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辻堂「GUARD」

人によくオススメの食事処を聞かれることがある。
そういう時は一応、相手にどこでどんなジャンルのものが食べたいのを聞いてから対応できる範囲で答えるが、得てしてそれなりの老舗を勧める。その理由は、老舗であればまづ

ハズれることのない

味だからだ。老舗が老舗たる所以はその店の矜持としている味が、商っている地元にあって、しっかり根付き認められているから何代にも及ぶわけだ。まあ、少しく口を悪くしていえば、

伝統の味の呪縛

から逃れられないのも老舗の特徴で、時として現代の味覚と合わないこともあろうが、その辺はこちらがよく斟酌すべきだろうよ。
それはよいとして、老舗で旨いものをあれこれと味わうのも好きだが、僕にだって懐事情というものもあって年柄年中、そういう店に通っているわけにはいかない。TPOに応じて安い店、さらには小洒落た店にも足を運ぶ。そのひとつが辻堂の「GUARD」だ。この店へは鎌倉や江の島へ行った帰りに少しく足を延ばして訪れる。
辻堂というところは正直、海しかないといっても過言じゃあない。旧道沿いには四谷などにそれなりの史跡などもあるにはあるが、是が非でも推して述べるようなものじゃあない。矢張り



しかない。
ここの海は一年中、サーファが波乗りを楽しんでいる。寒さの厳しい1月や2月ですら、日中少しでも暖かいようならば、スーツに身を固め、ボードを脇に抱えたサーファを海岸沿いの道でよく見かける。江の島や茅ヶ崎のように夏になると突然現れる所謂岡サーファはこの辻堂には少ないように感じる。僕の偏見かも知れないが、純粋に波乗りの好きな人たちは1年を通じて、その折々に千変万化のごとく表情を変える波を果敢に挑み、ボードを操ろうとしているのを目にすることができるところが辻堂だといえるんじゃあないかな。
さて、話を戻して「GUARD」はその名が示すように元々、湘南をはじめ各地のライフセーバ達に向けた大小様々なアイテムを扱う店として始まったわけだが、それとは別に店名に冠しているそれをオリジナルブランドにしたサーフショップも展開した。ここのTシャツはデザインのよさ、面白さとその生地の丈夫さから、年に何度か買い物している。
そのショップは同時に昼はレストラン、夜はスポーツバーをも経営しており、場所柄、セーバ、サーファ、学生達がよく集うが、だからといって騒々しいわけでもなくそれなりになかなか雰囲気のよい店で、店員のサーヴィスもよい。よいだけじゃあなく、その精神も豊富で至れり尽くせりだ。
サーフショップということもあって、出される料理はハワイアンテイストのものが多い。なかでも僕か好きなのは「タコライス」で、その安さと味は申し分ない。サルサソースの酸味とチーズの濃厚な味が丁度よくて、するすると腹に収まってしまう。先にも述べたが場所柄、目と鼻の先にある大学の学生も多く利用するらしく、彼ら向けに弁当も出しているが、学食にでも対抗意識を燃やしているのかその頗る良心設定には目を見張るほどだ。
ただ惜しむらくは僕なぞはこの店へ行く時は車のため、夜のスポーツバーでちょいと軽い飲み物でもというわけにはいかないってことだ。
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↑辻堂「GUARD」の外観
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↑GUARDの「タコライス」
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祗園縄手「とり新」夜の部(回想)

毎年、世間が盆休みの時には仕事をし、ひと足遅らせて夏休みを取るようにしている。そうすることで実にのんびりとでき、気分は頗るリフレできる。そして、その休みを利用して京都に行き、日がな一日のんびりとしているのが好きだ。今日もJR駅構内で例の東海のポスターをちらりと見たが、見るたびにポスターのコピー通り、

そうだ、京都へ行こう

という気になるんだけど、今回は時間も懐事情も厳しいので断念せざるを得ないようだ。しかし、近場ならなんとかなるだろうと思い、久し振りに近代日本最初の避暑地の

日光

へ行こうと計画しているところだ。
さて、帰路の途中、地元駅前の呑み処で焼き鳥を片手に軽く一杯引っ掛けてて、ふと「とり新」を思い出した。
京都は祗園の裏手で営業している「とり新」については以前にも述べたことがある。昼はよい親子丼を食べさせて貰える店だ。ここは夜になると顔を変え、焼き鳥屋になる。
今年の春先、清澄氏との京都旅行では着いたその足で真っ直ぐに「とり新」に向かい、親子丼を食べ、そのまま夜もまた「とり新」にお邪魔した。だから、若旦那には、

昼間はどうも

と挨拶されてしまった。
夜の「とり新」は若旦那のお姉さんが切り盛りしている。なかなかに気さくな京女で快濶に笑う人だ。
「とり新」は昼の親子丼もよいが、夜の焼き鳥も実によい。流石は表店が鳥屋を営んでいるだけはある。素材がよいわけだ。ビールや酒を呑みながら1本ずつ好きなものを焼いて貰うのもよいが、ここの味を知るには「白川コース」が手軽でよい。ひと通りの味が楽しめる上に〆のご飯がよく、昼の親子丼に対して鶏のつくねを玉子で閉じた「まご丼」がなかなかにユニークでよい。勿論、味はいうまでもない。それに軽く湯通しした笹身を厚めに切り分け、鶏のスープで頂く「とり茶漬け」も七味をパララっと振り掛けて一気に掻き込めば、もう堪らない。
そういえば、この時の「とり新」にはなかなかに面白い先客がいたなあ。氏素性の一切を知らないが、所謂ギョーカイに近いところの仕事に携わっていたように思う。この三十半ばと見える客も僕同様に

京都へ来た折には「とり新」に寄って一杯呑む

のだそうだ。余程に楽しい時間だったのだろう。宜しく酩酊していて饒舌になり、女主と交わしていた会話を横で聞いていて面白かった。というより、僕や清澄氏をも巻き込んで語らった内容が

「鉄漿」はどうやってつけるのか

だ。鉄漿とはいうまでもなく、鉄粉を酢などで酸化させた溶液をつくり、歯に塗るアレだ。
それを持てる限りの想像力を逞しくして勝手に塗り方など考案し、色々を語ってくれたのが面白かった。それ以上のことは上手くいえない。ただ、

なるほどなあ
人というものは色々と考えるものだ

と変に感心していた。しかし、この客とは恐らく再び会うことはまづないだろう。まさに

一期一会

の客だ。だからこそ、余計に面白いわけよ。
その後も鉄漿から話は舞妓・芸妓、女性雑誌の出版部数、芸能人のことと色々な方面に展開していったが、話それ自体も肴になり、ビールが瞬く間に2本ほど空いた。この日は久し振りに「格別に」旨い酒になったと記憶している。

続きを読む

発想の転換

連日連夜、暑い日が続いている。なんでも1933年以来、74年振りに日本の最高気温は更新されたそうだ。全く以てこの茹だるような暑さは異常気象じゃあないか、と思う。昨今、盛んに叫ばれている「温暖化」が具現化している証拠なのだろう。因みに1933年に最高気温を観測したのは山形だそうだ。

さて、ある週末のことだ。暑い夜の新宿を酔いに任せてブラブラして、なにをか思ったか、とうに終電も終わっている新宿駅に出ると一風変わった光景に出くわした。

かき氷の屋台

だ。かき氷と聞いても、別段珍しいものじゃあないと思うだろう。当然だ。暑い日にかき氷の屋台が出ても何ら不思議はない。況してや不夜城の新宿というところには、たこ焼き、ケバブをはじめとして色々な屋台が出ている。だから、かき氷の屋台が出ていたとしても不思議に思わないだろう。
しかし、この屋台は別だ。あくまで洒落たかき氷の屋台なのだ。まづ、主の格好からして違う。ひと目見た感じでは何所ぞのちょいと洒落たバーにいるイケメンのバーテンといった感じで、ネクタイにベスト、スラックスといったスタイルで決めている。そのバーテン風の主がかき氷を売っているわけだ。しかも屋台にはシェーカのセットも揃えてある。この一見奇抜な感じがするかき氷屋は、捻くれて見れば、

奇を衒った

とも採れるだろうが、これは発想の転換が生み出した結果だともいえる。場所柄を考えれば、ちょいと頭の回転がよい人ならば「バー感覚のかき氷屋」を発想しても不思議はない。しかし、アイデアは浮かんでもそれを行動に移せるかは別だ。このステップが難しいのだ。そういう意味では不夜城で僕が見た彼はアイデアを行動へ結びつけることに漕ぎつけられた人だといえる。詰まり、彼は発想の転換という視点からすれば、外の人より一歩先んじたわけだから、

勝者

だ。尤も抜群に売上げているかは別だが、連日の暑さと物珍しさもあって、恐らくは女性達の注目するところになろう。
また別のある日のこと。仕事帰りに千住の[U]へ夜飯を兼ねて一杯呑みに行ったときのことだ。店の主とカウンタにいたひとり客が色んな料理について語らっている。僕はその大半を聞き手に廻っていたが、主がふと、僕に向かって、

お客さん、ラーメンにかき揚げって相性が良いんですよ

という。今し方まで語らっていたひとり客も「そうそう」と相槌を打っている。僕は一瞬、それを聞いて怪訝な顔をすると主は、

合わないと思うでしょ…是非、やってみて下さいよ
インスタントラーメンを少し硬めに茹で上げちゃって、かき揚げを乗っけるんですよ

とお構いなしに続ける。

蕎麦や饂飩にかき揚げが合うんだったら、ラーメンに合ったっておかしくないじゃあないですか

そこへ、ひとり客も

あれ、不思議だよね
なんでこれだけ色々とラーメン屋があるのに、かき揚げを乗っけるってことをしないんだろう

と主の言葉に対して同調するように言っている。これに対して主は、

要は発想の転換ですよ
だから、ラーメンでつけ麺ってあるじゃないですか
あれを蕎麦でやってもやり方によっちゃあ旨いはづですよ…
大体、饂飩だってサラダ饂飩とかあるのに、蕎麦だけ「もり」だの「かけ」だのってこともないでしょう

これには「なるほど」と思ったね。確かにラーメンとかき揚げは意外な組み合わせだが、あっても可笑しくはない。まさに発想の転換だ。今度、家でインスタントラーメンを作ることがあったら是非、挑戦してみたい。そういえば、インスタントラーメンにかき揚げを乗っける場合には、

醤油味に限りますよ

という主の言葉を付け足しておこう。

柴又「山本亭」

帝釈天の直ぐ裏手に山本亭はある。
帝釈天のぐるりを廻らす大谷石の壁に沿って進めば直ぐに辿り着く。
山本亭は大正期の建築で、元の主は時計の精密部品を取り扱う事業で成功し、一財をなしたという。なんとも羨ましい限りだ。尤も今は葛飾区の所有となっている。保存状態は宜しく、1階部分の間取りは玄関脇の洋室を除いて、典型的な田の字造りの組合わせからなっている。しかし、この洋室とて別段、違和感なく外の部屋と調和しているあたりが、日本人のセンスが生み出した賜物といったところか。
伝統的な日本建築の優れたところは、なんといってもこの田の字造りの間取りだろう。仕切り方次第で部屋を広くも狭くもできるのは、実に狭い国に住む人びとの知恵が存分に詰まっているといえるね。そして、仕切りを取り払って吹き抜けの状態にすれば、裏手の江戸川から流れ込んでくる風が部屋全体に抜けて、爽やかな感じだ。暑い夏の昼下がりでも、こういう部屋の真ん中で、好きな本を手元に二、三冊ほど置いて、パラパラと捲り、眠くなったら素直に本を閉じて、なるがままに任せて大の字になって団扇を片手に昼寝ができたら、間違いなく気持ちよいだろう。
この山本亭では、好きな部屋でおうすが一服頂ける。夏期はおうすだけでなくアイス抹茶もあるようだが、矢張り暑くとも一服はおうすに限る。毒を以て毒を制するではないが、

熱さを以て暑さを制する

わけだ。熱いおうすが喉を通る時のあの苦味がなんとも堪えられない。こうも外が暑いと、寧ろあのおうす特有の苦味が涼味にすら感じる。そして、全部頂くと、不思議と「ほっ」とするのは矢張り抹茶の持つ効力なのだろう。
風通しのよい部屋でなかなかに風趣のある庭を眺めつつ、季節の茶菓とおうすを一人静かに頂いていると、外は蝉が相変わらず五月蝿く鳴いているようだが、この空間だけは切り取られたかのように時間がゆったりのんびりと流れている。
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↑上から柴又「山本亭」の「長屋門」「玄関」「洋室」「和室・風の間」
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↑山本亭でおうすを一服 茶菓は「朝顔」

柴又「帝釈天」

所用で午後に柴又へ行く。
柴又といえばまづ浮かぶのが渥美清主演「男はつらいよ」の車寅次郎と帝釈天、それと矢切の渡しだろう。現に京成金町線柴又駅の広場にはフーテンの寅像が出迎えてくれる。それくらい柴又というところは寅さんと帝釈天は切っても切り離すことができない一種の命脈みたいな状況だ。
しかし、それほどに有名な柴又もいざ下り立てば、なんともこじんまりとしたところで、一見したところでは

下町の人情味溢れる街

などとテレビの散歩系番組なら、知ったような顔で尤もらしいコピーが付いてきそうだが実際のところは贔屓目にみても

寅さんと帝釈天がなかったら、それこそ閑散とした川沿いのただの駅

でしかない。
その柴又へ暑い昼下がりに付くと、流石に平日のため観光客などは疎らだ。炎天下に晒された広場の寅さんの像が妙に暑苦しく感じるのは僕だけか。
柴又の帝釈天は俗称で正しくは「経栄山題経寺」という日蓮宗系の寺院だ。素人には日蓮と帝釈天の関係が今イチよくわからない。そこで手元のパンフを見てみれば、日蓮が刻んだ帝釈天をこの柴又に本尊として安置したのが始まりだという。それはよいのだが不思議なことに、それほど大事な本尊を江戸の中頃、一度紛失してしまうのだからどうしようもない。もっと言えば本尊を紛失するっていう感覚が理解できない。尤も本尊は無事に見つかるのだが、見つかった場所というのが梁の上。なんだか無茶苦茶だ。そして、発見された日が庚申の日に当たったため、これに結縁を求めたという。今度はここから柴又帝釈天の庚申信仰が始まるわけだ。
冷静に考えるとなんだかどうしようもない寺のように感じるが、それでも江戸も終わり頃には「宵庚申」と称した帝釈天詣でが盛んになるそうだ。
駅から帝釈天までの参道は緩やかに蛇行し、両脇を門前町が形成しているが、この蛇行の様子からして、畦道が参詣する人々によって次第に踏み固められ、そのまま整備されることなく参道になったんじゃあないかな。多分、江戸の頃の帝釈天は恐らく田畠の真ん中にぽつんと佇んでいた寺だったのだろう。だから、「宵庚申」は当然、信仰あってのものだけど、江戸の人達からすれば日帰り行楽地としての一面も持っていたように思うね。
その門前町には帝釈天の裏手に江戸川があるからかは知らないが、川魚料理を出す店が多い。なかでも鰻やの「川千家」や「川甚」などは有名だ。しかし、今回は鰻が目的ではない。

はじき猿

という郷土玩具が目当てだ。
はじき猿とは魔を「弾き去る」と洒落た玩具で、細く裂いた長さ50cmほどの竹に赤い小さな猿をあしらった竹筒を通し、先端に帝釈天の菱型渦紋と幟を飾り、手元へは弓形にした竹の薄い板を嵌めもので、この竹弓を軽く弾くとバネの原理で竹筒の猿が上にスルスルスルと登るといったものだ。参道の土産物屋で見つけると即座にこれを買い求めた。正直言って、これが欲しいためだけに柴又に下りたといっても過言ではない。
それでも折角、暑い最中にここまで来た訳だから、猿だけ買って去るのは矢張り帝釈天に申し訳ないだろうということで、はじき猿を片手に詣でれば本堂前で横へ長い腕枝を伸ばした松の古木が出迎えてくれる。
帝釈天はなんといっても本堂外壁の彫刻が見物だろう。堂宇四面に巡らされた緻密な彫刻は瑞祥由来の動物や十二支をはじめ、仏典を基にした一場面を彫り表している。その彫刻物で装飾された荘厳たる本堂を目の当たりにすると扁額に「喜見城」と記した意味も判らなくもない。
じっくり一面一面、一体一体を眺めていたら、その彫刻の素晴らしさに日が暮れかかっているのも忘れるほどだ。それと同時に無意識のうちにこの一群の彫刻から「心の平安とは何か」をも語りかけられているような感じもする。「喜見城」すなわち「極楽」の姿とは何かということだ。
帝釈天の堂宇を見れば、歌舞の菩薩が舞い降りる不夜城ばかりが「喜見城」ではないということをまざまざと思わされる。意外と凄いのだ。
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↑柴又「経栄山題経寺(帝釈天)」の二天門
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↑題経寺の本堂 入口に「喜見城」と揮毫された扁額が掛っている
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それでは「春夏冬、二升五合」をお願いまして、皆々様の御手を拝借。

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熊さん。今のお人で何人目だい?
著者寸描(プロフィル)

浮世名詮〔うきよのめうせん〕

Author:浮世名詮〔うきよのめうせん〕
東西東西~。
さて、これより語りまする者はその名を「名詮」と申しまする。

性格は可成ふざけて居りまして、朝イチから行動すればよいものを、昼も過ぎ、夕闇の濃くなる頃から東都のあちらこちらへ出没し、状況に応じて色々な人物を演じ分ける素ッ惚けた根無し草。

まあ、気楽に気楽にお付き合い下りまするよう、隅から隅まで、ズズいっとお頼み申し上げまする。

先づは

乍憚口上
乍憚口上」つづき
乍憚口上」むすび

を一読下さりまするようお願い申し上げまする。

千穐萬歳大入叶

熊八ブログをケータイしておくれっ
ちょいと、そこのお前さん。無視していくんじゃないよ。めうせんの「熊八ブログ」がケータイでも見ることが出来るっていうじゃあないか。おや、知らない?まあ、この人はなんて野暮なことをいいなさんのかねえ。
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