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八坂神社石段下・ぎをん川勝出店「ぶゞ家」(回想)

京都にあっては先方で「お茶漬け」が出されると、暗に「帰って欲しい」という意味だとする有名な都市伝説がある。都市伝説のため、その真相のほどは知る由もないが、これはひとつに物事をハッキリと言わず、相手任せにした都びとの性格を「お茶漬け」に仮託したものだろう。
その茶漬けをいざ食べようとするとなかなかに値の張るものだ。だから、口の悪い友人などには

なにも茶漬けごときに高い金を払うこともあるめえ

と言われるが、それでも食べたくなるのが京都の茶漬けなのかもしれない。
都市伝説になるほど京都にあって名物?の茶漬けを食べようとする時、決まって行くのは祗園社前にある漬物店「ぎをん川勝」の出店「ぶゞ家」だ。というか、この店しか知らない。探せばもっとあるのかも知れないが態々探そうとは思わない。旅先でそこまでする必要もないからだ。初めて入った店の感じが自分好みであれば次からもそこに通い続けるのがよいのだ。そうすれば馴染みにもなれるしね。
尤もこの店はおっしょさんに連れて行って貰ったのが最初だ。おっしょさんは仕事、僕は遊びでほぼ同日に京都へ行くことになった時、おっしょさんが、

お前にあそこ(「ぶゞ家」)のうなぎ茶漬けを食べさせてやりたいなあ

という一言から始まった。そのおっしょさんも昔、誰かに連れてきて貰ってこの店を知ったらしい。
以前の「ぶゝ家」は「ぎをん川勝」の並びにあったが、現在は漬物店を拡大改装して店内の一画に仕切ってそれはある。店舗は意外と広く仕切られているため、ゆったりとした空間になっている。ただ古の都にあって微妙に当世流行の古民芸調の雰囲気を漂わせるのは、自ら野暮へと貶めているようでいて、そのセンスのズレ方にちょいと如何なものかとは思う。
まあ、それはよいとして、この店はなんといっても「うなぎ茶漬け」がよい。山椒の香りを強めに効かせた鰻の佃煮を熱々のご飯に二切れ三切れと乗せ、ほうじ茶を掛けまわしたのをすすすっと啜ると思わず、ふふふとニヤけてしまう。清澄氏などはただ黙々と食べている。その合間に、ふと、

旨い物を食べている時は自然と話さなくなるなあ
食べるほうに集中してしまう

と言葉を漏らした。この言葉は実に的を射ているね。二人とも大して会話を交わすこともなく只管に茶漬けを啜り、漬物を齧る。それを繰り返すうちにお櫃にたんとあった温飯が見る見る減る。佃煮、漬物、ご飯のいづれもすっかり平らげ、ほうじ茶で飯碗を洗うようにして飲み終えれば、満腹と満足を合わせた一息が「ふぅ」と出た。
しかし、この「うなぎ茶漬け」はよい意味で私恨のある一品だ。初めておっしょさんに連れられて行った時は開店一番乗りだというに鰾膠もなく、

今日は売り切れました

という。一番乗りで入ったのにだ。それでも「ない」といわれては仕方がない。シンプルに漬物だけの茶漬けにした。
その次は仕事と称して半分以上遊びで京都へ行った時、今度は店自体がそこにない。

おや?

と思って隣の「川勝」で聞いてみると、改装中ということでまたしても食べられなかった。そして、三度目の正直で清澄氏と訪れて、やっと念願叶って対面と相成ったのだ。
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↑祗園社石段下「ぶゞ家」の外観
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↑ぶゞ家の「うなぎ茶漬け」 三度目の正直でありつけた待望の一品
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角大師

旧鈔堂君が用事を終えて、昨日、無事に戻ってきた。出立前にそれとなく頼んでおいた原了郭の「黒七味」をちゃんと買ってきてくれたことは実に有り難い。尤も容れものは既にあるから、詰替用の小袋でよかったのだが、旧鈔堂君が気を利かせてくれて「丸木筒入り」のご立派な代物になっていた。原了郭ばかり容れものが二つあっても仕方が・・・などといってはいけないな。態々仕事の合間に時間を割いて買ってきてくれたのだから、我儘をいっちゃあ罰が当たるってものだ。
その旧鈔堂君は原了郭のそれ以外にもうひとつ気を利かせてくれたことがある。彼が墓参の序でに立ち寄ったという真如堂(正しくは真正極楽寺)に角大師札があるのを見つけ、僕の代わりに頒けて貰ってきてくれた。これは大出来、大出来。僕の角大師札(門札・元三大師降魔札)のコレクションがまた1枚増えたわけだ。しかし、まあ、各地の角大師札を集めてはそれを眺めてニヤリ、ほぅと喜んでいるなどは明らかに不信心の証拠で不謹慎なことなのだろう。
さて、角大師札がまた1枚コレクションに加わったということで、この札から話を拡げてみようか。
いうまでもなく信仰の厚い前近代にあっては、あのどことなくユーモラスにみえるデザインの角大師も歴とした「ありがたい」護符だった。別名を「門札」などということからもわかるように、家のなかに悪鬼・病魔が入らないようにと願を込めて「外」に向けて門扉や玄関に貼ったわけだ。京都などの街中を歩いていると現在でも、ちゃあんと玄関の外側に貼っている家を所々で見かけることがある。
となるとわからないのは去年の秋から冬にかけてNHKで放映された北原亜以子原作/高橋秀樹主演「慶次郎縁側日記」3の第1回目「峠」(2006年10月12日)および最終回「峠の果て」(同12月21日)に出てくるシーンだ。
あらすじを書いていたら長くなるからここでは省くが、そのなかに登場する四方吉が住んでいる芝宇田川町の長屋では玄関の「内」側にそれが貼ってあるんだよね。
本来、家のなかに厄を持ち込まないために「外」に向けて貼るはづの角大師札を「内」に向けて貼ってしまっては、

悪鬼・病魔が外から入り放題

しかも入ったら最後、内に向けた角大師のせいで悪鬼などが外に出ることが出来ないじゃあないか、となれば宇田川町のその長屋は、

悪鬼・病魔の巣窟

と思うのだが、どうなのかな。
NHKは時代考証や風俗考証もそれなりの学者に依頼していると聞くし、スタッフロールを見れば立派な肩書きをつけた名前が流れている。だから、この角大師札の貼り方もちゃんと根拠があってのことなのだろう。
というか、たかがTVの時代劇の舞台美術に対して、一々文句をつけていたら切がないし、面白味も一気に薄れてしまう。第一、そういう人の粗を捜し出すような行為は如何にも、

野暮で見っとも無いことだ

と周りから怒られそうだから、この辺にしておこう。きっと当時は内側に貼っても

効力になんら問題はなかった

と信じよう。
角大師札の話からはじめて「慶次郎縁側日記」へ話題が移り過ぎた。進路修正したほうがよいだろう。まあ、進路修正できるかは知らないが、取り敢えず(ほかの人にも協力して貰って)自分なりに集めた角大師札をざっと整理しておこうか。

○定額山善光寺大勧進版
○東叡山寛永寺両大師版
○泰叡山瀧泉寺(目黒不動尊)版
○浮岳山深大寺版
○福聚山竜泉寺(助戸元三大師)版
○寺岡山施薬院薬師寺(寺岡元三大師)版
○春日岡山転法輪院惣宗官寺(佐野厄除け大師)版
○星野山無量寿寺喜多院(川越喜多院)版
○廬山天台講寺(廬山寺準門跡)版
○魚山大原三千院版
○鈴声山真正極楽寺(真如堂)版
○正覚山蓮前院安楽寺版⇒平成19年6月23日追加
○拝島山本覚院(拝島大師)版⇒平成20年1月3日追加

まだまだ各地にあろう角大師札は果たしてこの先、どれだけ集まるだろうか。今知っている限りで入手し得ていないものに、

○比叡山延暦寺横川
○三徳山三仏寺(投げ入れ堂)
○正因山実相院妙法寺(蕪村寺)

などがあるが、如何せん東都に住む僕にとっちゃあ遠いんだよなあ。それでも横川なぞは延暦寺の寺域だから頑張れば行けるかもしれない。というか横川が元三大師の本家本元なわけだから、角大師札収集家を目指す者として、矢張りここは一度詣でるべきなのだろう。
しかし、流石に三仏寺のある伯州や蕪村寺の讃州は昼過ぎに出てひょいと行けるところじゃあない。だから、当面は関東のなかで元三大師を祀っている寺を歴巡り歩いて、西側の分は気長に構えることにしよう。
尤も蕪村寺にあってはこの時勢らしくネットで取り寄せることができて、申し込めば角大師札を郵送してくれるとのことだ。しかも御札に大と小がある。

大・小って、札に2サイズあるのはいかがなものか
札の大きさに厄落としの効力も比例するのだろうか

と思う。それにいくら時代が時代だからといって護符の郵送は何となく、運ばれてきている間に効力が少し落ちていそうな感じがして、

ウーム。

と顰め面になってしまう。矢張り、朱印と同じように代参を立ててでも自分の脚でひとつひとつ集めるのがよいのだろう。

七味唐辛子あれこれ

後輩〔旧鈔堂と号す〕が今月の後半に所用で京都へ行くというから、祗園「原了郭」の黒七味の詰替を僕の代わりに買ってきて欲しいと、先日、頼んでおいたのだが、どうなることやら。あとは旧鈔堂君の良心に任せるしかあるまい。まあ、それはよいとして、原了郭の話を出したので、ちょいと七味について書いておこうか。
僕にとって七味は常備の香辛料だ。流石に最近は持ち歩くまではしていないが「My七味」がちゃんとある。その七味も江戸の頃は「七色唐辛子」と呼んでいた。いつの頃から「七味」の呼称が全国区になったかは知らないが、浅草の「やげん堀」ですら「七色」ではなく「七味」と称しているのは、ちょいと残念だ(・・・というか「やげん堀」が七味の語源の発祥かも知れないが)。色で七つとしていたのが、いかにも江戸の粋を感じる。
七味はところによって調合される種類・比率などが違うが「唐辛子」だけはどこの七味でも必ず入っている。なかでも僕が気に入っているのは先に挙げた祗園「原了郭」と、信州善光寺門前「八幡屋礒五郎」および薬研堀「大木唐からし店」の三店。いづれも江戸時代から続く老舗だ。そのなかで大木のみ今でも「七色」と称している。京都には原了郭以外にも清水寺参道の「七味家本舗」が土産物の定番として有名だが、山椒の香りが強過ぎて正直なところ、僕には合わない。
それに比べて原了郭のそれは山椒の香りも程よい。また「黒七味」と冠しているように黒に近い焦茶であることも特徴だ。この黒いのは焦がすほどに煎っているかしてのことだろう。お蔭で実に香ばしい上、ピリリとした辛さが際立っている。これを朝食の味噌汁に一振りニ振り落とすと味噌汁の味が引き締まって、万年睡眠不足の僕の頭をスッキリさせてくれるようでいて実によい。別に原了郭のそればかりに限らない。八幡屋礒五郎や大木でも同様だ。これらの店はそれぞれに独特の味だが、いづれも七味に対して一廉以上の矜持を感じられる。
八幡屋で思い出したが去年の夏、横浜の友人と一泊二日ならぬ一泊一日ともいえる長野旅行は、殆ど八幡屋に七味を買い付けに行ったようなものだ。
八幡屋礒五郎は海鼠壁調の家作の軒先に吊るされた大きな唐辛子が目印で、古くから善光寺の門前店として栄えていた。江戸の頃は、ここの七味を土産に買って帰ることが、善光寺詣での手形代わりだった、と以前おっしょさんから聞いたことがある。尤も少し後に、この手形代わりという話が七味売の口上にあることを知った。
さて、その買い付け旅行には、家人を困らせるといったちょいと呆れた話がある。
実はこの時の長野へは家人に行き先を告げぬまま、というか殆ど行き当たりばったりで前日の夕方に家を発ち、横浜の友人と落ち合って、夜中に長野の諏訪に入った。その頃、我が家では二、三日前から玄関ドアの開閉速度をコントロールする部分の止め具が緩んでいたかして、今イチ開閉の調子が悪かったのだが、まあ、取り敢えずは大丈夫だろと放って置いたのがいけなかった。長野にいた当日、とうとうドアのビスが外れてしまい、開けたら最後、閉まらない。押しても引いてもびくともしない。まさに二進も三進も行かない状態になったため、家人からケータイに急ぎ連絡が入った。

ドアが動かなくなったから何とかして

と僕の居所を知らない家人がいう。しかし、こっちは信州。おっとり刀で帰れるような状況じゃあないから、

取り敢えずビスを探して嵌め直してみなよ

と電話越しに応急措置の方法を伝えると、

一人じゃ手に負えないのよ…
さっさと帰ってきなさいよ
ていうか、今どこにいるの

と聞いてくる。仕方がないから、さらりと一言。

今すぐってえのはちょいと無理な相談だ
今、信州の善光寺

と答えれば、一瞬、家人が電話越しに沈黙したのがわかった。というか僕の話に自分の耳を疑ったのだろう。一息置いて、

長野って、何しに行ってるのよ

という声にはいかにも呆れている様子がよくわかる。

何しにって八幡屋へ「七味」を買い付けに

僕がケロリというと、その直後に家人は溜息をひとつついて、電話を切った。
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↑祗園「原了郭」の外観
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↑善光寺門前「八幡屋礒五郎」の外観
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↑薬研堀「大木唐からし店」の外観

吾妻橋「やぶそば」

GW最終日は生憎の雨。しかし、清澄氏と兼ねてから約束していたため、昼少し過ぎに浅草で落ち合う。清澄氏とは早春の京都旅行以来だ。晴れていれば横浜か鎌倉を歩こうと思っていたが、この雨じゃあどう仕様もないってことで、大川下りに変更した。
雨の降っていようとも雷門は相変わらずの人。傘を差しつつあちらこちらでパチリと撮っている。しかし、好天のそれとはどこか雰囲気が違う。雨に濡れた雷門は日頃の喧騒さを洗い落として「ほっ」といるような、少し安らいだ感じがするといえば、少々気障かな。まあ、雨の日の雷門は好天のそれとは違って、またよいものだってことよ。
門前で清澄氏と落ち合えば、時間も時間だから軽く腹に入れたがよいってことになる。取り敢えず直ぐ近くの「神谷バー」を覗くが、二人して昼間っから電気ブランなんぞを引っ掛けてしまったら、雨を口実に勢いを削がれて大川下りを止め、そのまま、呑んだくれてしまいそうだということで、

あくまで軽く

ということになり、

それじゃあ、吾妻橋の「やぶ」にしよう

と足早に大川橋(吾妻橋)を渡る。橋の上から眺める雨の大川はなんとも寒々しい感じだ。
橋を渡り、アサヒビールタワーを左手に臨みつつそのまま少しく直進すれば浅草通りと合流する。その既のところに「やぶ」はある。間口が狭いため、話しながら歩こうものなら、それこそ「あ」っという間に通りすぎようほどだ。
浅草で蕎麦といえば、雷門の正面道を駒形堂に少しく向かうところにある並木町の「薮」がまづ浮かぶ。蕎麦やグルメ関係の書籍、東京のガイドブックなどでお馴染みの店だ。ここの汁は兎にも角にも辛い。日本一辛い汁だという人(や書籍)もあるくらいだ。そして、場所の良さと中休みがないという利便性から、余程に時間をずらしても、それなりの客の入りがある。
それほどに有名な並木町「薮」が近くにあるからというわけではないが、大川橋のそれはなかなかの穴場だ。ここへ初めて訪れたのは旧臘十四日のことで、この時も清澄氏が同道している。日付をちゃあんと覚えているのは、この日が赤穂四十七士が吉良屋敷に討ち入った日で、当日、二人とも討ち入り前の浪士にでもなった積もりで、手始めにここの蕎麦を手繰ってから、北風の吹くなか、本所松坂町の吉良屋敷まで歩いたのだ。端から見れば、

何をくだらないことをやっているんだか

と思うだろう。しかし、当人からすればこれはこれで結構楽しかったものだ。しかも、本所まで川沿いを行く間、北風を背に受けながら、ふと思い立てば三波春夫の「俵星玄蕃」にあるあの有名な1フレーズを口ずさんでいる。傍目に見なくても実に怪しい野郎だ。木戸があったら間違いなく通して貰えなかっただろう。自身番屋にしょっ引かれていたやもしれぬ。
相変わらず話が直ぐに脱線する。いけないことだ。話を戻そう。
さて、傘の雫を払って店内に入ると、雨のGWということもあってか空いていた。適当な席に着いて清澄氏に、

ビールでよい?

と聞けば珍しいことに今回はあまり乗り気ではない。勝手に思うに清澄氏は新橋辺りで連夜よい夢を見ているせいで、普段、肝臓に随分と負担を掛けさせているから、流石に連休くらいは少し休ませてやろうということか。今更、無駄なことをしているものだ。
まあ、仕方がないから小瓶でビールを頼み、喉を湿らせるほどにして、せいろうを頼む。
江戸蕎麦の汁といえば漆黒とでもいおうほどの真っ黒で、いかにもその味が辛いことを物語っている。ご多分に漏れず大川橋のやぶもそれで、蕎麦猪口の底に少し入っている程度だが、これに蕎麦を箸で二、三本摘み上げ、先端にごくちょいとつけて手繰るれば、汁が少なめの理由がよくわかる。先端にちょいとつける程度で丁度よいってわけよ。
品良く盛られた蕎麦に七味を軽く振って、これを真ん中からささっと手繰り、合間にビールを一口、二口呑む。そして、蕎麦湯で〆る。前日までの好天と打って変わって生憎の雨で、日中にも拘わらず肌寒い。なんとなく身体も冷えるているから、この蕎麦湯の温かさが実によい。汁に残しておいた薬味葱と白濁した蕎麦湯、それにほんの気持ち程度に七味をパラリと振り掛けて、ズズーっと啜ると身体が内側からじわりと温まるね。額にうっすらと汗をかいている。身体がちゃあんと温まっている証拠だ。
すっかり平らげて勘定を済ませ、店を出れば相変わらずシトシトと雨が振っている。そのなかへ、ハァっと息をひとつ吐く。少し白い。折角のGW最終日にこんな天気とは全く以てついてない、と思いながら清澄氏と大川橋の西詰にある桟橋へ向かって歩いていく。
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↑吾妻橋「やぶそば」の外観
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↑やぶそばの「せいろう」

千住「うさぎ家」3

芝居が跳ねて外に出る。5時間弱の長丁場は流石に疲れた。結局、幕間は色々とあって行きがけに買った弁松の「白飯二重弁当」は食べ損ねたため、すっかり腹が減っている。この弁当はあとで家人の胃袋に収まることだろう。
演舞場を出たのはもう9時になろうかという頃。呑み屋ならまだしも、軽く食べるような店は時間的に閉まる時間だ。仕方がないので銀座で食べるのは諦めて、取り敢えず地元に戻ろうと地下鉄に乗る。乗ってから少しして、

何を食べよか

とあれこれ考えていたら、突然、

カレー

が頭に浮かんだ。しかし、食べようにも地下鉄に乗ってしまったし、時間も遅いし、この時間でカレーを食べようとしたら精々ファミレスかフランチャイズの店くらいしかない。ということでカレーは断念することにして、ほかに何かあるかなと考え直していたら、今度は今し方観ていた芝居のなかで法界坊が三囲土手の場で夜鳴蕎麦を食べているシーンが頭に浮かび、

蕎麦もいいなあ

と思うようになったわけだが、これも時間的に厳しい。そこへどうもカレーのことが頭の片隅に残っていたかして、本能的に

蕎麦…
カレー…
…カレー南蛮

カレー南蛮が食べたい

実に安直な連鎖式が展開してしまった。しかし、こうなると人間っていうものは無性に無理そうなものに固執したくなるところがあって、ご多分に漏れず僕もその状況に陥った。カレー南蛮が食べたくなって矢も盾も堪らないわけだ。

そういや、うさぎ家はカレー南蛮もやってたはづだ

と思い出し、北千住駅で下りるだけ下りたのはよいが、一抹の不安が頭を過ぎる。土曜日だとはいえ、今はGW真っ最中。個人営業の呑み屋がこの時期にやっているかが問題だ。しかし、もう下りてしまったということで、

ままよ

と東口を脇目も振らずに線路沿いの裏道からうさぎ家へ向かう。
裏道を途中で曲がり、商店街へ出ると遠目にうさぎ家の軒先にライトが煌々と点っているのが見えた。

しめた!

これで取り敢えず何か食べられるわけだ。そう思うと少しく安心して、残りの道程を歩む速度がゆっくりになる。
引き戸を開けてなかの様子を伺うと、流石に時期的にも時間的にも客はカウンタに一組の中年男女だけだ。僕も早速カウンタに腰掛けて、まづレモンハイを頼む。そして、メニューにカレー南蛮があることをちゃあんと確認すると、

カレー南蛮そばをひとつ

と注文した。
レモンハイで一服し、うさぎ家の妻女と四方山話をしていると程なくして、待望のカレー南蛮が出てきた。昨今、「かけそば」にレトルトカレーを掛け回しただけという感じのやらずぼったくりな酷い蕎麦屋があるなかで、ここのそれは呑み屋でありながら、ちゃあんとダシで溶いて作るカレーのため、実によい。これに七味を振り掛けて熱いのをハフハフと息を吹きかけ冷ましつつ、蕎麦を手繰るとなんとも堪えられない。程よい辛さに七味のぴりりとした刺激が相俟って、またそこに熱さも加わるから、食べているうちに自然と額に汗が滲み出てくる。この汗が実に快い。
汗をかき、合間合間にレモンハイをやりながら蕎麦を手繰っていると、店の妻女が

ウチのお客さんでね、呑んだ〆によくこれを頼まれる方がいるんですよ
それでね、蕎麦を食べ終わると今度はこの汁でご飯を召し上がるんですよ

というから、僕も

そりゃあ、わかる気がするなあ
この汁で雑炊みたいにして食べたら呑みの〆にはよいだろうね

と相槌をうち、綺麗に蕎麦を平らげれば、妻女が

お客さんもどうです?
ご飯、装いましょうか?

と聞いてくる。馴染みになる嬉しさはこういうところにあるね。ことあるごとに書いてきたが店が客を大事にしてくれる。そして、茶碗一杯のご飯を受け取ると、これを汁のなかに静かに落とし、少しずつほぐしながら食べれば、少食になりつつある僕でも、不思議とするするお腹に収まってしまった。
すっかり平らげてから、もう一杯レモンハイを頼み、店主や妻女と一服しながら四方山話に花を咲かせていたら、時計は11時をとうに廻っていた。もう、よい時間だと店を出た。
senju_usagiya_currynanbansoba.jpg
↑うさぎ家の「カレー南蛮そば」

吉右衛門座組「五月大歌舞伎」

午後のちょいと早い時間に家を出て、銀座三越の地下でいつものようにイチバチで弁松に行くと「白飯二重弁当」が残っていたためすぐに買い、さらに「大野屋」で面白そうな柄の手拭がないかと物色してから、新橋演舞場に吉右衛門が座頭の「五月大歌舞伎」夜の部を見に行く。夜の部の演物は、

 ○妹背山―三笠山の場
 ○法界坊
 ○双面―常盤津・竹本

の3本立だ。
歌舞伎座が5月恒例の「団菊祭」という超目玉を掛けているため、演舞場が座頭にキチキチを担いだといえども、正直なところ、歌舞伎座と同じ「歌舞伎」を掛けちゃあ、実力は十分にあるキチキチでもなかなか伝統の団菊祭に真っ向から太刀打ちできるものではないっていうのが今回の本音だね。なんかハズレ籤を引かされているように感じてしまう。
矢張り江戸の昔から東都の芝居は「団十郎」で持っているようなもので、舞台に出るだけで、台詞をいう前から拍手喝采のヤンヤヤンヤと大騒ぎになってしまう。況してやここに菊五郎も加わり、海老蔵、菊之助もとなれば尚更のこと。しかも昼の部に至っては「勧進帳」「切られ与三」などというのを演られちゃあ、いくら「鬼平」を掛けたところで演舞場の分は悪すぎる。
しかし、いい変えれば演舞場は殆どキチキチの一本立ちでよく頑張っているともいえるね。
さて、今回の中身だが、三笠山でお三輪を演じた福助は前半があまり宜しくなかったように思う。お三輪はまだうら若い娘なんだよ。その雰囲気を出さなきゃならないのだけれど、前半の福助のそれはそこをよく表しきれてなかったように思う。特に後半部で女官のいびりに怒りから狂乱するお三輪がよく出来ていただけに余計に前半部が勿体無い。それにしても後半部の怒りに狂ったお三輪が舞台下手のあたりだったかで目をひん剥いた形は、良くも悪くも実に先代歌右衛門に似てきた。これからどのように芸風が変わってくのかが楽しみではあるね。
それはそうとキチキチが若手を率先して起用しているのはよくわかるが、先月襲名したばかりの信二郎改め錦之助を法界坊と双面で要助(実は吉田松若丸)の役を振り当てたのは少し早かったように思うね。なんだかどの場面にいても締まらない。ただなよなよしてるだけみたいな感じを受けるのは否めないね。要助は身を手代にやつしても一応は吉田家の御家再興を願う跡取り息子だ。そこに一本芯の通ったところを見え隠れさせなきゃ、場が締まらないんだよ。それがなんだか、みんなにイジられるだけイジられて、なんも出来ない頼りなさすぎ男になってしまっているのが残念。矢張りもう少し修行させてから錦之助に演じさせたほうがよかったんじゃあないかな。
キチキチは今更いうまでもないだろう。時代物から世話物まで流石に座頭を勤めるだけはあって安定した芸風だが、惜しむらくは若干、その芸風がマンネリ化してる嫌いがあることだと思う。二立目の「法界坊」は本来、実悪。そこに道化の要素も加味してあるから心底憎むべきような嫌な実悪ではないのだけれど、その道化振りが去年、秀山祭の「籠釣瓶」で演じた佐野次郎左衛門と雰囲気が被ってる感じがする。願人坊主という胡散臭い「生臭坊主」と佐野にあって生糸で財を為した「田舎大尽」の雰囲気が被るっていうのはいかがなものかと思うね。それだけが不満といっちゃあ不満かなあ。
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それでは「春夏冬、二升五合」をお願いまして、皆々様の御手を拝借。

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熊さん。今のお人で何人目だい?
著者寸描(プロフィル)

浮世名詮〔うきよのめうせん〕

Author:浮世名詮〔うきよのめうせん〕
東西東西~。
さて、これより語りまする者はその名を「名詮」と申しまする。

性格は可成ふざけて居りまして、朝イチから行動すればよいものを、昼も過ぎ、夕闇の濃くなる頃から東都のあちらこちらへ出没し、状況に応じて色々な人物を演じ分ける素ッ惚けた根無し草。

まあ、気楽に気楽にお付き合い下りまするよう、隅から隅まで、ズズいっとお頼み申し上げまする。

先づは

乍憚口上
乍憚口上」つづき
乍憚口上」むすび

を一読下さりまするようお願い申し上げまする。

千穐萬歳大入叶

熊八ブログをケータイしておくれっ
ちょいと、そこのお前さん。無視していくんじゃないよ。めうせんの「熊八ブログ」がケータイでも見ることが出来るっていうじゃあないか。おや、知らない?まあ、この人はなんて野暮なことをいいなさんのかねえ。
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