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成田「い志ばし」

千葉県の佐倉市というところは昼飯に困るところで、目ぼしい店が極端に少ない。少ないうえに遠い。
精肉店直営で美味いとんかつを揚げてくれる定食屋があるにはあるのだが、職場からだと片道30分。行って帰ってきたら、もう昼休みが終わっている。仕方がないと近くのファミレスで妥協しようにも、片道15分。それならコンビニで済まそうかと考えたとしても片道10分。どうしようもない。八方塞だ。
それでも人間の腹というやつは減るのが道理というもんで、食べないでいるのは辛いわけよ。
そこで意を決して、旧鈔堂君を駆り出す。

歩いて30分掛かるなら、車で30分飛ばしてもなんら問題はないだろう

ということで、印旛沼に架かる甚兵衛橋を渡って成田入りしてしまった。
目指すは鰻やの「い志ばし」だ。
印旛沼に架かる甚兵衛橋は芝居・講談でお馴染みの義民佐倉宗吾を闇夜に紛れて対岸に渡す渡守の名に因んだものだ。橋の北詰には甚兵衛を称える大きな石碑が建っている。
その橋を渡り、右へ左へと曲がっていくとトラック街道に出る。この街道は不思議と鰻屋通りで、あちらこちらに鰻やが店を構えている。その数ある鰻やのなかでも「い志ばし」は随分とみすぼらしい粗末な家作だが、商売のほうはそれに反比例して大繁盛だ。由緒だなんだというものは全く知らない。ただそこにあるだけの小さな小さな店だ。スピードを出していようものなら、瞬く間に通り過ぎる。
店はテーブルで20席ばかり。合席当たり前の状態だが回転率がよいため、次から次へと捌く手際のよさは流石といったところだね。幸い少し時間を後ろへずらしたこともあって、直ぐに着席できた。
できますものは鰻は白焼きと蒲焼のみ。蒲焼は「丼」にするか「重」にするか、といった程度。実にシンプルで小洒落た料亭とはとんと無縁の店だ。譬えるなら、地方によくありがちな定食屋といった感じだ。
さて、以前、来たことのある旧鈔堂君の薦めに従って「鰻重」(上)を頼む。
凡そ鰻やらしくない店内の片隅にポツンとあるTVを観ながらわづかに待っていると、それは運ばれてきた。
山椒を適当に振り掛けて、熱いところをざっくりと頬張れば、いうだけあって堪えられない。自然二口、三口と箸が進む。添えられた「肝吸い」も塩加減宜しく、鰻を食べる合間合間に啜れば、なんだか心落ち着くような、

ホッ

とした感じになる。そして、美味さから

あっ

という間に平らげてしまった。
ただ惜しむらくは交通手段が全く自動車のみという点は頗る痛いところだが、まあ、鰻好きの旧鈔堂君がいる間はその心配もそれほど大きくならないだろう。
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↑成田「い志ばし」の外観
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↑い志ばしの「鰻重」(上)
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「男の手料理」という名の気まぐれ行為

12日の月曜日から家人がお茶友と二人して「サイパン」に飛んでいってしまった。予定では今夜帰国のはづだ。
家人がいなくなるということは、当然、家事もそれなりに自分でやらなきゃならないわけだ。洗濯なんぞは洗濯機に洗濯物を突っ込んでボタンひとつだからなんてえことはないが、炊事は厄介だ。
厄介という言葉の意味のひとつは単純に

その行為そのものが面倒なこと

を指す。しかし、この言葉には

普段、やりもしないことに対して妙に力を入れてしまうこと

という隠された意味がある。
そして、この隠された意味がひょんなことで一気に沸き上がってくると「男」というやつは手が着けられなくなるんだよ。例えば頼みもしていないのに薬缶の表面を磨いてピカピカにしたり、フライパンの焦げ錆を削り落としたりといったのが好例だ。おっしょさんにいわせれば、こういった行動は「男のホビー(趣味)」なんだそうだ。
いつも通りに起床して、

今日は一時間遅れの出勤だっけ

と思い乍らトーストを食み、付け合せの生ハムとカリカリに焼いたベーコンを摘む。朝刊をパラパラと捲って適当な記事を読んでいると、ふと、

そうだ。偶には昼飯は手作りの弁当を持っていこう

という考えが頭に浮かんだ。そうなると一時間遅れという時間の余裕がいけない。別に料理を作るは嫌いではないが、普段、やりもしない弁当作りに精を出してしまうわけよ。
冷蔵庫を開けると昨夜、仕事帰りにスーパーで買っておいたローストビーフとコロッケが手付かずにある。それに大量に作り置きしておいた自慢の「味付け卵」もある。
この味付け卵は京都の老舗料亭「瓢亭」の名物「一子相伝半熟鶏卵」と同じで、茹で上がったやつをパクっとやれば黄身は程よい半熟、外はプルンとした半熟卵だ。
これを更にひと手間加えて醤油、味醂、砂糖で味を調えた特製の出しに一晩くらい浸しておいたものが名詮流(と、ご大層なものじゃあないが…)の「味付け卵」で、これまで家人をはじめ、おっしょっさんや友人にも褒められた一品だ。ある友人に到っては僕が送ったレシピメールを誤って消去しないようにと大事に保護設定しているほどだ。まあ、卵で脱線はこれくらにしておこう。
冷蔵庫のなかを見て、

ローストビーフ・オン・ザ・トーストにしよ

と決めれば、あとは「ままよ」と行動するだけだ。
食パン二枚をトースターで表面がこんがりとなるまで焼くと、たっぷりマーガリンを塗りたくる。その上にサニーレタスを一枚ずつ適当な大きさに千切って敷き、軽くマヨネーズを加え、その上にローストビーフをたっぷり敷き詰める。普段、やりもしない男の手料理っていうやつは、やるからには何もかもたっぷりとしてないと面白くない。最後にスライスチーズを一枚乗せて、

せ~の…せいや!!

で勢いよく二枚を合わせる。あとは適当な紙を被せて重石代わりに皿を乗せ、パンと具が馴染むのを待っていればよい。その間に弁当箱へコロッケと味付け卵を真ん中で半分にして飾りつける。手前味噌だが、切って現れた味付け卵は黄身に程よく出しが染みているらしく、よい感じに色づいている。
頃合を見計らってローストビーフ・オン・ザ・トーストをこれまた真ん中からざっくりと切り分ければ、断面は頗るよい感じだ。
手早くラップで個別に包装して弁当箱に詰め、「いせ辰」で買った小風呂敷を使ってちょいと平包みにすれば、普段はやりもしない手製弁当の出来上がりだ。

因みに先程からローストビーフ・オン・ザ・トーストと勝手に述べているが、これが正しいローストビーフ・オン・ザ・トーストかは知らない。男の手料理なんていうのは結句そんなものだ。

大船「大船軒」

午後、所用で大船に行く。
大船といえば、その昔、ここに松竹の撮影所があったのを思い出す人もいれば、小高い岡に白亜の尊顔を覗かせる大船観音を思い浮かべる人もいるだろう。最近では駅構内の商業施設「Dila大船」が記憶に新しいところだが、忘れちゃあいけないのが「大船軒」であり、そのサンドウィッチだ。
東海道線の全通が明治22年。大船軒は明治31年創業というから、随分と古くから駅弁を商っている店で、名物のサンドウィッチの発売には黒田清隆も一枚噛んでいるので

たかがサンドウィッチ

と侮れない。侮れないもうひとつは、具の

鎌倉ハム

だ。発売当初の大船軒のサンドウィッチは、具に輸入物のハムを使っていたようだが、当時としてはハイカラなこの駅弁は飛ぶように売れたらしく、輸入物に頼っていちゃあ製造が追いつかない。

それならば、いっそのこと自分たちで作ってしまえ

ということで一役買った結果に「鎌倉ハム」があるというわけだ。恐るべし大船軒。恐るべしサンドウィッチ。
さて、中身は非常にシンプルで、チーズとハムの2種類だ。ほかに具はない。ハッキリいってしまえばコンビニのサンドウィッチのほうが全然、具もたっぷりとしていて、比べてしまえばなんともみすぼらしい感じは否めなくないが、同時に、

懐かしさ

みたいなものを感じる。
今のサンドウィッチが何もかもたっぷりとしているだけで、昔のサンドウィッチといったら、どこのもこの程度だ。
子供の頃、休日ともなると家族で何するわけでもなく(多分、両親はアメ横や多慶屋あたりで買い物をしていたんだろうが…)、よく上野に出掛けたもんだけど、昼飯は決まって御徒町駅脇の「吉池」の食堂だった(当時は最上階が食堂だった。今も装いを新たにして昼は食堂、夜は飲み屋として営業しているらしい)。そこで食べたサンドウィッチにしたってこの大船軒程度のものだったことは、今でも鮮烈に覚えている。
また、その土地その土地で長年、喫茶店と営んでいるようなところのサンドウィッチは今でもこの大船軒のような極めてシンプルなサンドウィッチだったりする。例えば小石川にある[R]という昔ながらの喫茶店が出すサンドウィッチなんかがそうだ。
大船軒といえばサンドウィッチもさることながら、「鯵の押し寿司」もよい。こちらは大正初年から作っているというから、これまた歴史のある駅弁だ。当時の大船といったら畠と田圃ばかりで、すぐ向こうには相模湾が広がってたという。ビルが林立する今じゃとても信じられないことだ。この相模湾で捕れた小鯵を押し寿司にして売り出したら、またも繁盛したというのだから、創業者はなかなかの知恵者だったと思うね。羨ましい。僕もかくありたいよ、全く。
包み紙、蓋を取ると微かに漂う押し寿司独特の香りが思わず酒を呼びそうだ。サンドウィッチにしてもそうだ。ハム、マーガリンの香りにビールのお供が欲しくなる。
ただ残念なのは今の東海道線はすっかり横並びのシートになってしまい、車中で広げて食べるというような環境は程遠くなってしまったということだ。

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遅ればせながら観劇素人評(10月分)

今更だが、先月に観た芝居二本について書いておこう。
先月は仕事の合間を縫って、新橋演舞場「錦秋演舞場祭り十月大歌舞伎」および歌舞伎座「芸術祭十月大歌舞伎」を観る。いづれも昼の部。各劇場の演目は以下の通り。

新橋演舞場(10/3観劇)
錦秋演舞場祭り・中村勘三郎奮闘
昼の部・十月大歌舞伎
一 俊寛
二 連獅子
三 人情噺文七元結

歌舞伎座(10/25観劇)
芸術祭十月歌舞伎
昼の部
一 赤い陣羽織
二 恋飛脚大和往来―封印切・新口村
三 羽衣

全部をコメントすると非常に長くなるため、夫々一本ずつ取り上げると、まづ、演舞場の勘三。「連獅子」は勘三・勘太・七之助親子三人の競演。偶にテレビのドキュメンタリ番組でも取り上げられている話題の作品だが、正直いって三人での競演は無理がある。
連獅子は石橋の獅子をモデルにした獅子親子の精が舞い踊るもので、獅子は我が子を千尋の谷に突き落とし云々する筋立てだ。親子一対の舞踊に妙味があるのだけれど、勘三の場合、三幅対のため、どうしても一人無理が出る。もっとハッキリいうと、観ている側からすれば

七之助が邪魔

なのだ。振付師は多分、相当に苦心して三幅対の連獅子の振り付けを考えたのだろうけど、どうしても全体的に七之助の立場が浮いた感じになってしまう。それなら一層のこと出さないほうがよい。大体、「連」獅子なんだから三人でやる必要性がない。若し七之助に演じさせたいのならば、勘太・七之助の兄弟でやらせるか、日替わりで交互に勘三と絡ませたほうが全然、すっきりしてみえる。勘太・七之助はともに自分の子で、分け隔てをしたくないとした勘三の親心はわからなくはないが、矢張り連獅子は一対がよいと思うね。
     *****
次に歌舞伎座の藤十郎。「大和往来」では亀屋忠兵衛を演じる。
東京生まれの僕にとって、上方の芝居はどうも話の展開がもたついているようでいて疲れるのだけれど、今回の「大和往来」は久し振りに大当たり。特に「封印切」の忠兵衛はよかった。
いうまでもなく「大和往来」は近松浄瑠璃の代表作「冥途の飛脚」を芝居向けに書き換えたものだ。
そのなかの一段「封印切」は、飛脚屋の婿養子で気の弱い忠兵衛が傾城梅川(時蔵)を身請けするために、

誤って

御用金に手を出してしまうというもの。誤って、としたのは梅川を身請けしようとしているもう一人の男・丹波屋八右衛門(三津五郎)の挑発に乗ってしまい、頭へ血の上った忠兵衛は火鉢に切餅が本物であることを証明しようと叩きつけているうちに封印が破れてしまうからだ。ここの藤十と三津五郎の掛け合いがとてもよかった。
頭へ血が上って後先考えずに応酬する忠兵衛だが、いざ、切餅が破れると、

しまった!!

と逆上せていた気が一気に冷めて、自分のしくじりに愕然とする。元は気の弱い忠兵衛だからだ。その時の藤十の忠兵衛の仕種には、なんともいえない不安と後悔に良心が苛まされている感じが漂っていて、

うーん…

と感嘆の唸りを発してしまった。
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それでは「春夏冬、二升五合」をお願いまして、皆々様の御手を拝借。

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熊さん。今のお人で何人目だい?
著者寸描(プロフィル)

浮世名詮〔うきよのめうせん〕

Author:浮世名詮〔うきよのめうせん〕
東西東西~。
さて、これより語りまする者はその名を「名詮」と申しまする。

性格は可成ふざけて居りまして、朝イチから行動すればよいものを、昼も過ぎ、夕闇の濃くなる頃から東都のあちらこちらへ出没し、状況に応じて色々な人物を演じ分ける素ッ惚けた根無し草。

まあ、気楽に気楽にお付き合い下りまするよう、隅から隅まで、ズズいっとお頼み申し上げまする。

先づは

乍憚口上
乍憚口上」つづき
乍憚口上」むすび

を一読下さりまするようお願い申し上げまする。

千穐萬歳大入叶

熊八ブログをケータイしておくれっ
ちょいと、そこのお前さん。無視していくんじゃないよ。めうせんの「熊八ブログ」がケータイでも見ることが出来るっていうじゃあないか。おや、知らない?まあ、この人はなんて野暮なことをいいなさんのかねえ。
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