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清水道「味処マミ」

清水寺参詣後、清澄氏を連れて清水道中程にある「味処マミ」に寄る。マミの甘味はどれをとってもユニークで、なかでも「五味」と「コーヒーぜんざい」はここの名物といってよい。
店内に入るとほかに客もなく、BGMのジャズが静かに流れている。外は五条坂から迂回するタクシーと清水寺から帰る観光客でなかなかに賑やかだが、ここは相反して落ち着いた雰囲気だ。
適当な席に着くと清澄氏に「五味」を薦め、僕は大豆から作ったというチーズケーキを頼む。「これ、大豆?」というネーミングはからかった感じを受けなくもないが、別にこれだけに限った話じゃあない。麩をざらつきがなくなるまで裏漉ししたチーズケーキは「ふぅ、チーズ」という。材料、ネーミングともオーナーの独創性がよく表れている。
ここのチーズケーキはいづれも、おうすと相性がよい。寧ろ、オーナーはおうすに合うデザートを常に模索しているようにも思える。それは甘味処のオーナーでありながら、当人はそれほど甘味が得意ではないという相反した性格が、そうさせてるのかもしれない。好奇心からの追求ってやつだ。
そのオーナーは実に気さくな女性で、はじめて来た人にもとても親切にしてくれる。
僕が大豆のチーズケーキを頂き終わる頃、オーナーが冷水を持って奥から顔を見せる。折角の旅行なんだから、素直に土地の人と触れ合うのがよい。最初は話が噛み合わなくても次第になんとかなるってもんだよ。現に僕などは、悪戯心も手伝って「役者」のごとく色々な職業に成りすましているくらいだ。悪気のない詐欺だ。だから、許してもらおう。
それはそうと、清澄氏とオーナーと三人で他愛もない話をしていると、思い出したようにオーナーが、

そういえば、前に二日連続で来ていただいた人ですよね

と振ってくる。

覚えていてくれましたか

と僕も素直に喜ぶ。

ええ。お酒の話をしてくれた方ですよね・・・
あと、あの時は確か瓢亭で朝がゆを食べてきたっていう話も…
今、話をしながら思い出してきました。

そこからさらに話が弾む。
しかし、まあ、「とり新」の若旦那といい「マミ」のオーナーといい、客を大切にしてくれる。半年振りでふらりと来た僕のことを、ちゃあんと覚えていてくれるんだから実にありがたい。
結局、それからもオーナーを囲んでの談笑は続き、「あっ」という間にお茶の時間は終わっていて、もう夕食をするのによい時間になろうとしている。随分と「マミ」に長居してしまった。これからは夜の時間だ。夜は夜で京都は違った一面を見せてくれる。だから、

取り敢えず、一度、ホテルに戻ろう

ということになって、漸く腰を上げる。
「ごちそうさま」といって店を出たら、すっかり日が落ちて、鴨川から吹き上げている風か、音羽山から吹き下ろしている風かはわからないが、兎に角、冷たい風が吹いている。思わずブルッと身震いして参拝帰りの客も途絶えた清水坂を下りながら、清澄氏に感想を聞くと、

いい感じの店だね。流石、よい嗅覚してるよね

どうやら清澄氏も大いに満足してくれたようだ。しかし、清澄氏は続けて、

けど、あなたは探偵には向かないね
顔を覚えられすぎ
なんでこうも顔が割れてるんだよ
酒の話ってなんだよ・・・どうせ、うまいビールの話でもしたんだろう

半ば呆れ顔でいった。
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↑清水道「味処マミ」の外観
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↑マミの名物「五味」
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↑大豆をベースにした「これ、大豆?」
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清水寺参詣・その二「阿弥陀堂」

胎内めぐりを終えて、いよいよ本堂に向かう。
廻廊を渡り、本堂に向かうと正面に「出世大黒天」が、大黒なのに恵比須顔で鎮座している。由緒などは全く知らない。外の仏像と比べると随分、粗雑に安置されている。それにしても黒い。こんな黒々としたお顔の大黒さんははじめてだ。毎日欠かさず日サロに通ってたとしても、あそこまで黒くはならないだろう。
右に曲がり込むようにして進むと有名な本堂の舞台に出る。もう夕方だというのに大なり小なりのグループ客でごった返している。多分、今回巡ったなかで、人の出が一番あったんじゃあないかな。
これだけ観光客がいると、ツアーに紛れるのも手だ。バスガイドのお姉さんの説明をふむふむと聞いているツアー客の後ろについていって、ツアー客に成りすまして一緒に聞くのも面白い。
傑作だったのが阿弥陀像の見分け方だ。清澄氏と本堂から阿弥陀堂を通り、奥の院に向かおうとすると、後ろで野太い声がする。別に聞き耳を立てるつもりはなかったが、阿弥陀堂から京都市街を眺める振りをしながら、それとなく聞きいていると、

パンチパーマでな、OKしているだろ
だから、阿弥陀さんなんだよ

と説明している。

なぬ?!
何をいってるんだ?このオヤジは・・・

と思って、阿弥陀堂のほうへチラリと振り返ってみれば、タクシーの運転手が乗せて来た若い観光客4人を相手に説明している。客はきょとんとしているんで、

いいか、頭がパンチパーマだろ
それで手はOKの形しているだろ
だから阿弥陀さんなんだよ

ともう一度、説明している。これを聞いて、清澄氏とその場を一度離れてタクシーの運転手が連れている一行を奥の院の手前でやり過ごし、も一度、阿弥陀堂のなかに安置し奉っている金色のを眺める。それで、

おお、たしかにそうだ

と思わず納得してしまったよ。いや、納得というより、感心してしまった。間違ってもお定まりの教科書(ガイドブック)じゃあ、教えてくれない表現だ。流石は国際的?な観光地のタクシーの運転手。説明がうまいね。「螺髪」をパンチパーマ、「印相」をOKという表現は、誰でも思いつきそうな表現といっちゃえば、そうだが、それをちゃんと口に出して商売にしているあたりが可成りのやり手だ。見事に一本取られてしまった。これを覚えておきゃあ、これから先も1発で阿弥陀像の見分け方が覚えられるってやつだ。「螺髪」だ「印相」だなんて用語は覚える必要はない。

いやあ、凄いね。ああいう教え方ってあるんだなあ
パンチパーマでOKだってよ

というと、

流石だね
ああいう教え方も全然「あり」なんだなあ

と清澄氏も僕と同じくらい感銘を受けたようだ。
その後、奥の院から本堂の舞台をお定まりのように撮影だけはしたが、あとはなんだかどうでもよくなって、ぼんやりと京都の町を眺めていた。しかし、奥の院から何するわけでもなくボーっと眼下に街を見るのもそれはそれでよい。
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↑本堂の一隅にある「出世大黒天」
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↑ガイドブックなどでもお約束の風景

清水寺参詣・その一「慈心院(随求堂)の胎内めぐり」

世界遺産のひとつ、清水寺。
京都は何度も行っているが、清水寺参詣は中学の時の修学旅行以来だ。いつも清水寺に向かう参道の土産物屋を眺めるだけ眺めて引き返してしまい、寺までは足を踏み入れない。この清水寺に向かう参道の土産物屋は今でも新撰組の半纏、扇子、日の丸鉢巻、提灯、将棋の駒の形をした通行手形、木刀などを扱っている。別にそんなのは物珍しくないと思うだろうが、実際のところ、この典型的?な土産物屋はここ最近、各地で激減しているんだよ。例えば、ひと昔前の「新京極」は修学旅行生御用達の土産物屋街だったが、今じゃあ土産物屋が影を潜めてカジュアル系やらジャンクフードの店が大半を占めてるくらいだ。ついでにいうと「ペナント」は日本全国でほぼ絶滅状態ってやつで、京都にも浅草仲見世にもない。僕の知ってる限りじゃあ「東京タワー」の1階だけだよ。まあ、大して行動範囲が広いわけじゃあないから、一概にはいえないけど、観光客が大挙する東京と京都を見たって、そんなものなんだから地方に至っては間違いなくペナントは絶滅してると思うよ。
「観光客が大挙する」で思い出したが、今回、いつものように土産物屋を眺めながら清水寺まで歩いてて驚いたのは外国人観光客の多さ。修学旅行生そこのけで特に中国や韓国といったアジア系の観光客が爆発的に増えているように思うね。
さて、話を戻そう。
清水寺は手元のガイドブックによれば、奈良時代の末に延鎮上人によって開山され、ところの山名を採って「音羽山」という。ここへは五条坂、茶わん坂、清水坂、二年・産寧坂の四筋から行ける。
記念撮影の定番の仁王門を抜けた突き当たりに塔頭の慈心院(随求堂)がある。この塔頭では、なんと「胎内めぐり」ができるじゃあないか。胎内めぐりは以前に信州善光寺でやったことがある。折角だからと清澄氏を誘い、本堂の入口で寺男に胎内めぐりのやり方を説明してもらう。
寺男の説明によれば、胎内には慈心院の本尊と通じる石があるから、左側の壁沿いにある数珠を辿って行って、一つだけ願掛けしながら、その石を回せば叶うということだ。

よしっ!

と意気込んで階段を下りると一気に暗闇だ。入口からまだ五歩も進んでない。

何も見えん・・・

どんなに目を凝らそうとも暗闇に全く目が慣れない。まさに漆黒の闇だ。芥川龍之介の『羅生門』に出てくる婆が男に身包みを剥がされて、泣き叫びながら城門の上から見つめた「闇」っていうのはこんな感じなんだろか。
この全くの闇によって視覚を奪われるっていうのは、斯くもここまで動物としての防衛本能を呼び覚ますのかっていうくらい呼び覚ますね。神経が一気に研ぎ澄まされる。まづ、歩幅が極端に狭くなる。しかも摺り足だ。そして、天井の高さは十分にあるから、頭なんかぶつけるなんてことはないってわかっていながらも、腰を屈めて低姿勢になってしまう。
やっとのことで梵字の刻んだ「石」に達するとそこだけポツンとライトアップされてるんで、ホッとする。

ふぅ・・・

と一息つく。
無事、石を見つけたんで、一心に

お金が沢山手に入りますように

と誰しも願いそうなことをご多分に漏れず僕も願掛けする。そして、石を回してその場を後にすると、もう出口だ。石のある場所からはあっけないほどに目の前が出口だ。そういう意味ぢゃあ、善光寺のほうがもっと徹底していたな。「極楽の錠前」のところも真っ暗闇で見つけるの手探りだし、錠前から出口までもまた長かったからね。
願掛けしながら石を回し終えて出口を上っていくと、寺男が

どうだった?

と聞くから、僕も

いやあ、滅茶苦茶怖かったよ

と素直に感想を述べると、寺男はニヤリとして、

おじさん、その言葉が一番好きだよ

と返ってきた。
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↑清水寺へ向かう参道は平日でも観光客で賑わう
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↑清水寺の仁王門

祗園縄手「とり新」

旅行の醍醐味は人それぞれで、これと決めることはないが、土地の人と交わるのもそのひとつだろう。今回の京都探訪は振り返ってみるとまさに「人」がキーワードだ。

東京-京都間は全長540キロあるが新幹線に乗れば2時間半で着く。
いつもならば昼過ぎに東京を出て、夕方近くに京都へ入る。ホテルで一息ついてから夕闇に紛れて街中をブラブラし、気に入った店でのんびりするのが僕のスタイルってわけよ。けど、今回は清澄氏も同道ということで珍しく午前中に新幹線に飛び乗った。となると、行動範囲も広がるってわけだ。
京都に着くと新幹線同様に、

それっ!

と市バスに飛び乗る。目指すは「祗園」だ。京都に着いて、荷物片手で早々に祗園に繰り出すこともあるまいにとも思うが、そうはいかない。「とり新」の親子丼が待っているからだ。
「とり新」は祗園の縄手通と白川の疎水が交わる丁度そこにある。縄手通に面した表店は「鳥新」という鳥屋で、造りは京の町家の様子をよく伝えている。その側面の一部を改築したのが「とり新」で、三和土にカウンタとテーブルが二つばかりあるだけの小体な店だ。
はじめてこの店を見つけたのは、おっしょさんと二人でブラブラとこの辺りを歩いてた時、たまたま通りがかったんだよ。その時はあまり気に留めなかったんだけど、あとで

こういうなんていうことはない店のほうが、土地の人が来る店なんだよ
下手にガイドブックに載ってる観光客相手の店に入るよりも、断然、面白いんだぜ

とおっしょさんがいって、さらに

お前、今度、(京都に)行ったら偵察してこいよ。旨かったら報告しろよな

と唆されたところからはじまってる。
ということで、最初は探りを入れるといっちゃあ、聞こえがよくないが、探りを入れるような「物は試し」って感覚で入ったんだけど、ここの親子丼を食べてみて、一偏で虜になってしまった。それからというもの、京都に行った折には一度は食べないと気が済まないくらいだ。
その「とり新」は昼と夜とにそれぞれ別の顔を持っていて、昼は親子丼のみで営業している。
四条河原町に着くと、もう1時半に近い。この店の昼は2時で閉めてしまう。だから、久し振りの京都でまだ勘が戻らない清澄氏を急かして四条大橋を渡り、鴨川を左に折れて向かう。
暖簾を潜り、カウンタで片付けにかかっていたっぽい若旦那に、

まだやってますか?

と聞くと、あの都ことば独特のイントネーションで、

へえ。やっとります

と返ってきた。この若旦那は縄手の表店「鳥新」の四代目で日中は一人でこの「とり新」を切り盛りしている。
清澄氏とテーブルに入ると、若旦那は徐に親子丼の仕度にかかる。なにせできます品物は親子丼の一品のみだ。席に着けば黙ってても人数分の親子丼を拵えてもらえるというわけだ。
運ばれてきた親子丼に京都特有の山椒を中心にした七味を振り掛け、真ん中に落とされた黄身を箸で掻き割り、ガッガッと掻き込む。二口、三口掻き込んでから、やっと腹の方も少し落ち着くことができ、

京都に来たんだなあ

と思い出す。するとなんだか急に顔が綻び出す。
添えられた粕汁もよい。身体が内側から温められる感じだ。ペロリっと平らげて、ほうじ茶を飲むとホッと安らぐ感じになるのが不思議だ。
二人とも綺麗に平らげて、いい感じに満ち足りた気分になっていると若旦那がひょいと話しかけてくる。

今年は梅の咲くのが早ようおまして・・・

といったかと思うと梅の話からいきなり、

そういえば、案内書に載ったっていう話したはりましたかな・・・

といいながら、流しの下から京都のガイドブックを取り出して開いて見せてくれる。初めて来た清澄氏に対して「そういえば」の接続詞はおかしい。つまり、これは若旦那が何となくでも僕のことを

覚えていた

ということだろうよ。これはとても有り難いことだね。半年か一年に一度しか行かない客のことを覚えているっていうのは矢張り客を大切にする老舗らしい感覚っていえるんじゃあないかなあ。
店がちゃんと客のことを覚えていてくれる。ごく当たり前のようだけど、簡単にできるもんじゃあないよ。だから、客にとっては店に顔を覚えられているっていうのは可成り嬉しいわけよ。

あ、覚えていてくれてた

と思うと客の方だって、この店を

これからも贔屓にしよ

と思うじゃない。こういう兼ね合いができることが大事なんだよね。そして、その兼ね合いがちゃんとできている「とり新」というのは、矢張り祗園という一大盛り場の裏手で鳥屋を営んでいるからこそ、人々に揉まれて自然と鍛えられているわけだ。
(しまった。過去に親子丼の画像を撮ってあったと思ったら、ない。撮り忘れていたようだ・・・)
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↑祗園縄手「とり新」の外観

冬の京都・旅日記第一日目

今年の冬は京都へ行くのは無理と半ば諦めていたが、なんとか時間を作ることができたため、二泊三日のつもりでぶらりと京都へ行く。尤も、今回はエイ、や!でさらに一日延泊してしまった。
それというのも今回は大学時代の同期・清澄氏の同道があったからだ。清澄氏とは半日・日帰りであちらこちらによく行くが、日を跨ぐ長旅は実に10年振りだ。こうなるとのんびり気ままな独り旅から、様相が一変して弥次喜多の珍道中になる。
時間の進み方というのは常に一定のはづだが、楽しい時間は、まさに「あっ」という間で、その時間の早さに物足りなさを感じてしまい、勢い折角だからもう一泊ということで、二泊三日から三泊四日になった。まあ、これはこれで楽しいわけだ。
そのひとつひとつを書けば長々の話となるから、取り敢えず、旅日記から凡その行動を把握しておこうか。

第一日目・平成十九年二月二十八日(水) 出立
竹ノ塚文房具店・ファイルケース 650円
同自販機・タバコ 300円
同コンビニ・ペットボトル2本 210円
東京駅構内崎陽軒・シウマイ 525円
京都駅前観光案内所・バス一日券 500円
京都駅-四条河原町バス代 220円
祗園縄手とり新中食・親子丼 700円
河原町三条宿〔S〕宿代 10000円
祗園社御札 1000円
八坂庚申堂くくり猿 500円
御札 500円
清水寺胎内めぐり 100円
拝観 300円
清水道味処マミ・これ、大豆? 1050円
河原町三条100均・垢すり 105円
同酒屋・ビール中瓶 268円
ジュース 113円
河原町三条古本屋・ガイドブック等 2000円
祗園縄手とり新夜飯・いろいろコース 2100円
ビール630円
とり茶漬け735円 435円清持
四条河原町コンビニ・菓子 105円
ジュース 105円
雪苺娘 210円

千住「うさぎ家」

ちょいと忙しくて、なかなか寄り道する機会がなかったが、今日は定時で上れたんで、寄り道しようと途中下車する。
北千住西口の東急ハンズでバッグを物色するも、これといった食指の動くものが見付からなかったため、さっさと退散。時計を見ると7時20分を過ぎたところだ。「よし、それなら」と東口に移動する。
北千住の西口は旧宿場を擁している上に、駅前の再開発が成功して、昔ながらの古びれた街並みと近代的な建物とが渾然一体となっている。
いうまでもなく、千住は江戸四宿のうち、日光道中第一の宿場で、隅田川を挟んで北側が大千住、南側が小千住だ。その繁栄たるは品川に次ぐといってよい。尤も、おっしょさんに言わせれば、ダントツ1位が品川で、あとの三つ(千住・新宿・板橋)は団栗の背比べ。暫定2位が千住だとこき下ろす。といってもこれは女郎買いの話で、おっしょさんは、

吉原や深川で遊び、品川の旨い魚にも食べ飽きたヤツが、たまには下手物でも食べに行くかっていうのが千住なんだよ

という。そこで僕が、

それでも品川に次いでるんだからマシでしょ

といえば、

お前ね。新宿の馬糞臭え女郎や目鼻さえ付いていれば何でもいい板橋と比べてどうするんだ。馬糞臭えのと争って、勝った負けたいうのも哀しいヤツだね。大体、江戸の頃は勝ってても、今の新宿とじゃあ歴然の差じゃねえか

とやり込められてしまう。
そのこき下ろされる千住もさらに東口ともなると、線路を挟んで「こうもまあ、対照的な」と思えるくらいひっそりとしている。西口のようなネオンがキラキラしていないわけよ。駅前からして仄暗いんだが、断わっておくけど、この暗さは閑散としているっていう感じの暗さじゃあないよ。緩やかに成長してるような、してないようなのんびりとした感じとでもいえばいいかな。みんな自分のペースで歩んでいるような感じだ。この東口のメインストリート(本当はメインストリートとも呼べないが、今回は東口の肩を持つっていうことで、敢えてメインストリートとしておこう)を少し行き、左に曲がって荒川のほうへ進むと次第に店も疎らになり、商店街らしい雰囲気も消えて住宅街へと替わってくる。丁度、その辺りに天ぷらの「うさぎ家」がある。この店は以前、東口をブラブラと散歩していた時に、偶然見つけたんだが、その時は外にも用事があって立ち寄ることができなかった。そこで今回こそはと向かう。
店は棟割長屋の一軒で見るからに鰻の寝床な感じがする。こういう店は大勢の客を次から次へと捌くような店ではないから、

予約したほうがよかったかな

と一瞬思ったが、もう店の前だしということで

エイ、や! ままよ

と入る。店内は想像していた通り鰻の寝床で、手前にカウンタ、奥に申し訳程度の上がりがある。それでも10人も入れば目一杯だ。カウンタに入ると「かき揚げ定食」を頼む。出てきた「かき揚げ」を見れば、その重量に驚くし、主の気前のよさが十分に伝わる。ちょっと懐が寂しい時も、ここなら定食だけで十分満足だ。

蕎麦屋の天ぷらっていうのは衣を食べさせるんですよ。ウチは衣じゃなくて身を食べさせようと思って作っているんです。

とは主の言葉だ。その言葉通り、具沢山のかき揚げを見た時は、

まさかこんなに大きいとは、食べられるかな

と思ったが、食べてみると小食になりつつある僕でもすんなり腹に収まった。どうもこの店の天ぷらは、外の天ぷら屋が使う粉とは種類が違うらしい。なんでもお菓子用の粉を使ってると主はいう。そのため、大きなかき揚げにも拘わらず、食べていてもたれる感じがしない。これは粉もさることながら、よい油をたっぷり使って、丁寧に揚げているからだろう。
この店の主は実に気さくな人柄で初回の僕にも普通に話してくる。
この雰囲気がいかにも人懐っこいというか、隔てを作らない川北・川東一帯の特徴だ。尤も生まれは竹ノ塚で、この店は始めてから、まだ20年ちょいと主はいう。しかし、この時勢、興没が激しくて、20年でも既にこの辺りでは中堅どころの店となっているようだ。
すっかり平らげて、レモンハイを片手に一服しつつ、気さくな主との食べ物話は尽きることがない。ついつい時間が経つのを忘れてしまう。支払いを済ませて店を出ると、どうやら雨が降ってきたようだ。「満足、満足」と思いながら、足早に駅に向かって歩き出す。
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↑千住「うさぎ家」の外観
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↑まづはレモンハイと付出で出来上がるのを待つ
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↑うさぎ家の「かき揚げ定食」

西新井大師「かどや」

所用で西新井へ行く。行ったついでに少し足を延ばして西新井大師も参詣する。
西新井大師は関東厄除け大師の一寺で、正しくは「五智山遍照院総持寺」という。その昔、弘法大師がここら辺りを歩いていたら、村人が疫病で苦しんでいて、「こりゃいかんね」と観音の仏像を作って一心に祈祷すると、祈祷堂の西側にあった枯井戸から新たに水が湧いた。その湧水を早速、村人に呑ませたら、「あれ、ま」と忽ち疫病が治ったという。聖人にはどうしてこの手の伝説が多いのかね。まあ、兎に角、お堂の西側にあった井戸から新しく水が湧いたから「西新井」というそうだ。
江戸時代になると、位置的にちょっと郊外の寺という感じだが、信仰は厚かった。その理由は、この大師堂が罹災する度にちゃんと復興するから「火伏せ」にご利益があるということで「火伏せの大師」として人気があったわけよ。となれば、当然、ここの「火伏札」も頒けて貰ったんだが、よくよく考えると、

罹災から復興。火伏せの大師って罹災するということだよな。それも何度もあるっていうのは、ご利益としてどうよ

と不信心な疑問が頭を過ぎる。いけねえな。
さて、折角、大師を参詣したんだからということで門前町の「かどや」に寄る。「かどや」は昭和のはじめから続く店で、当初は大師の門前ということもあって、参詣者向けの花屋だか青果屋だかだったはづだ。それが戦後になって食堂として装いを新たにしたわけだ。
表に大きく掲げられた「かどや」の看板文字が一際目を惹くが、この看板文字も、今じゃ書き手が殆どいないんじゃあないだろうか。千住の団子屋「槍かけだんご」、関原の呉服屋「ひらさわ」とともに、この手の看板はもはや絶滅寸前といってよい。
この店は昔ながらの食堂そのものといった感じで、壁には短冊に切った紙に手描きの品書きがズラーッと貼ってある。以前、幼馴染の女性と食べ歩きの話をしてて、

「かどや」のラーメンで十分よ

と聞いていたので、早速、頼む。品書きには単に「らーめん」とあるんだが、店員が厨房に回す時は「中華」と頼むあたりが、古風な感じを受けるのは、それだけ今の生活から、

中華そば

という言葉が消えたからだろう。
かなり朧気な記憶だが、僕がまだ小さい頃には確かに、街中にあった多くのラーメン屋は、ごく当たり前のように軒先へ赤地に「中華そば」の文字が白抜きされ暖簾を架けていたように思うが、どうだろう。それが今じゃすっかり、ラーメン屋もモダンな雰囲気の漂う店に様変わりしていることが多く、暖簾も店同様に、オリジナルのなかなか凝ったデザインのものが架かっている。

あの赤地に「中華そば」と白抜きされた暖簾は、やがて時代の遺物と化すんだろうなあ。

と思ったり、思わなかったり。
まあ、「昔はよかった」という懐古趣味に走る気はないし、それは僕の性に合わないから、脱線はこの辺で切り上げよう。
一服していると、ラーメンが運ばれてくる。いかにも昔ながらのすっきりと透き通ったスープのラーメンだ。薄く切ったナルトとチャーシュー、メンマ、葱。たったそれだけの極めてシンプルなラーメンに胡椒をたっぷり振り掛け、ズズーッと手繰り込む。今日は一日中、轟々と西風が音を立てて吹いていたため、すっかり身体は冷え切っていたんで、ハフハフしながら食べるラーメンは身体が温まって実によい。スープまで全部飲み干すと身体は温かさを取り戻したようだ。「ごちそうさま」と声をかけ、支払いを済ましてガラス戸越しに外を覗くと相変わらず、風は強い。火伏札も買った。お腹も満たされた。身体も温まった。ということで、「よし」と気合を入れて、また、夕方の街中へと出た。
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↑西新井大師山門と遍照殿(本堂)
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↑大師門前「かどや」の外観
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↑かどやの「らーめん」(中華)

新宿「アルルpart2」(初午詣で・大切)

名主の滝を一頻見て、王子駅に向かう。折角だから飛鳥山も寄り道する。しかし、まだ桜の時期には可成り早い。近くの高校の陸上部の練習風景を眺めながら、適当にぶらぶらして去る。

そうだ。久し振りに都電でも乗ろうか

と連れの学生と乗る。夕方の都電は随分と混んでいる。映画「ALWAYS―三丁目の夕日」の頃は至る所を走っていた都電も、今じゃ三ノ輪線しか走っていない。尤も、都電が至る所を走っていた時代は、おっしょさんとかから聞いて知ってるだけで、実際のところを見たことはない。
庚申塚で下りて、天下の「ババ銀」(ババア銀座とは非道え呼び方だあな)こと「巣鴨地蔵通商店街」へ入る。店頭に「これでもか!」というくらい赤い肌着が置いてある。真っ赤で統一された肌着をこれほど大量に見られるのは、この商店街くらいだろう。
とげぬき地蔵(高岩寺)と江戸六地蔵に寄り、JR巣鴨駅に出る。時間はもう夕飯に丁度よいくらいの時間だ。そこで学生に、

あと1キロくらい歩いて駕籠町の「薮」に行くのと、新宿で時間が止まっているような喫茶店に行くのと、どっちがよい

と聞くと、学生は新宿の喫茶店に興味を惹かれたようだ。そこで山手線に乗り、新宿へ向かう。
地下道で三丁目まで出ようと、ルミネエストを通過する時、

そういや、ビールがそろそろ切れそうだったなあ

と思い出し、急遽、戻って「Osakaya」に寄って赤星を2本調達する。ルミネエストの地階は再開発しているのか、随分と閉めた店が目立つ。だから、1番奥まったところにある「Osakaya」は前にも増して目立たなくなっている。なにせ連れてきた学生さえも、

こんなところに、こんな店があったんですか

と驚いたくらいだ。
それと「王様のアイデア」も閉めてしまった。これは哀しいね。
さて、新宿の地下道はこれからどこかへ向かう人と帰る人とで凄い人の波だ。この波をすり抜けるようにして紀伊国屋、伊勢丹をうち過ぎ、都営新宿線の出口まで向かう。そこから地上に出て、花園通りを厚生年金会館のほうに向かって少しばかり行くと、左手に「三番街」という「新宿にもまだこんな商店街があったのか」と思えるくらい時代から取り残されたような地域がある。そして、目指す喫茶店「アルルpart2」はこの商店街の中程にある。外観からしてレトロな感じが十分に漂う喫茶店だ。ちなみに「part2」ということは「part1」もあるんだろうけど、どこにあるかはいまだに知らないんだよ。
この店を知ったのは学生の時だから、もう何年になるだろうか。その時は僕も友人に連れられて来たんだが、その友人も今はどこで何をしていることやら見当もつかない。まあ、それはよい。
ドアを開けると、カランカランとドアベルが鳴る。奥から店員が、

いらっしゃいませ

と声。今日は空いている。適当なソファに座ると、気持ちよいくらいに身体が深く沈む。ふぅ、とやっと一息ついた感じがする。
店内は淡い光で包まれている。所々に統一感のないアンティーク人形のようなピエロやリトグラフが飾ってあり、その合間に水出しコーヒー用サイフォンがいくつかある。手前のドレッサーには流行りの過ぎたアイドルの写真集、奥にはマンガ本がずらりと並び、柱時計は30分ごとに、ボーンっと鈍い音色の鐘を鳴らす。喧騒な新宿にあって、ここはすべてがゆっくりとしている。まさに時代の流れに動ずることなく、自分のペースで歩んできたような感じだ。
この店の名物はなんといってもワッフルと飲み物(コーヒー、紅茶、ココアのうち、いづれか)のセット「タンゴセット」だろう。タンゴとはこの店が以前に飼っていた愛犬の名だ。そして、この店の最大の特徴は、店員心配りが絶妙だということだろう。
出しゃばらず、だからといって客を放っておいてるわけでもない。絶妙のタイミングを知っている店員のサーヴィスは、

もてなしの心

を地で行っている。

まるで、老舗の料亭のような心遣いだ

といったらちょっと気障っぽいかな。しかし、こればかりはずらずらと字面を並べ立てるより、兎に角、一度、自分で足を運んで見ればわかるよ。初めて入った店のはづなのに、まるで自分も昔からここの店に通っていたかのような感じだ。

また来くるよ、マスター

と、そんな気持ちになる。どこの街裏にもあるような普通の喫茶店なのだが、いままで連れてきた人達はみんな、店を出ると満ち足りた感じの顔になっている。
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↑新宿「アルルpart2」の外観
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↑アルルの「オムバーグ」。この店はプレートものもよい

初午詣で・中入り「名主の滝公園」

王子稲荷を後にすると、もう夕方だ。しかし、随分と日が延びたものでまだ明るいし、相変わらず露店は賑わっている。今年はいつになく暖冬でそれほど寒くない。折角、王子稲荷まで来たついでだからということで、今し方、来た道とは反対に進む。目指すは名主の滝だ。
名主の滝とは江戸は安政の頃、土地の名主畑野孫八が自邸に開いたのが明治に庭園として整備され、昭和に入ると精養軒が所有したらしい。この精養軒の時代には食堂やらプールなどの施設もあったというが、御多分に洩れず東京大空襲で焼け落ちた。その後、再び整備されて今は区営の公園だ。まあ、名主の滝の来歴はこの辺にしておこう。
回遊式の庭園内には女滝・独鈷の滝・湧玉の滝・男滝の4本が流れ落ちていて、特に男滝は江戸の昔と違って、人工の滝にはなっているが、なかなかに迫力がある。この庭内を好きな順路で、ブラブラと上ったり下りたりして滝を眺め、せぜらぎの傍らで黄昏ていると心地よい気分になってくる。
しかし、この庭園は王子稲荷のすぐ近くにあるというのに、あまり来る人もなく、のんびり過ごすには最適だ。王子という土地柄、ゴチャゴチャと住宅が犇めきあってるなかでここだけは、すべてがゆったりとした感じがする。初夏の頃であれば、先ずは上野「井泉」でカツサンドなどを調達してから、この庭内で適当なベンチを見つけて寝そべって読書などをし、小腹が減ったら、買ってきたカツサンドをパクッと頬張ろうものなら、きっと気分のよい午後が過ごせるだろう。
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↑名主の滝公園入口。王子稲荷のすぐ近く
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↑名主の滝のひとつ「女滝」
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↑同「独鈷の滝」
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↑同「男滝」。これはなかなか勇壮な滝だ。

しまった。「湧玉の滝」を撮り忘れた。まあ、これもご愛嬌というところで勘弁してもらおう。

初午詣で・その二「王子稲荷神社」

装束稲荷を後にして、駅のほうに向かうと「北とぴあ」という北区の施設がある。ここを右に折れるとJR線の高架下を潜れるようになっており、向こう側へ渡るとすぐに坂道になる。この坂道の入口を右に曲がれば「王子稲荷」へ行ける。折りしも初午祭礼ということもあって、道の両脇には露店がずらりと並んでいて、これから王子稲荷へ参詣する人と帰ってくる人とで道はごった返している。さらに露店からは追い討ちをかけるようによい匂いが立ち込めている。それだけで何とはなしに心が躍るのが不思議だ。
そういえば最近の露店は多種多様化が進んでいるよう思う。たこ焼き、お好み焼き、焼きそばといった露店の王道のものから、チキンステーキ、ケバブといった新種まで出てきた。その反面、なくなった露店もある。正しい名称は知らないが、僕が小さい頃に「繭玉ころがし」と呼んでいたものは最近、すっかりご無沙汰だ。繭玉ころがしとは、2、3段のレールが互い違いに斜めに組まれていて、錘の入った繭玉(念のために断わっておくが、本物の繭玉じゃあない。プラスチック製)を最上段から転がすとコロン、コロン、コロンと斜面を転がり落ちるといった、実に子供騙しといっちゃあ、子供騙しの玩具だ。これを露店のオヤジが小気味よい間隔で次から次へと転がしていくの見て、堪らなく欲しかった。尤も、今じゃあ高級玩具の仲間入りらしくて、いつだったかは定かじゃないが百貨店で、偶々幼児向け玩具売り場の前を通ったら、これがあった。しかも子供が口に咥えることを見越してか、造りの全てが木製で、繭玉は車に変わっていた。これを見た時、懐かしさを覚えたけど、露店の子供騙しが一躍高級玩具として立派な値札が付いていたのには閉口したね。
相変わらず脱線が多いなあ。話を戻そう。
よい匂いの立ち込める露店の誘惑を振り払いながら、人の波を掻き分け抜けると目指す王子稲荷の山門が左手に見える。そして、その奥には八棟造の社殿に向かって一直線に急勾配の石段が延びている。適当に参拝した後、社務所に行って王子稲荷の火伏凧を頒けて貰う。装束稲荷が着物のデザインだったのに対して、王子稲荷のそれは奴凧だ。これで両方揃った。今年の火伏せ対策は完璧だろう。しかも、今年の始めには芝愛宕さんの火伏札も頒けて貰っている。これで火の車の台所も鎮火してくれるだろう。頼むよ、お稲荷さん、愛宕さん。
今日は流石に無理だったが、王子稲荷の拝殿はお祓いの時や縁日などの混雑時を除けば誰でも上ることが出来るんだよ。この拝殿の天井が凄いんだ。格天井の一枚一枚に見事な彩色で鳳凰などが描かれている。なかでも龍の絵は谷文晁の作だ。これが誰でもロハで見ることができるっていうんだから驚きじゃあないか。
社務所を左から回り込むようにして奥に進むと、御石様がある。これは自分の願を一心に念じながら石を持ち上げて、その軽重で達成可能かを知るという予言石みたいなものだ。そこで早速、

僕は金持ちになれるのか

とお約束のことを念じながら持ち上げると、かなり重い。折角、火伏の縁起物を方々で買ったというのに、どうやら、まだ当分の間、僕は金とは縁がなさそうだ。ここまで来たついでにと御石様の手前にある階段を上り、さらに上に行くと狐穴がある。穴を覗くと、なかは缶が散乱している。犬じゃあるまいし、狐が缶を咥えてきて、穴に隠してるとは到底思えないから、どこぞの不心得者が捨てていったんだろう。全く仕方ねえな。それはそうと、

ここから狐が出入りしてるんだよ

と連れてきた学生にいうと、学生は「へえ」という感じで穴を覗いている。するとすぐ近くにいた四、五歳くらいの男の子が僕の話を聞いていたらしく、「えっ? ほんと?」という顔をして慌てて穴を覗き込み、また僕の顔を見る。学生がその男の子に、

狐がいるんだってよ

と嗾けると「え? え?」とまたも穴を覗きこむ。

ちゃんとお参りしとかないとね

僕と学生が手を合わせて拝んでいたら、訳もわからぬまま男の子も拝みだす。純心無垢というのは実によいものだね。いや、待てよ。もしかして、実はこの男の子の正体は王子の子狐か。ならば、牡丹餅を土産に持たしてあげなきゃならなかったかもしれないなあ。
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↑王子稲荷に向かう途中、初午祭礼での賑わい
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↑王子稲荷の山門
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↑王子稲荷の拝殿
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↑王子稲荷の脇参道にある狐像2体。銘文には「宝暦十ニ壬午年」とあった(気がする)。

初午詣で・その一「装束稲荷神社」

今年の高島暦を開いてみると、今日は、

干支「庚午(かのえうま)」
九星「四緑(しろく)」
六輝「大安」
十二直「さだん」
廿四宿「心(しん)」
旧暦12月18日

とある。「大安・さだん・心」とは取って付けたのかと思うくらい縁起がよい。そして、2月最初の午の日だから初午だ。
ここ最近、年中行事はできるだけ大切にしたいと考えるようになったが、別に信仰心が深いからじゃあない。季節の移ろいを感じるためでもない。ただ何となくだ。強いて挙げれば、現世利益を一つでも多く欲しいと思っているからだろう。人間、往生極楽を夢見るのもそれはそれで大変結構なことだけれど、矢張り浮世を存分に楽しむのも悪くないだろう。
初午はいうまでもなく稲荷信仰の行事だ。そして、東京にあって初午祭礼といえば王子稲荷神社だ。この時、王子稲荷では初午祭礼と併せて「凧市」が開かれている。
王子稲荷は関八州にある稲荷神社の総社で、正一位と最高位にある。さらに幕府によってその格式は京の伏見稲荷大社と同格と定められた由緒正しきお稲荷さんだ。勝手な想像だけれど、王子を伏見と同格扱いにしたのは多分、その昔、伏見と王子のどちらが格上で揉めたか、揉めそうだったから、幕府が「ハイ、ちょいとごめんなさいましよ」という感じで間に入って、その対立を沈静化か回避かをさせたんだと思うよ。断わっておくけど、あくまで勝手な想像だ。調べたわけじゃないから、耳半分というところで止めておくように。
さて、その王子稲荷はJR王子駅から一度線路の高架下を潜り、西側に出て台地の中腹あたりを地形に沿うように歩いて数分のところにあるわけだが、「それっ」と駅を下りて直行しちゃあいけない。まづはJR線を挟んでほぼ向かいくらいに位置している装束稲荷神社に参詣しなくちゃね。
装束稲荷というのは駅の東口側の商業区を少し赤羽方面に外れた一隅で静かに佇んでいる小さなお社だ。メインストリートはそれなりに大きなビルが屹立しているが、王子という一帯も裏道を一本入ると、川北地域らしいゴチャゴチャした街だ。その裏道を進むと祭囃子が聞こえ、左手に赤い幟が見えてくる。
ところで、なんで王子稲荷に直行せずに、わざわざ装束稲荷へ参詣したのかというと、江戸時代、王子一帯は飛鳥山を除けば(といっても飛鳥山とて将軍吉宗が桜を植えさせるまでは、ただの小高い丘山だったしね…)田畠しかない風光明媚というか閑散とした物侘しいところで、その田畠のなかに一本の榎が立っていた。この榎というのが、大晦日になると関八州のお稲荷さんの使いの狐が集まる場所で、ここでお狐さんが装束を正してから、王子稲荷に参詣した。だから、王子稲荷にとっても大切な場所なわけよ。しかし、王子稲荷に比べてかなり知名度は低いのが哀しい。尤も、肝心の榎の大木は明治中頃には枯れたらしい。しかし、話はそれだけじゃあ終わらなくて、役人どもが道路拡幅のために切り倒してしまったというんだから、人間の業の深さを感じるね。今の榎は何代目の子孫なのかはわからない。
その榎の脇のお社へ近所のお爺ちゃん、お婆ちゃんの後ろに並んでお参りする。若い人など殆どいやしない。精々いても子連れのお母さんだ。
ここのご利益はその名に「装束」と冠しているだけあって、お参りすれば、服には一生困らないという。
お参りを済ませ、脇から出ると地元町内会から甘酒が振る舞われた。ビルの裏手のため、日陰でちょっと寒かったからこういう振る舞いは有り難いね。甘酒で体を温めると、無理矢理取り付けたような社務所で火伏せの凧を頒けて貰う。この凧がなかなか洒落たデザインで、着物の形をしている。レア物を頂いた嬉しさから、思わずニヤリ。信心深くもないのに変わった御札を方々へ頒けて貰いに行ったりして、その度ごとにニヤつくのだから、相変わらず危ない野郎に見えただろう。
火伏せの凧を頂いて、少しすると祭囃子がまた鳴り、今度は獅子舞が始まった。

ほお、珍しい。どぉれ、ひとつ見て行こうか

と見物。正月の縁起物として百貨店でお気持ち程度でやるそれとは違い、地元町内会で保存している獅子舞なのか随分と獅子舞もオヤジも年季が入っている。オヤジが舞い始める前に、社務所の上に誂えた舞台の若い囃子方に向かって、

お前ら若いヤツらに教える意味で、俺がやってやるんだからしっかり見てろよ

とは、なかなかに威勢がいい。舞い始めると、まあ、それなりによい動きだ。祭囃子の音色も軽やかで思わず、見入ってしまった。

いいものを見たな

とちょっと嬉しくなる。
しかし、この獅子舞見物には後日譚があって、1時間後に某大学の学生を連れて、またこの装束稲荷に戻り、今度は地元町内会の人達が売っていた「たこ焼き」を長椅子として代用した会議用テーブルに腰掛けて、熱さにハフハフしながら一つ二つと食べていたら、稲荷社の前の瀬戸物屋からオバちゃんが出てきて、僕と連れの学生に温かいペットボトルの緑茶を振る舞ってくれた。そして、ひと言。

あなたたちの獅子舞よかったわよ。オバちゃん感激しちゃった。これからも頑張ってね。

完全に誰かと勘違いされている。第一、祭装束に身を包んでいないし、獅子舞を演じていたら、顔なんかわからないじゃあないか。しかし、まあ、そこはオバちゃんに話を合わせて、

ありがとうございます

と素直にお礼をいう。はっきりいって詐欺だろう。しかし、きっとこれは装束稲荷のご利益だと勝手に都合のよい解釈をしながらも、早々に装束稲荷を後にした。
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↑王子の装束稲荷神社。脇に神木の榎が植えてある。

ビールは自分のペースで

過去・現在を問わず文人墨客、食通などがビールに対して矜持としているところを読んでいると「なるほどなあ」と感心するものもあれば、それこそ、「勝手にほざいていやがれ」と思うものもある。特に悪いほうには目が行くもので、内田百などは後者のよい例だ。まあ、話の枕はこれくらいにして、今回はまた「ビール」で話を拡げていこう。
新歓コンパ、打ち上げ、接待、花見、祭礼、暑気払いに鍋の会、忘年会に新年会と、呑む機会を挙げれば切がない。「赤暖簾でちょいと一杯」などということも追加したら、日本は365日毎日が呑み会だ。それはよいとして、その席上で、ビールをやたらに注ぎたがる人がいる。サービス精神があるっていえば聞こえがいいが、あまりに相手の「間(※「空気」という言葉でもよい)」を読まずにどんどん注ぎ足すから、結局、相手は飲みきれなくなって、コップに入ったままという状態が目立つ。そして、注がれても呑みきれなくなったビールの入ったコップは、持ってても仕方ないからテーブルの隅に追いやられる。こうなるともう触られることもない。ビールの哀しい末路だ。
大体、ビールというものは炭酸系の飲み物なんだから、そんなに次から次と注がれて、その度ごとに飲んでたら腹に炭酸ガスが充満してしまい苦しくなる一方だ。そうなると、折角の美味しい食べ物もビールによる豊満感から食べる気がしなくなってしまう。これほど勿体無いことはないね。第一、ビールは注ぎ足ししちゃいけないんだよ。注ぎ足しちゃうと味が変わるというより、味が落ちるんだよ。僕がいうまでもないが、ドイツというビール大国では、

注ぎ足し無用

は有名な話だ。これはビールをの飲み方を知ってる国民だからこその言だよ。僕もあの苦味からビールは決して得意なほうじゃないが、飲み方さえちゃんとしていれば、結構、色々な料理にも相性のよい飲み物だと思う。「じゃあ、どうやって飲めばいいんだ?」と聞かれたら、

①自分で注ぐ
②一口で飲める量にする
③好みに合うビールを見つける

まづはこの3点を覚えれば大体は大丈夫だ。
僕が大学時代からの友人・清澄氏と蕎麦屋や居酒屋で呑む時は、最初の一杯は「まあまあ」ということで相手に注ぐこともあるが、あとは瓶をテーブルに置いて各自、自分で呑みたい時に注ぐ。コップにもよるが、普通のものだったら注ぐ量も3分の1程度だ。だけど、夏の暑い昼下がりや夕涼み、暑気払いといった時での最初の一杯は、嗜み程度でも呑める人なら、並々と注いでもいいんだよ。これは一気に飲み干して、ビールの苦味と炭酸のシュワシュワっとしたのを渇いた喉で楽しむんだから問題ない。からからに乾いた喉をキンキンに冷えたビールが一気に通る時の苦味と炭酸の心地よさ。一息に呑んだ後はオヤジ連でなくとも、

プハァァァァ

という感じの声が出てしまうのは仕方がないことさ。
さて、話を戻そう。一口で呑める量というのは人にも依るだろうけど、大体、コップに3分の1程度と見れば間違いない。なんで3分の1か?って聞かれると、決まった答えがあるわけじゃあないから、なんともいえないけど、例えを一つ挙げて答えとすれば、ちょっと小洒落た料理屋なんかに行くと、ビールと一緒に出される「一口グラス」という小振りでスマートな作りのコップがあるでしょ。あれって何も体裁振ってあんな小さいグラスを店は出してるんじゃなくて、ビールは一口量で呑むのが美味しい飲み物ってことを知ってるから、一口グラスで出すんだよ。一口グラスの分量を居酒屋などで出される普通のコップに換算すれば、大体、3分の1くらい。だから、コップに3分の1程度だと僕なんかはいうのだけどね。
その3分の1の分量を自分のペースで呑む。これが一番大事なことだよ。最初に一杯呑んで、まだ行けると思ったら二杯目もまた3分の1だけ注いで、一息で呑む。ただ喉を潤したかっただけなら、一杯呑んだら食べ始めればよいんだよ。
それと、人によって飲める高というものには差があるんだから、周りが大瓶でガブガブやろうとも、自分は全部飲み干せないと思ったら、素直に中瓶や小瓶で注文すればよい。それで足りなかったら、また注文すればよいのだ。
あとは自分にあったビールを探すこと。今はビール会社も消費者のニーズに合わせて色々なビールを出しているし、世界のビールも随分と手軽に呑めるようになったから、取り敢えず、350ml缶やスタイニーボトルなどを色々呑んで自分の好みに合うのを見つければよい。その時もキンキンに冷えたビールじゃあなくて、冷蔵庫から出して5分くらい経った頃のを呑むと、ビールが苦手な人にも丁度よい感じの味になってるはづだ。勝手な話で保証はないけどね。

京都雑記

京都には2月か9月に行くのが好きだ。2月は寒く、9月は残暑が厳しい上に、主だった年中行事が一頻終わったあとのため、京都は観光客が少なくてのんびりと過ごせるからだ。これが3月ともなれば桃や桜の季節になり、10月は気候も丁度よく、紅葉の走りで一気に観光客が増えてしまう。そうなるともう面白くない。
しかし、今年の2月は予定が結構詰まっててどうも行けそうにない。あの手この手を考えているんだが、現状では9月まで我慢するしかないようだ。
「京都に行って、何をするんだ?」と聞かれると答えに難しいね。別に何をしに行くってことはないのだ。強いていえば気に入った店で食べて、あとは街の中をブラブラしているだけだ。信心深くないため、古都のあちらこちらにある神社仏閣巡りに一日を費やすこともない。ただ気に入った地区をブラブラと歩き、町家を眺めて日がな一日を過ごすだけだ。だから、観光客お約束のバス一日乗車券は買っておいても大して必要としない。
京都ではいつも河原町三条のビジネスホテルを定宿にしている。ここは繁華街のど真ん中にあって、それこそどこに行くにも都合がよい。尤も僕の場合、行動範囲が狭くて、北は御池通から南は松原通、東は東大路通から西は寺町通くらいまで。この精々東西南北のいづれも2キロ圏内をブラブラし、疲れたら食べ物屋を覗くといったことを繰り返している。それも昼近くまで寝ていて、

とりあえず、祗園にでも出てから何するか考えるか

と非常に漠然としたイメージだけ決めてから行動するわけよ。
ホテルを出て、六角通辺りで左に折れて鴨川沿いまで行くと「石を投げれば」の先斗町に出る。まだ日の高いうちの先斗町は夜のそれとはまた雰囲気が違う。名物?の曲がり電柱を眺めて、四条大橋を渡ると南座の小屋が見える。

あんなに大きな建物なのに小屋っていうんだよなあ

と思いつつ、歩きながらその日の昼飯を決めるわけだ。まあ、大抵は「とり新」の親子丼か「ぶゝ家」の茶漬けを食べてから食後の甘味で「鍵善」がお定まりっちゃあ、お定まりだ。それからは観光コースになってる大茶屋「一力」脇の花見小路なんかは歩かず、鴨川沿いの宮川町の花街をのんびりと散策して、露地をテキトーに入る。行き止まりにぶつかったら本筋に戻ってくるを繰り返す。まあ、近くに花見小路があるため、こちらの花街は観光客があまり歩いてないからよい。そこに歌舞練場から三味線の音色が聞こえてくるとなんだか独り占めできたような感じになって、酒も入っていないのに昼間からよい心持ちになってしまう。
ちなみに露地が行き止まりで、仕方なしに本筋へ出てくる時の仕草ってやつを、おっしょさんから教わったことがある。行き止まりからすごすごと肩を竦めて出てくるのじゃなく、

なんだ。折角、久し振りで来たのに留守でやがったか
まあ、留守じゃ仕方ねえな。夜に出直しみるか

と馴染みの茶屋をちょいと私で昼日中に尋ねてたんだって具合で歩けばよいんだってさ。
こんなことばかり書いてると益々京都に行きたい衝動に駆られてしまうから、去年9月に行った時の旅日記をちょっと引用して止めにしておこう(但し、一部名前を伏せておく)。

九月十三日雨
河原町三条宿〔S〕 一日周遊バス券 500円
河原町コンビニ ビニール傘 500円
祗園縄手とり新 中食親子丼 700円
清水道喫茶〔M〕 五味 1050円
祗園原了郭 角竹入黒七味 840円
同 詰め替え用小袋 367円
寺町コンビニ ジュース 105円
河原町三条酒屋 ビール中瓶 268円
河原町三条100均 垢すり 105円
自販機にてタバコ 300円
祗園縄手とり新 夜食白川コース、ビール2本 4410円
河原町コンビニ ビニール傘 500円
〆9645円

まずいことになった。逆効果だったかもしれない。
pontocho_magaridenchu.jpg
↑名物?の先斗町の曲がり電柱
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それでは「春夏冬、二升五合」をお願いまして、皆々様の御手を拝借。

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熊さん。今のお人で何人目だい?
著者寸描(プロフィル)

浮世名詮〔うきよのめうせん〕

Author:浮世名詮〔うきよのめうせん〕
東西東西~。
さて、これより語りまする者はその名を「名詮」と申しまする。

性格は可成ふざけて居りまして、朝イチから行動すればよいものを、昼も過ぎ、夕闇の濃くなる頃から東都のあちらこちらへ出没し、状況に応じて色々な人物を演じ分ける素ッ惚けた根無し草。

まあ、気楽に気楽にお付き合い下りまするよう、隅から隅まで、ズズいっとお頼み申し上げまする。

先づは

乍憚口上
乍憚口上」つづき
乍憚口上」むすび

を一読下さりまするようお願い申し上げまする。

千穐萬歳大入叶

熊八ブログをケータイしておくれっ
ちょいと、そこのお前さん。無視していくんじゃないよ。めうせんの「熊八ブログ」がケータイでも見ることが出来るっていうじゃあないか。おや、知らない?まあ、この人はなんて野暮なことをいいなさんのかねえ。
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