荒川越しに望むくらいだ。
初めての土地に行く時は誰しも不案内なのは当然だ。そういう時に手っ取り早くその地域の情報を手に入れるには駅前などにある観光案内センターがよい。
清澄氏が係員から色々と情報を収集して貰っているうちに、僕はセンター内に置かれているパンフをガサガサと集める。こういう地方都市のパンフは実に面白い。それこそ、ことの大小を漏らさず具に書いてあるため、読んでいて飽きがこない。清澄氏に大体の場所を把握して貰うとあとは行き当たりばったりだ。彼と行く時は大抵「最終目的地」しか決めない。だから時には脱線して弥次喜多道中張りの珍道中になる。けど、散歩の妙はそこにあるような気がする。
渡良瀬川に架かる錆が浮き、塗装の所々剥げた物侘しい鉄橋「中橋」を渡り、少し進むと足利市の中心部に入る。「中央通り」が恐らく足利市のメインストリートなんだろうが、その雰囲気は実に地方の商店街といった様相だ。さらに正月二日ということもあって、開いている商店など殆どないため、ひっそりと静まり返っている。まさに街全体でのんびりした正月を過ごしているといった感じだ。
そんな正月真っ只中の街中を歩いてて、偶然見つけたのがレストラン「富士屋」だ。この偶然が楽しいのだ。
ここの名物はなんといっても店頭で販売している「志゛まん焼」だろう。「志゛まん焼」とは要は今川焼や大判焼といったものの類だが、その形は半月というか蒲鉾型なのが特徴だ。そして安い。レストランの店頭で「志゛まん焼」を売るというミスマッチもまた、いかにも地方都市らしい。
店自体は戦後の昭和25年創業だというから足利で実に半世紀以上営業していることになる。開業当時はきっとハイカラな店だったことは奥にあるレストランの雰囲気を見れば容易に察しがつく。そこで清澄氏と1個ずつ買い求め、歩きながら、

「志゛まん焼だってよ」
「自慢されちゃってるよ」
「てことはホントはこっちが、へへーって下手に出て買わなきゃならないわけだ」

などと馬鹿なことをいい合って食べる。寒空の下で食べるホクホクと熱い「志゛まん焼」はなんとも堪えられない。
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↑特急「りょうもう」で北千住から大体1時間程度で着く
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↑東武伊勢崎線「足利市駅」
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↑足利「富士屋」の外観
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それでは「春夏冬、二升五合」をお願いまして、皆々様の御手を拝借。

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熊さん。今のお人で何人目だい?
著者寸描(プロフィル)

浮世名詮〔うきよのめうせん〕

Author:浮世名詮〔うきよのめうせん〕
東西東西~。
さて、これより語りまする者はその名を「名詮」と申しまする。

性格は可成ふざけて居りまして、朝イチから行動すればよいものを、昼も過ぎ、夕闇の濃くなる頃から東都のあちらこちらへ出没し、状況に応じて色々な人物を演じ分ける素ッ惚けた根無し草。

まあ、気楽に気楽にお付き合い下りまするよう、隅から隅まで、ズズいっとお頼み申し上げまする。

先づは

乍憚口上
乍憚口上」つづき
乍憚口上」むすび

を一読下さりまするようお願い申し上げまする。

千穐萬歳大入叶

熊八ブログをケータイしておくれっ
ちょいと、そこのお前さん。無視していくんじゃないよ。めうせんの「熊八ブログ」がケータイでも見ることが出来るっていうじゃあないか。おや、知らない?まあ、この人はなんて野暮なことをいいなさんのかねえ。
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