スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

秋の夜長

PCの調子が悪く、多分、修理に出すことになろう。なんとか必死になって優先順位の高いデータだけは外付けに取り出したからよいが、当面はサブを使うことになろう。

旧暦八月十五日は中秋の名月。これを新暦に対応させると今日ということになる。幸いなことに今夜の空は雲も殆どなく、次第に秋色めいて随分と高く澄んでいる。仕事帰りに見上げた時、東より中天にさしかかろうあたりに、まあるいお月様が静かにあるのを見た。昼日中はまだ暑いが朝晩は随分と過ごし易くなったものだ。結局、この夏に誂た浴衣は一度も袖に手を通すことなく終わってしまったのが、心残りだが仕方あるまい。
秋の夜といっても丁度これくらいの時期の夜が僕は好きだ。冬の夜も悪くはないが、少し静寂過ぎる嫌いがある。
家人が寝静まった頃合から、僕の行動が始まるといってよい。といっても、好きな本を片手にその時々にある酒を静かに傾けるだけだ。ビールの時もあれば、日本酒、焼酎の時もある。
夏はビールを本の友とすることが多いが、秋は醸造アルコール臭のちょっと浮いた感じの所謂清酒をミルクパンのような片手鍋に直に入れて、強めの火でさっと軽くアルコールを飛ばした熱燗にする。それを湯呑茶碗代わりに使っている安物印判の蕎麦猪口に注いでのんびり嘗めるのが好きだ。
秋の夜長に読書とはよくいったもので、実に相性がよい。暑すぎず寒すぎず、それでいて夜は随分と静かで、自然と集中力も高まる。読書するには持って来いの季節だ。
しかし、最近、買った松井今朝子「辰巳屋疑獄」は三夜で読み終わってしまい、その後に買った「家、家にあらず」は

も少し、ゆっくり読もう

と思ったものの、この調子だと先はすぐに見えそうだ。だからというわけではないが、後のことも考えて、某大手チェーンのマンガ中心型古本屋に寄って、追加でエセーを買っておいた。買った本は以下の通りだ。

青木玉「帰りたかった家」(講談社〈1997年2月〉初出、後に講談社文庫〈2000年2月〉収録)
同「手もちの時間」(同上〈1999年11月〉初出、同文庫〈2002年11月〉)
同「なんでもない話」(朝日新聞社日曜版〈1996年4月7日~97年3月31日〉、後に講談社〈1997年9月〉収録、さらに同文庫〈2000年10月〉収録)

青木玉を選んだのは以前に「小石川の家」を読んだからと、最近、彼女の母・幸田文のエセーを読んだ延長にあるといってよい。
これとは別に無性にマンガも読みたくなって(買戻しも含めて)買ったのが、

きくち正太「おせん」1~13巻(講談社・イブニングKC<2000年8月~>)
山田芳裕「へうげもの」1~5巻(講談社・モーニングKC<2005年12月~>)
瀧波ユカリ「臨死!!江古田ちゃん」1(講談社・アフタヌーンKC<2006年4月~>)

だ。いづれもまだまだ刊行中のものだが、なんだか今、気付いたが肩入れしてるかのように講談社が並ぶなあ。僕が解説するまでもないし、解説したらしたで面白味が減ってしまうこともあろうが、エエイ!ままよ、ざっと流しておこうか。
きくちの「おせん」は相変わらずきくちらしい細い線だが大胆と緻密の構図がよく調和し、それにストーリーもしっかりしていて、読んでいて自然と引き込まれていく。過去の作品と比べるのは申し訳ないが、「三四郎^2」(秋田書店・少年チャンピオンコミックス)以来の出来だと思っている。
山田の「へうげもの」は戦国の数寄大名・古田織部の物語だが、最初にこれを薦めてくれたのは呑みの染姐だ。それから、たまたま本屋で

どれどれ

と手に取ったわけだが、切り口が斬新で非常に面白い。ただ、話の筋は茶道具がメインとなるから、それなりに知識を必要とするやもしれないのが、痛いところだが、そういう時は簡便な茶道の入門関係書があるとより深みに嵌ることができる。僕などは

主婦の友社編「茶の湯基本語小事典」(主婦の友社・茶の湯ハンドブック7<1994年12月>)

を偶にパラパラ開く。で、

なるほどねえ

と感心したりする。そういえば織部で思い出したが、桑田忠親「古田織部の茶道」(講談社学術文庫)が本棚のどこかにあった気がするけど、どこに置いたかな。後で探そう。
瀧波の「江古田ちゃん」はもう本当に息抜きのラフなものだ。これは解説するほうが愚かというもので、是非、自分で一読して貰いたい。なんともいえないディープな世界を匂わせつつ、薄っぺらいのが堪らなくよい。

秋の夜長に託けて随分と書き綴ったものだ。
今日は寝る前に何を呑もうか。と、丁度、傍に小田原の地酒「火牛」(相田酒造店)があったから、これにしよう。
スポンサーサイト

府中「紙よし村」

所用で八王子方面に行き、その帰りに府中で途中下車する。
京王線府中駅から欅並木を大国魂神社まで行くと、突き当たる通りが旧中山道だ。往時はメインストリートだが、今、実際にそれを見ると随分と道幅が狭い。しかし、東海道にしろ、中仙道にしろ所謂五街道と呼ばれる主要街道も今は「旧道」と呼ばれるそれの道幅などはこんなものだ。おっしょさんがいうには、

馬2頭が(問題なく)擦れ違えるだけの幅があればよい

とのことだ。
その旧道沿いも今はすっかりどこにでもある普通の街並みと化しているが、それでも看板や壁などを眺めれば、チラホラと山ナントカ、入山ナントカ、鍵ナントカ(もあったと思う)や○○屋といった感じの街の雰囲気にはそぐわない屋号が記してあったりする。
府中に下りた理由のひとつは、大国魂神社の直ぐ隣で明治の初期から紙屋を営んでいる「紙よし村」に寄るためだ。この店は前回のすもも祭の時に、偶然見つけたもので、近代的な外観とは裏腹に古風な店内の様子にちょっと興味を覚えてスーッと入ったのだが、いざ覗いてみるとなかなかによい紙を揃えている。その時、買った明朝廻し入りの美濃和紙製便箋の使い勝手がよくて、「あっ」という間に使っい切ってしまった。府中に住んでいる友人へ僕の代わりに買っておいて欲しいと頼んだけれども、最近なかなか会う機会がない。会う機会を窺うよりも自分で途中下車したほうが早いと思ったわけだ。
ケータイ、メールで連絡を取り合うのが当たり前のこの時代にあっても、僕の場合は色々あって、時として不調法でも筆で手紙を認めることがある。そういった時に市販の安い便箋だと、紙に墨が思うように乗らない。下手の上手い言い訳じゃあないが、紙が悪いと筆の運びが悪くて、字が潰れてしまうわけよ。

さて、得意の脱線だが、男もある程度の年齢になったら、日頃からTPOに応じてアイテムに気を使うのが大切だと思うね。
万年筆なんかは「ポケモン」という言葉がちょいと前に流行ったけど、折角のモンブラン社製も「ポケットに入れておくだけ」なんていうのは勿体無いよ。矢張り、使わないと手に馴染まないし、使っていれば結構、スラスラっとペンが走っていくもんなんだよ。
そしたら、矢張り「紙」にもある程度拘らないと駄目だね。なにも書家じゃあないから、極上のものにする必要はないけど、折角のモンブランにコピー用紙じゃあ、どう見ても様にならない。そういう時はペン用のちょっと厚手の便箋なんかで認めると、貰った側もなかには

おっ

と思う人がいるかも知れないでしょ。そういう便箋は誰が見てもちょっと洒落た感じに作られてるものだしね。

さり気無く、気の利いたアイテムを使える男

というのは同性から見てもスマートな感じがしてカッコイイわけよ。しかし、僕がいえた義理じゃあないが実際にやるとなると可成り大変だよ。
そろそろ軌道修正しようか。

よし村で50枚入りの便箋を3束ほど購入して、旧道をさらに西へ進むと「札の辻」に出る。府中に下りた理由のふたつ目はこれを見るためだ。
どこでも札の辻といった名称が付いている場合、大概、その辻に高札場があったからで、府中には明治の極初期に立て直したかした高札場が今もよい状態で保存されている。そして、その高札が意外に大きいことをわかる。近づいて見ると随分見上げる形で首が痛い。すもも祭を見に来た時も、ここでこれを眺めたけれど、その時などは単純に

デカいな
こんなに大きいと上のほうに掛けられた触書は読めるかあ?

などと野暮なことを考えた。そして後日、この府中の高札場を例に挙げて、おっしょさんに「上のほうに掛けられた触書は読めるものなのか」と尋ねたら、

掛けてあることに意義があるんだよ
中身なんかは紙に書かれたのが町々に回されるんだからいいんだよ

といわれたっけ。成る程ねえ。
fuchu_yoshimura
↑府中「紙よし村」の外観
fuchu_kosatsuba
↑府中の高札場

読書雑感

寝しなに読む本がなくなったので、帰宅の途次、地元の本屋に寄って文庫本コーナーを物色していると、一人の男子高校生が来て、同じく物色していた。活字離れが叫ばれて久しい昨今に

今のコはどんな本を読むのか

とちょっと興味が湧いたので、自分の読みたい文庫本を物色しつつ、高校生の挙動をチラ見する。彼が手に取った一冊は宮沢賢治の「注文の多い料理店」だった。もう一冊は太宰だったような気がするが、こちらは確かじゃあない。

ほお

名作文学を手に取るとはなかなか感心と思う反面、高校生が読むレベルの本かな、とも思った。太宰はともかく、確か「注文の多い料理店」などは小学6年か中学1年次に選定図書かで読んだと思う。
まあ、それでも自分から名作文学を読もうとする姿勢はよいことだと思うよ。矢張り、この手の硬い本は若いうちに読むべきだよ。年を重ねると集中力が欠けてくるから、どんどん敬遠するようになる。僕もご多分に漏れない。最近、名作といわれるような本は読んだ記憶がない。
まあ、それはよいとして、寝しな用にと選んだ本は次の通りだ。

松井今朝子「辰巳屋疑獄」(筑摩書房〈2003年11月〉初出。後にちくま文庫〈2007年9月〉収録)
幸田文「雀の手帖」(新潮社〈1993年12月〉初出。後に新潮文庫〈1997年11月〉収録)

幸田のは「父・こんなこと」を最近読んだので、勢い任せで続けて購入した嫌いもなくはない。
松井今朝子といえば、今年の7月に「吉原手引草」で第137回直木賞を受賞した女流作家だ。デビュー当初から注目していた一読者として、女史の受賞を新聞記事で読んだ時は、

やっと世間は松井今朝子を評価したのか

となんだか親にでもなったような気分だったなあ。
さて、数ある松井作品のなかで僕が特に秀逸だと思うのは、第8回時代小説大賞を受賞した「仲蔵狂乱」だ。
天明期の江戸で活躍した役者・初代中村仲蔵の生涯を追い掛けたこの本は、何度読み返しても、その丁寧なストーリー構成、素晴らしい表現力にほとほと感銘を覚える。
初代仲蔵というのは、技芸一本で稲荷町(大部屋)から座頭(一座のトップ)に上り詰めた役者で、天明期の江戸では団十郎に勝るとも劣らない人気を博した役者だ。と書いてもその凄さはあまりよくわからないだろう。
当時、既に役者社会では門閥化が進みつつあって、血筋がものをいいはじめていたわけよ。詰まり、有名な役者の子に生まれない限り、なかなか出世ができない。況してや座頭になるというのはもっと大変な話で、江戸では中村座・市村座・森田座の三つしか小屋がないから、座頭は三人。そのうちの一席は自動的に団十郎が入ることになっている。詰まり、実質二席しか空いてないわけよ。その座頭に門閥・血筋をものともせず、綺羅星の如くいる名優を押し退けて大部屋から上り詰めたのは、江戸時代を通じてこの初代仲蔵と幕末の四代小団次の二人しかいない。
この本を書くにあたって松井は可成り徹底して資料の下調べをし、余分なものをできる限り削ぎ落として、仲蔵の人物伝を作り上げたものと見え、読んでいてグイグイと作品の世界に引きずり込まれて行く感じだ。お蔭で寝しなに読む本で、読破するまで連日睡眠不足になったくらいだ。
尤も、睡眠不足になったのは僕だけじゃなくて、新橋演舞場に勤めている友人や清澄氏に、

騙されたと思って読んでごらん

と勧めたら、二人も見事に読破するまでは睡眠不足になったといって、その後少しく恨まれたものだ。
なお、松井作品には「大江戸亀奉行日記」という異色の迷作もあるが、これはこれで馬鹿馬鹿しさのなかに松井の意外な一面を見ることができてよい。確か1時間もかからずに読破したと思う。

晩夏の日光・旅日記

九月八日 土 晴時々曇一時雨降、暑し、朝八時半出立、
清澄氏同道

竹ノ塚百均 ジュース 210円
同自販機 タバコ 300円
北千住より日光 電車賃 1320円
日光駅構内 共通拝観券 1000円
同 バスフリーパス 500円
本町高井家 ゆば懐石 7000円 実6930円
同 ビール1本 700円清
同石田や 甚五郎煎餅・手焼せんべい 357円
鉢石ひしや 煉羊かん2棹 3000円
神橋 渡り賃 300円
東照宮奥宮 拝見 520円
同神馬社前社ム所 三猿ストラップ 600円
鉢石福沢や 酒まんぢう6個詰 650円
同 まんぢう1個食べ歩き 100円
同今村 さしみゆば 550円
同酒ヤ 地酒カップ・日光誉 410円 10円清
同コンビニ ジュース 100円 5円清
日光駅駅販 ゆばちらし弁当 850円
日光より北千住 電車賃 1320円 120円清
特急料金夜割 1000円
特急個室料金 1800円
〆21777円也
夜八時半前、北千住着

高い日帰旅行だ。

日光「高井家」

仕事も一頻着いたため、少し遅くなったが旅行に行く。場所は日光。しかし、日帰りだ。
京都へは世間より夏休みを後ろにズラして行き、鎌倉へは横浜の友人を駆り出してよく行くが、考えてみると日光へは実に20年振りといったところだ。東京から特急に乗り込めば2時間程度で着くから、そう遠くはないはづだが、いざとなると近くて遠い場所に思う。
今回も清澄氏と語らってぶらぶらと行く。その間、車窓の風景は林立するビル群が住宅街になり、それも途切れると只広い平野と次第に様変わりして行く様子は眺めていて楽しい。そして大谷川に沿って山間へ進んだ終着点が日光だ。
世界遺産にもなっている日光は近代最初の避暑地として招聘した外国人向けに整備された。といっても、前近代から日光は家康の墓所・東照宮という超重要な名所を抱え、時には将軍すらも参拝に訪れるくらいのところだから、整備といっても外の場所と比べれば、十分に整備されていただろう。そう考えると、精々既成の観光地に近代化というオプションを加えていったというところだろう。
20年振りに下り立った日光の街は大きく様変わりしたと思う。
「思う」としたのは、20年前の日光を殆ど覚えてないからだ。ただ、世界遺産の登録もあって間違いなく金髪碧眼の外国人観光客は増えている。
さて、駅から神橋までは緩やかだが、長い長い上り坂になっていて、その両脇を様々な店が連ねている。この参道一帯を総じて「鉢石」といって昔から繁華の地だ。時間があれば、途中の「福沢屋」あたりで酒饅頭のひとつでも買って、食べ乍らブラブラとあちらこちらの店を覗いてみるのもよい。観光地にありがちなぼったくり価格の骨董店なんかは、足元を見ているから冷やかすと面白いんだよ。それにしても最近はアンティークが流行りなのかは知らないが、手頃な食器ですら随分と酷い値段を付ける店がある。欠けあり、削げあり、貫入あり、擦れあり、デザインも面白くない印判手塩皿が一枚1000円という値札が付いていたりするんだから、驚き入る。少しく前までは印判の手塩皿なんぞは並の状態のものが五枚一組を1000円くらいで買えたものなんだが…まあ、よい。話を戻そう。
大谷川に架かる朱塗りの神橋が左手に見えてくれば、東照宮は目と鼻の先だが、ここを左に曲がり、大谷川に沿って少しく進むと「本町」に出る。この本町一帯を昔は「門前西町」といって、江戸の中頃から飲食店や土産物屋が軒を連ね、芸者がいて、幇間が後ろへ付いてくるといったところで、鉢石とはまた違う繁華の地だ。その中程に「高井家」はある。

高井家の創業は文化二年という。もともとは蕎麦屋だったようだが、色々あって今は湯波懐石で商っている。
台風一過も大して功を奏さず、曇りがちで湿度が高いなか、汗を拭きながら長い上り坂を只管に上り、漸く辿り着くと、既に八畳ほどの広間が部屋として調えられている。店は大小合わせて四室ばかりの料亭だが、所謂、東京のそれと知れた料亭のように鯱張ったところがないのがよい。あくまで緩やかに、あくまでたおやかに「おもてなし」するといった感じだ。
早速、部屋に入れば障子・硝子戸は開け放たれていて、スーッと香の香りが微かに漂っている。何気ないようなことに思えるだろうが、こういうさり気ない細やかさが流石だと思うね。
着座して眺める先の庭は配置がややしつこい感じがするのは否めなくはないが、それでも手入れは行き届いていて、爽やかな緑が目に映る。
少しくして食前酒が運ばれてくる。透き通った切子の猪口に一片の氷が浮かぶ梅酒をスーッと飲み下せば、ここに来るまでの暑さが一気に吹き飛ぶようだ。それからは様子を見計らって、次々と意匠を凝らした湯波料理が膳に並ぶ。なかでも「湯波の刺身」と「虹鱒のいぶし焼き」は格別だ。
ちょっと備忘録も兼ねて品書きを書いておこう。

先付「長芋豆腐のイクラのせ」
汁物「舞茸と合鴨の土瓶蒸し」
向付「湯波の刺身」
焼物「焼き湯波、虹鱒のいぶし焼き、無花果のぬた」
碗物「たぐり湯波の季節のあんかけ(きのこ)」
揚物「茄子、獅子唐、海老、豆腐の湯波巻の天ぷら」
酢の物
氷見饂飩
デザート「黒砂糖ゼリーの豆乳がけ」

これをたっぷり一時間半ほどかけて味わう。この間にビールは1本で十分だ。大女将も観光客の僕らへ

足元へ廻らぬように

と気遣ってくれるのは有り難い。幸いなことに今回は外に客もいないようで、一時間半(正しくは二時間)の間、この料亭は僕と清澄氏の丸々借り上げ状態だ。あくまでゆったりと時間が過ぎる。清澄氏などは、

相変わらず、よい店を見つけてくれる

と相好を崩している。

年に何度かはこういう贅沢に時間を使うのも悪くない
これが普段と同じ1時間だとはとても思えない
時間以上の働き方をしていたってつくづく思うね

ともいう。確かにここ最近の清澄氏は激務続きで、帰宅も午前様をとうに越えているという。そういう彼だから、ここでの時間はそれこそ、

時間が止まった状態

だといっても過言ではあるまい。

仕事のストレスが溜まったら、ここの湯波を食べるだけに日光まで来てもよい

と満面の笑みを浮かべる。
これだけ至福の時間を過ごして、いざ勘定といえば、あとは自分達の目で確かめて貰いたい。至れり尽くせりでもてなされ、清澄氏などは日頃の憂さすらも吹き飛ばして貰ったことをみても、決して高いものではない。

続きを読む

安食・大鷲神社摂社「魂生大明神」

仕事をいつもより少し早めに上がり、おっしょさんと旧鈔堂君の車で安食に行く。
安食行きは兼ねてからおっしょさんと計画していたんだが、色々と忙しくてなかなか都合が付かず、延ばし延ばしになっていたもので、車を出してくれた旧鈔堂君も勿論、一枚噛んでいる。
安食は印旛沼の北側にあり、佐倉から車を飛ばせば30分程度のところだが、その景色の

風光明媚

たるはところは佐倉の比ではない。一面見渡す田園風景のなかを広域農道が突き抜けているといった具合だ。すれ違う車とて夕方だというのに殆どない。精々、コンバインが長閑に走っている程度だ。このコンバインとて、生まれも育ちも東京の僕には、

衝撃的な風景

だ。まさか、50km通勤圏にノロノロとコンバインの走る姿を目にするなどは想像だにしていない。寂しい一本道から安食へ入る国道に出ると、それなりに車の行き来こそはあるが、その風景の物侘しさといったら、

佐倉が全然都会に見える

ほどだ。
安食に来たのは、ところの尊崇が篤い「大鷲神社」に詣でるためだ。もっとはっきり言ってしまえば、その摂社の「魂生大明神」に用事があったわけよ。この「魂生大明神」は御神体が陽物で、黒御影石でできたその立派な御姿は男の僕が見ても

惚れ惚れする

逞しいもので、ふと、

弓削道鏡

が脳裏に浮かぶ。陽物から怪僧・道鏡へ発想を持っていくあたりが、既に頭のなかが可成り重症だと自分でも思うが、一方では男として正常な想像だとも思いたい。
しかし、おっしょさんにいわせれば、この御神体は比較的新しいもので、以前はもっと小振りだったようだ。尤も更に昔になると今あるそれと比べれば断然に小さかったんじゃあないか、という。
少し、話を横道に逸らせば、日本に限らず陽物信仰というのはその国、その土地の信仰に対する原始的な姿を留めているといってもよい。しかも、その御神体は拝むばかりでなく撫でる、擦るといった願掛け行為も各地で大して違いがなかったんじゃあないかな。
ちなみに道祖神も陽物信仰のひとつで、可成りの地方に行っても今はすっかり見かける機会が減った道祖神も、男女が抱き合っているその原型は陰陽石だ。今、本棚のどこにしまったのか、探してないからわからないけれども、

いんよう石

という本は様々なパターンの陰陽石を紹介していて実に興味深いものだ。
さて、ここの名物?といってよいかは知らないが、社務所では子宝祈願・安産祈願の御守として、

子宝飴

を頒けて貰えるが、ご多分に漏れずこの飴の形も陽物を象ってある。しかも、色もさること乍ら、見た目以上に重量感のあるもので、ズシリと重たい。参拝記念に頒けて貰いはしたが流石に味わう勇気はない。だから、味は知らない。
余談だが、参拝後、少し街の様子を見ようということになり、地図で見れば左程に離れていないJR成田線安食駅へ向かおうと、ブラブラ進む。少しくして小学校の前の駄菓子屋に土地の小学生がいたので、駅までの距離を訪ねれば、今のコにしては珍しく丁寧な口調で、

安食の駅でしたら、直ぐそこです

という。それならば、もう少しく行ってみようかということになったのだが、一抹の不安が頭を過ぎる。

ひょっとしたら、地方の直ぐは「直ぐ」じゃないかもしれないぞ

という考えを誰に言うともなく、独り言のようにポツリと呟いたが、これが見事に的中した。蒸した夕暮れの田舎町を5分進んでも駅が見えない。地方の直ぐは東京の直ぐとは大分に距離感が違うことを実感した。やっとのことで遠くに安食駅の構内を見つけると、おっしょっさんは一言、

ここから遥拝して帰ろう

僕も旧鈔堂君もこの言葉に素直に従った。

続きを読む

地味にFC2BlogRankingへ参加
それでは「春夏冬、二升五合」をお願いまして、皆々様の御手を拝借。

FC2ブログランキング

熊さん。今のお人で何人目だい?
著者寸描(プロフィル)

浮世名詮〔うきよのめうせん〕

Author:浮世名詮〔うきよのめうせん〕
東西東西~。
さて、これより語りまする者はその名を「名詮」と申しまする。

性格は可成ふざけて居りまして、朝イチから行動すればよいものを、昼も過ぎ、夕闇の濃くなる頃から東都のあちらこちらへ出没し、状況に応じて色々な人物を演じ分ける素ッ惚けた根無し草。

まあ、気楽に気楽にお付き合い下りまするよう、隅から隅まで、ズズいっとお頼み申し上げまする。

先づは

乍憚口上
乍憚口上」つづき
乍憚口上」むすび

を一読下さりまするようお願い申し上げまする。

千穐萬歳大入叶

熊八ブログをケータイしておくれっ
ちょいと、そこのお前さん。無視していくんじゃないよ。めうせんの「熊八ブログ」がケータイでも見ることが出来るっていうじゃあないか。おや、知らない?まあ、この人はなんて野暮なことをいいなさんのかねえ。
QR
最近の戯れ書き
項目別四方山話
最近のご意見・ご感想
一筆啓上、火廼要鎮(メールフォーム)
「文は遣りたし、書く手は持たず」なんて謙遜、遠慮なぞは無用ってもんでございやす。へい。

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

月別四方山話
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。