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根岸「笹の雪」

季節柄、何人かの友人に浴衣のデザインについてトータルからワンポイントまで色々と相談されることがある。が、まづは本人の好みだから絶対にコレっていうものはない。ただ、僕の好みからいえば男は矢張り白を基にした藍染が爽やかでいてよいと思う。これに茶なり紺の献上を締め、桐下駄を突っ掛ければ十分だろう。
それにしても、最近の人は身体のラインが細いから浴衣を着てもどこか様にならない。その原因のひとつは帯を随分と高い位置で締めているからだろう。それだけ日本人も洋服の似合う足長のスタイルになったということかな。
そういう周りの友人に触発されたからではないが、僕も久し振りに地元の呉服屋で浴衣に誂えてもらった。デザインはなかなかよくて気に入っているのだが、着る機会があるのかが怖い。まだ袖すら通していない。まあ、それはよいとして、本題に入ろう。

府中の友人と昼飯を食べることになり、上野で落ち合う。天気は生憎の曇天で非常に蒸し暑い。こういう蒸し暑い日は矢張りさっぱりしたものが欲しくなる。それと乾いた喉に滲みるシュワシュワッとした喉越のもの、詰まりビールも欲しい。
となれば蕎麦屋だが、偶にはちょいと趣向を変えようと、一駅移動して鶯谷で下りる。目指すは根岸の「笹の雪」だ。
言問通りを越えた先にある「笹の雪」は僕が説明するまでもないだろう。豆富懐石の老舗だ。土地柄、昔は吉原へ繰り出す前の軽い腹拵えとして、また、袖にされず運良く朝帰りできた旦那衆が酔い覚ましを兼ねて立ち寄り、ここの「笹の雪」を平らげたわけだ。

是もえんみの輪でうれる笹の雪 (八八14)
遊所よりの帰るさに食フ笹の雪 (九五42)

などという川柳からも吉原と笹の雪の関係が伺えるね。
さて、次第に雲行きが怪しくなり少し駆け足気味で向かうと、下足番も雲行きの怪しさを心配して、丁度、店から出てくるから、

予約してないけど大丈夫かな

と聞けば、ピンと背筋の伸ばして老いてもよく通る声で

お二人様ご案内ィ

と奥に通す。玄関で下足札を貰うと二階に案内されるが、この生憎の天気であっても笹の雪は繁昌していて大部屋の入れ込みは一杯らしく、小部屋に通される。
笹の雪ではなんといっても「豆富懐石」を手頃に楽しめる「朝顔セット」がよい。これは昼間だけのメニューだが、これで十分に豆富懐石の雰囲気を味わえる。ざっと手元のパンフから品書きを抜き出しておこうか。

小付(雲丹豆富・高野豆富、厚揚げおよび花豆の炊き合わせ)
中桶(冷奴)
胡麻豆富
あんかけ豆富
雲水(湯葉巻〈海老・帆立・ほうれん草・きのこ〉の豆乳スープ)
うずみ豆富
デザート(豆富のアイスクリーム)

まづ小付で供される雲丹豆富は濃厚な雲丹の味が口のなかに広がるが、これは可愛らしい一口サイズだからこそ、濃厚な味も後を引かないからよい。いつまでも口のなかに味わいが残ってしまうと後の豆富の味に支障を来たしてしまうからね。
次に中桶とともに供される胡麻豆富は夏には絶品のひと品で、あの胡麻特有のこってりした濃厚さはなく、寧ろ胡麻と一緒に練り上げられた大葉の爽やかな苦味と香りが抜けて堪らなくよい。
懐石といっても豆腐のため、熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちにという原則は余り気にしないでよい。ひとつひとつをゆっくり味わい、ビールをやっていると名物の「あんかけ豆富」をズルズって啜るころには1本目が空く。どれもこれもビールと非常に相性がよいのだ。
〆の「うずみ豆富」は埋豆腐とも書き、別名を「雪消飯(ゆきげめし)」ともいう。江戸時代の料理本「豆腐百珍」にもその名が出てくるものだが、作り方はいくつかあるようだ。そのうちのひとつが笹の雪のいう「うずみ豆富」で、ここのは茶漬けにして供される。極細かくした豆腐を油で揚げてふりかけにし、これをご飯の上に散らして熱いお茶を掛ける。そして、湯気の立ち込めるところを一気に掻き込めばもう堪らない。まさに〆のひと品といったところだ。

ぼつたりとはさめバ解る笹の雪 (八四32)

先人は実に的確な捉え方をしている。笹の雪についてはこの句に尽きよう。

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[我楽多品-12]一陽来復札(穴八幡神社)

法寸:たて10.0×よこ5.5×厚さ1.8 (cm)
数量:1個
購入場所:穴八幡宮(東京都新宿区西早稲田2丁目)
購入日:平成17年12月23日

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冬至から節分までの間に頒布される札。翌年の暦(大の月・小の月など)が印刷されたものを筒状に巻きつけてある。
これを冬至・大晦日・節分のいづれか一日の夜中12時にその年の恵方に向けて高いところに貼ると金運が上るらしいが、冬至の日に購入するから、その日はダメ。大晦日は「ゆく年くる年」を見てたら、12時を廻ってしまってダメ。節分の日は新宿で朝まで飲んでいてダメ。ということで今年は金運上昇を望めそうもない。

佐倉「玉家」

仕事上がりに後輩(金魚づくし、と号す)を連れて、土用丑より1週間ばかり早めの鰻を食べに行く。場所は佐倉。
佐倉は江戸の頃、東都の東を守る要衝として重要視されていたところで、歴代藩主は老中や大老などの役職に就く大名が赴任するところだった。しかし、今その佐倉を見渡すと実に

風光明媚

としかいいようがない程、とても50km通勤圏のイメージはない。特に京成線臼井―佐倉間、JR四街道―物井―佐倉間などはその変り様が凄く、突然、住宅地が一面見渡す限りの田園風景に変わる。まさに、

国境のトンネルを抜けるとそこは雪国だった

じゃあないが、

目が覚めるとそこは田圃だった

といった感じだ。仕事とはいえ我ながら、

よく佐倉くんだりまで通うよな

と思う。
駅に下り立っても周りはいかにも片田舎の鄙びた街といった体だ。それくらいに何もない。通い始めた頃はこの風景に随分とショックを受けたものだ。
付け加えれば自分の無知から来る唖然だが、京成線を佐倉から更にひとつ成田方面に進んだ「大佐倉」駅などは駅構内に踏み切りがあり、上り方面に行くには改札内の踏み切りを渡るといった構造に瞠目したものだ。尤も、後に東京でもそういう駅はあるらしくて、これまた京成線の「柴又」が同じ構造だ。
片田舎とはいえ、もとは東の要衝だけあって、街の造りそれ自体は城下町だった頃の様子をちらほらと留めているところがある。その最たる例は佐倉に入る主要な道路がクランクに整備されていることだ。城下町の入口では軍事防衛の理由から敵軍の行動を制限させる目的でクランクを設けている。佐倉もご多分に漏れず、旧成田道から佐倉に入るところにはその形跡がみられる。
そのクランク近くの裏道を少しく入ったところに、佐倉で唯一ともいえるような料亭造りの鰻や「玉家」がある。玉家は明治17年創業と古く、戦前までは下士官御用達の割烹料亭だったらしい。
しかし、割烹料亭といえば聞こえはよいが、おっしょさんにいわせれば、料亭は料亭でも

在の料亭

と修飾語が付く。
その「在の」の料亭へ蝉が五月蝿く鳴く夕暮れに金魚づくしちゃんと二人して、てくてく歩いて向かう。
門を潜り、玄関に立てば、在といえどもそれなりに趣があり、奥から女将らしき女性が応対に現れる。
本来、こういう料亭といわれるものは事前に予約するのが当然だが、

飛び込みでも大丈夫

とおっしょさんから聞いていたため、その言葉通りに飛び込みで入ると、すんなり融通してくれたのは有り難い。
少しして部屋に通される。在といえどそこは一応、料亭だ。客は大なり小なりの個室に通される。この男女に用意された部屋は「離れ」とまではいかないが独立した個室で、障子を開ければささやか乍ら鯉の泳ぐ小さな池が配されている。
金魚づくしちゃんと差し向かいに座れば女将は早速に注文を取るが、注文といってもできますものは「鰻重」のみ。あとは飲み物しか置いてない。至ってシンプルだ。
女将はひとつ間を置いてビールを持って来ると、わかってますとばかりにそそくさと部屋を出て行ったが、察するにどうも女将は僕と金魚づくしちゃんの関係を勝手に勘違いしていたのだろう。まあ、確かにそれなりの格好の若い?男女が夕闇に紛れて訪れたとなれば、あらぬほうに想像もしたくなろう。しかも、金魚づくしちゃんの左手薬指には銀色に光るモノがある。想像力を逞しくすれば、この男女は

密会の二人

だ。だから、こっちも密会の二人を演じれば、それはそれで面白い。
付出の肝でビールを呑みながら、金魚づくしちゃんと他愛もない話をしていると、少しくして注文した「鰻重」が肝吸とともに運ばれてくる。昼飯は極軽くで済ましていたため、すっかり腹が減っている。
ここの鰻重はやらずぼったくりの変に澄ました気持ち程度の鰻ではなく、重箱に隙間なく鰻が敷き詰められてあり、一瞬、

おっ!

となる。尻尾の部分が重箱から食み出ているあたりは、いかにも「在」らしい無骨な感じとでもいおうか。少なくとも都会のような気取りというか洗練された感じはないね。
早速、山椒を振り掛けて熱いところを掻き込めば、見た目通りになかなかのボリュームで、食が細くなりつつある(と思っている)僕には十分過ぎるくらいだ。金魚づくしちゃんなどには可成り多かったんじゃあないかなあ。
金魚づくしちゃんと歓談しながらすっかり平らげて、更に〆で冷酒を1本追加すれば、実に満ち足りた感じだ。
食事も済み、お互いに十分寛いであれこれと四方山話をしていると、あっという間に時間は過ぎ、2時間程居座ってしまったようだ。時計を見れば丁度よい時分だということで、そろそろ引き上げようと女将を呼び、勘定を頼めば実に良心的な価格だ。思わず二人とも顔を見合わせてしまった。
個室で十分量の鰻重を食べ、酒を飲み、のんびりと歓談を楽しんで、これほどでよいのかと思うとなんだか悪い気がしなくもない。帰り掛けに女将は、

今度は是非、ご予約して頂ければ直ぐにお持ちいたしますから

と最後まで遠慮しいしいにいう。
店を出て、金魚づくしちゃんに、

矢張り僕らのことを「密会の二人」とでも見てたのだろうか

といえば、金魚づくしちゃんも

多分、そうでしょうね

と返してくる。確信犯だね、まるで。
すっかり外は真っ暗だ。ほろ酔い加減で駅まで向かう間、路地を抜ける風が酔いを覚ましてくれているようでいて気持ちがよい。

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[我楽多品-11]火伏凧(装束稲荷神社版)

法寸:たて26.6×よこ20.6 (cm)
数量:1張
購入場所:装束稲荷神社(東京都北区王子2丁目)
購入日:平成18年2月5日

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王子稲荷の火伏凧の対となる装束稲荷の凧。王子稲荷の凧が奴凧なのに対して、装束稲荷の凧はその名の通り装束(打掛)のデザイン。王子稲荷同様に初午の日に頒けて貰える。が、今ではビルに囲まれた路地裏の地味な一角にあるため、祭礼がややもすれば町内会主催の縁日や模擬店程度にしか見られないのは残念。矢張り初午祭礼ではまづこの稲荷で身だしなみを整えて、王子稲荷に参拝したいものだ。

府中「大国魂神社」すもも祭

新宿から京王線の特急に乗ること20分程度で府中に着く。府中はその昔、武蔵国の国府が置かれていたところだが、今は郊外の住宅地そのものといった感じだ。駅前のメインストリートは欅並木になっていて、木立の緑は目に爽やかだ。その並木通りを南に甲州街道(旧道)まで進むと、突き当たりに「大国魂神社」の森がある。
大国魂神社の由緒は古く、国府が置かれる以前から鎮座していたという。鬱蒼と茂った森のなかを本殿まで真っ直ぐに参道が伸びている。その参道を昼日中に歩く時、人はこの森が醸す静寂さに不思議な安らぎを覚えるかもしれない。しかし、言い換えればそれは夜の闇に溶け込んだ時、同じ森が一転して、途轍もなく大きな黒い塊に見え、人に畏怖を与えるものにもなろう。まさに鎮守の森が持つ効力だ。
しかし、今回は別だ。例年7月20日は「李子祭」の祭礼で大鳥居から参道の両脇を屋台が隙間無く軒を連ねている。
すもも祭の端は源頼義・義家父子の奥州征伐にまで遡るらしいが、今イチ、すももと頼義・義家父子の奥州征伐が結びつかない。手元にある神社の来歴を記したパンフを見てもピンとこない。
尤も僕にとってはすももと頼義・義家父子の関係は二の次で、川東・川北一帯に住む僕が態々府中くんだりまで足を延ばしたのは、この祭礼の日限定で神社より頒布される「烏団扇」が欲しかったからだ。
烏団扇とは表に八咫烏、裏に鳥居が描かれた全体黒塗りの団扇のことで、この団扇で扇ぐと農作物に付く虫がコロリと取れるという「虫除け」のご利益があるという。別に家は農家でもなんでもないけれど、兼ねてからこの団扇の存在を聞いていて、単純に、

欲しい

と思ったからだ。それ以外に理由は無い。それでも無理矢理に理由をこじ付けるなら、こうでもしないと府中へ下り立つことがないからだ。
参道を賑わす屋台をあちらこちらと見て回りながら一路、拝殿へ目指して進むと、その社地の広さがよくわかるね。大鳥居から随神門、中雀門と進み、漸く拝殿へ辿り着く。
早々に「コンニチハ」と挨拶程度にお参りを済ませて目当ての団扇を頒けて貰う。保存用と通常用という理由で2本頂いて、早速、団扇を眺めてみる。音に聞いた通りに両面とも黒い。が、そこで終わってしまっちゃあいけない。
この団扇は本来「虫除け」のためのものなんだが、いつのころからか団扇の骨が烏の目の真ん中を通っていると「縁起がよい」とした本来のものに付随したご利益てものがあって、実はこれが目当てだったわけよ。そして、2本のうちの1本は見事、烏の目の真ん中を通っている。

態々府中くんだりまで来た甲斐があった

と報われた思いだ。
団扇も頂いた。となると矢張り屋台が気に掛る。大国魂神社の社地は広い。その広さを活かして屋台も色々と出ている。この屋台のなかから新参者を探すのが実に楽しい。例えば食べ物系ではケバブ、チキンステーキはすっかり定着したが、このほかにタコス、チキンカピタ、シャービンなどというものもある。
品物それ自体はどんなものかはすっかり忘れたが、その肩に書かれた言葉が実に衝撃的だったものをひとつ挙げておこう。それは幅広の短冊に切った蛍光色の緑の紙に黒マジックで目立つようにして、

今、原宿で人気の~

というのを堂々と同じ東京内で掲げていた。これを見た時は思わず失笑してしまった。府中なら明大前でも新宿でも乗り換えれば渋谷なぞ30分程度で着く。そう遠いものではない。にも拘わらず、この屋台は態々「原宿の」と冠するあたりがなんともまあ、人を食ったようでいて実に愉快だ。屋台を見て廻ると、時としてこういう場面に遭遇するからやめられない。
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↑府中「大国魂神社」拝殿
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↑大国魂神社境内「すもも祭」 すももの量り売り・袋売りの屋台

江の島詣で

午後も遅くに所用で江の島へ行く。
江の島といえば、この季節はなんといっても海水浴だろう。両岸には海の家が軒を連ねている。しかし、前日の台風に続き、生憎の天気のため海は濁り、いるのはサーファー風の人ばかりだ。
今でこそ江の島は湾岸から島へ向かう左岸の「片瀬江ノ島海水浴場」がまづ最初にイメージされるけど、その昔、この島は鎌倉と対をなす名所だった。たしかに今でも鎌倉から湾岸に沿って藤沢方面に進むと、少し沖合いにポツンと見える江の島はどことなく現世とは違う切り取られた別世界のようでいて、見目良い感じだ。ただ、今のこの時期はいつも渋滞でホンの目と鼻の先の距離が一向に縮まらないっていう問題があるね。
さて、僕にとっても江の島といえば矢張り「海水浴」だが、それともうひとつ「知らざあ言って聞かせやしょう」の弁天小僧(正しくは「青砥稿花紅彩画」)が浮かぶ。あの軽快な調子で語られる弁天小僧の台詞には江の島の名所が随所に織り込まれているが、そんなことは知らなくとも、ただ言葉遊びとして口ずさんでいて、その七五調の絶妙な調子にはほとほと感心してしまう。

知らざあ言って聞かせやしょう、浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪の夜働き、以前を言やあ江の島で年季勤めの稚児ヶ淵、江戸の百味講(ひゃくみ)の蒔銭〔⇒百味で散らす蒔銭〕を当てに小皿の一文子(いちもんこ)〔⇒一文字(いちもんじ)〕、百が二百と賽銭のくすね銭せえ段々に悪事はのぼる上の宮、岩本院で講中の枕捜しも度重なり、お手長講と札附にとうとう島を追い出され、それから若衆の美人局、こゝやかしこの寺島で小耳に聞いた祖父さんの似ぬ声色で小ゆすりかたり、名さえ由縁の弁天小僧菊之助という小若衆さ〔⇒弁天小僧菊之助たぁ俺のことだ〕、※〔 〕内は別の言い様

その江の島へは山下から既に食べ物屋が軒を連ね、店前で新鮮な魚介類を焼き、潮気のあるような焦げの香ばしい匂いで人を誘う。しかし、どれをとってもやらずぶったくりといえるほどに高い。特に自称、ご当地モノに関しては恐ろしいくらい高値で、値段は敢えて言わないが「栄螺の壷焼き」の一つを採っても、「地蛤」の一貝を採っても唖然とするほどだ。まあ、それだけ日本の海が汚れきっていて漁獲高が減っている表れといえよう。自分達で首を絞めてきた結果というわけだ。そう考えると高いのも仕方がないことなのかもしれないなあ。
まあ、取り敢えず、江の島に来たからには弁天さんにお参りに行くのが筋だろうってことで、よい匂いの誘惑を振り切って、参道を進むと両脇に土産物屋が続く。以前を言やあ江の島土産は「貝細工」だったろうが、実際、歩いてみると大きく様変わりしていて、まづは釜揚げしらすや佃煮といったものが店頭に並び、あとはご当地ストラップの類いが前面に出ている。良くできた名物の貝細工は何軒かの店のしかも奥のほうに追いやられているのを見ると、

時代の流れ

を感じてしまう。その参道中腹の右側にちょいと趣のある塀が見える。ここが先程の弁天小僧の台詞にもあった宿坊の「岩本院」だ。今は「岩本楼」と呼ぶ。敷地の少し奥まったところにある建物はどれもすっかり現代風に改装してあって、由緒あるこの宿も昔の姿を全く留めていないのは残念だ。しかし、経営者側からすればその時代その時代に適応していくのは当然のことだから、これもまた、

時代の流れ

なんだろう、と諦めるしかあるまいね。
二の鳥居を潜ると直ぐ先に唐風造りの「随心門」がある。ここから後ろへ振り返って夕闇の迫る対岸の風景を眼下に見るのはなんとも格別なものだ。
次第に夕闇が江の島にも迫りつつあったから、急ぎ足で「辺津宮」「弁天堂」「中津宮」および「奥津宮」と参拝を済ませて、さらに奥へ奥へと進めば島の反対側に出る。その突端が稚児ヶ淵だ。
その昔、鎌倉建長寺の僧自休と相承院の稚児白菊が恋に落ちるも結ばれることなく、煩悶した白菊がこの淵に身を投げたことから付いた場所で、前日の台風の影響もあって海は時化ていて、岩礁の上からそーっと下を覗けば波が激しく打ち寄せている。ここなら身を投げれば一発で海に飲み込まれるのがよくわかる。
この淵際に燈篭が一基奉納されているが、時化た海を背景にしてそれを眺めると、訪れた者達に対して

この淵が図らずも背負ってしまった白菊の悲哀な心のうち

を知って貰おうと語りかけているようにも感じるね。・・・とは、ちょいとカッコつけ過ぎたなあ。
稚児ヶ淵を後にして岩屋に向かうが、悪天候のため閉扉されていたのは残念だった。しかし、その戻り道、参道の土産物屋に立ち寄って、今し方まで店頭の蒸篭で熱々に蒸し上げられていた白と茶色の二色からなる「女夫饅頭」を買い求め、そのまま紙に受けて歩き乍らハフハフと少しく冷まして頬張れば、控えめな餡の甘さが口一杯に広がる。梅雨寒にすっかり冷えた体には、この甘さと温かさが実に堪らない。

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[我楽多品-10]火伏凧(王子稲荷神社版)

法寸:たて20.5×よこ28.7 (cm)
数量:1張
購入場所:王子稲荷神社(東京都北区岸町1丁目)
購入日:平成18年2月5日

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初午の日に限り、頒けて貰える王子稲荷の火伏凧。但し、近年は二の午(年によっては三の午)でも大丈夫だとか。しかし、矢張りご利益を重視するなら、無理してでも「初午」に行ったほうが、有難味があるように感じるのは僕だけか。
これと対になっているというべきものが「装束稲荷神社」の火伏凧だ。

浅草「四万六千日」―付り、可愛くない金魚

仕事帰りに、そのまま浅草へ出て「四万六千日」に行く。
下町を中心に川東・川北一帯で長く暮らす者にとって、夏の風物詩といえば、なんといっても浅草寺の四万六千日だろう。この縁日を迎えると下町は愈々夏本番だ。
四万六千日とは、7月9日および10日の二日間に限り、浅草寺へ参詣すると四万六千日分お参りしたのと同じだけのご利益があるというもので、これを年単位に換算すれば、ざっと126年分のご利益が頒けて貰えるという計算になる。1度のお参りで126年分ものご利益をガッツリ頂こうっていうんだから、人間ていうのは今も昔も欲張りな生き物だね。
同日は、併せて境内に「ほおづき市」が立ち、所狭しと葦簀張りの店がそれぞれに威勢良く「ほおづき」を売り捌いている。このほうづき市の光景は江戸の頃も矢張り風物詩で『東都歳時記』を開いてみれば、

観音千日参今明日 世俗四万六千日ともいふ、この日詣づればこの日数に向ふといふ、
浅草寺 両日の間昼夜参詣の老若引もきらず、境内本堂の傍にて赤き蜀黍を商ふ、諸人求めて雷難除けの守とす、今日本堂にては修法なし、通夜の者多し、

とある。「両日の間昼夜参詣の老若引もきらず」とあるのは今も同じで、参道はこれから行く人と帰る人とで凄い人だかりだ。ただ文中の「赤き蜀黍」をそのまま読めば、当時の市に並んだのは「ほおづき」ではなく、「とうもろこし」だったのかも知れないなあ。
まづは霧雨の振るなか、観音様へ「こんばんわ」と挨拶程度にお参りをし、早速、脇の寺務所で御幣に見立てたような三角に折り畳んだ雷除守を頒けて貰う。これで色んなカミナリが落ちないことを願おう。
観音堂を後にして左面(二天門から浅草神社あたり)に市を為しているほおづきの店をブラブラと見て歩けば、ここかしこから威勢のよい声が掛る。裸電球の煌々と輝く下に並ぶほおづきの鉢。釣荵に江戸風鈴の乾いた音色。浴衣姿の女性。その賑やかでいて、どこか幻想的な風景を目の当たりにしていると、何故かワクワクして体が火照ったようになる。不思議と嬉しいのだ。肌でひしひしと「夏の到来を感じている」とでも表現したほうがよいかもしれない。
そんななか、ふと一軒の店に足を止める。別に理由などない。強いて挙げれば、軒端に役者の名前が白く染め抜かれた「招き」が目に入ったからだ。何気なくその招きに目をやれば、早速に売り手が傍に寄ってくる。

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[我楽多品-9]狐像(被官稲荷神社)

法寸:たて3.7×よこ3.4×高さ8.5 (cm)/左・右とも
数量:2個1組
購入場所:被官稲荷神社(東京都台東区浅草2丁目)
購入日:平成18年3月1日

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浅草神社境内の裏手にひっそりとある「被官稲荷」は芝居などで御馴染みの「新門辰五郎」が建立した。
被官とは「官せらる」と読み下すとか「仕官」を江戸語訛りで発音すると「ひかん」になるとか慎ましやかに語られているが、後者についていえば江戸語で「ひ」音が「し」音になることはあっても、その逆は有り得まい。まあ、どちらにせよ要は「出世」を意味するらしい。
この狐像、実は今日、ひと窯しか残っていない貴重な「今戸焼」製の有り難いものだったりする。
今戸焼製ということもレア性を高める要因になろうが、こう見えて可成り知る人ぞ知るレアな縁起物。
頒けて貰う方法については一部の間で口づてにしか広まっていない。第一、地元でもない限り「被官稲荷」を知っている人が少ない。

[我楽多品-8]犬張子(鳥越神社)

法寸:たて7.5×よこ7.0×高さ8.5 (cm)
数量:1個
購入場所:鳥越神社(東京都台東区鳥越2丁目)
購入日:平成19年1月7日

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展示替え2品目。
郷土玩具にもなっている「張子犬」に籠をを被せた浅草は鳥越神社の「縁起物」で、竹籠を被った犬(「竹」に「犬」)は「笑」に通じるとした江戸人の洒落。いつも「笑い」に包まれている家庭で育つようにと初宮詣での赤ん坊に授ける。
しかし、初宮の子が身内にいなくても普通に頒けて貰える。

駒込「富士神社」大祭

普段ならば、休日は昼過ぎになって漸く起きるところだが、今回は午後から府中に住む友人と会う約束をしていたので、その前に二、三やっておきたいことがあって、自分のなかでは信じられないほど早起きする。しかし、前もって約束していた友人が二日酔いということで、ドタキャンということなり大幅に一日の予定が狂う。
まあ、それでも折角早起きしたのだからと、当初の予定通り朝から行動する。目指すは駒込だ。
毎年七月一日は霊峰・富士山が山開きの日で、この日を前後して各地の富士塚を祀っている神社では祭礼やら儀式がある。駒込の富士神社もそうだ。
駒込の富士神社は江戸の頃から「駒込富士」として庶民の尊崇が厚く、有名な名所だ。江戸という時代は今と違って誰でも気軽にひょいと富士登山できるわけじゃあないから、代替として人造の富士を各地に築き、そこに詣でることで富士山に登ったのと

同じご利益

を得ようとしたわけだ。
駒込の富士神社はJR駒込駅から六義園の前を通り過ぎ、さらに白山方面へ進んでいく途中を左手に一本入ったところにある。宵宮にあたる前日の万灯送りから始まり、本祭、宮入と都合三日に及ぶ祭礼だ。それほど広くない境内はすでに屋台が犇きあっていて、見ていて実に楽しいものだ。ヤキソバ、お好み焼き、たこ焼き、かき氷、ベビーカステラなどの屋台の合間に新興のケバブやらチキンステーキなどが並び、よい匂いを漂わせている参道を進むと富士塚の麓に着くわけだが、その間にちょいと気になった屋台があった。

亀の子釣り

の屋台だ。金魚すくいが変じてミドリガメの子をすくうから、亀の子すくいなんだろうが、今時、珍しい。

ほう。まだ亀の子すくいなんてえもんがあるんだな

と思うが、ふと見た屋台の兄ちゃんはあまり面白くなさそうだ。まあ、そりぁそうだろう。屋台といえば、矢張り花形は「ヤキソバ」や「お好み焼き」といった食べ物系だ。それに比べれば亀の子すくいなどは可成りマイナーな屋台で派手な見せ場がない。只管に客が来るのを待つしかないわけだが、当の亀さん達はそんな屋台の兄ちゃんの気分を他所に狭い水槽をあちらこちらへ気侭に泳いでいるのが印象的だね。
駒込の富士塚はその形状から、一説には古墳だともいわれているようだ。いわれてみればそんな気がしないでもない。周りの地形と比べれば明らかにこの塚だけがこんもりと土を盛ったような感じがするが、事の真相は定かでないし、そういう考古学的な話は専門家の人びとに任せて、素人は麓から塚の頂にある社殿へ向かって一直線に伸びている階段を上るだけだ。
「頂の~」というと大層な感じだが、精々15メートルあるかないかの塚上の社殿はそう古くはないコンクリ造りのもので、なんだか気落ちする実に安っぽい感じだが、信仰と社殿の安っぽさは関係ないから、これはこれでよいとしよう。
さて、富士講の講中でもなんでもない僕が休日の朝早くから態々駒込富士まで来たのは、実に単純な動機で、大祭の時に頒布される「麦わら蛇」と「麦らくがん」を頒けて貰うためだ。
「麦わら蛇」とは富士神社で山開きの時に限って頒布されるレアな縁起物のことで、小枝に麦わらで編んだ蛇が巻き付いている「疫病除け」「火除け」の御守だ。別名を「神竜」ともいうことからも「水廻り」に祀っておくとよいらしい。
「麦わら蛇」もそうだが、駒込富士といえば「麦らくがん」も外せないね。この落雁は富士山の形に抜かれたもので、講中の人の話によれば、

毎年、微妙に味や硬さを変えている

という。それというのも毎年買いに来る人びとの注文で、

去年は甘すぎただの
去年は硬かっただの

口喧しい意見がひとつにあって、それにその年その時の気候に合わせて柔軟に対応しているとのことだ。講中の話を聞きながら試食品をひとつ摘んで、口に入れると何とも懐かしい素朴な味がする。それを二袋ばかり買い求め、山を下りると境内は随分と賑わいを見せている。

折角だから、なにか食べよう

と思って境内をグルグルと歩いていて、ふと脳裏に、

あんず飴

が浮かんだ。それなら、よしと「あんず飴」の屋台を探す。しかし、いざ屋台を探して驚いたのはこれだけ沢山の屋台があるのに、あんず飴の屋台が一軒しかないということだ。あんず飴といえば屋台の定番と思っていただけに、ちょいとショックだ。時代は刻々と変わるものだと感じるね。それでも一軒あったわけだから、早速、あんず飴をひとつ買い求めると、屋台のオバちゃんが、

お兄さん、クジひとつ引いていきなよ

と屋台の左脇に置いてある手製のコリントを指す。コリントには「2」だの「3」だの「5」だのと書かれたポケットがある。そのポケットに入れば書かれた数字分のあんず飴を貰えるというわけだ。

ふーん

と別段、期待するでもなく、軽い気持ちでバーを、

よつぴいてひやうど

と放てば、打ち出されたビー玉がコロンコロン、カクンカクンと釘に当たっては右にチョロチョロ、左にチョロチョロと進み、なんと「2」と書かれたポケットに入ってしまった。

あら、お兄さんよかったねえ
2本当たりだよ
好きなの持っていっていいよ

と言われて、ちょいと小っ恥ずかしいやら嬉しいやら意外やら。取り敢えず、すももを2本頂いたが、境内を出て目の前の少しく落ち着ける場所に立って、ふと、

「すもも」が2本あってもねえ

と手に持った「すもも」の真っ赤で大きなふたつの実を見て少し後悔。

邪道だが、1本は「みかん」にすればよかった

と思いながらも、ままよと歯に絡みつく水飴と格闘して、すももを頬張った。酢漬けにしたすももの甘酸っぱさが口のなか一杯に拡がる。なんだか久し振りに童心に返った思いだ。
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↑駒込「富士神社」鳥居前
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↑富士塚の上から境内を見下ろす。所狭しと屋台が軒を連ねている。
komagome_fujisha_mantoro.jpg
↑富士神社の「万灯籠」
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それでは「春夏冬、二升五合」をお願いまして、皆々様の御手を拝借。

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熊さん。今のお人で何人目だい?
著者寸描(プロフィル)

浮世名詮〔うきよのめうせん〕

Author:浮世名詮〔うきよのめうせん〕
東西東西~。
さて、これより語りまする者はその名を「名詮」と申しまする。

性格は可成ふざけて居りまして、朝イチから行動すればよいものを、昼も過ぎ、夕闇の濃くなる頃から東都のあちらこちらへ出没し、状況に応じて色々な人物を演じ分ける素ッ惚けた根無し草。

まあ、気楽に気楽にお付き合い下りまするよう、隅から隅まで、ズズいっとお頼み申し上げまする。

先づは

乍憚口上
乍憚口上」つづき
乍憚口上」むすび

を一読下さりまするようお願い申し上げまする。

千穐萬歳大入叶

熊八ブログをケータイしておくれっ
ちょいと、そこのお前さん。無視していくんじゃないよ。めうせんの「熊八ブログ」がケータイでも見ることが出来るっていうじゃあないか。おや、知らない?まあ、この人はなんて野暮なことをいいなさんのかねえ。
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「文は遣りたし、書く手は持たず」なんて謙遜、遠慮なぞは無用ってもんでございやす。へい。

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